7.誘いは笑顔とともに
「ただいまー。」
いつも通り俺が研究を進めていると、陽気な声とともに、アナイが家の扉を開ける。
「おぅ、おかえり。」
たった1年程だが、この世界でのほとんどをこの家で暮らしていることで、俺はこの家をこの世界での自分の家だと思うようになっていた。
「どうだった?」
今回は、情報交換のため同業者の所を訪ねると言っていたアナイに、状況を聞いてみた。
「ん〜、あまり進展はなかったかな?」
同業者との話では、ギブ&テイクが基本らしい。
要するに、相手の新しい発見や研究成果を得る代わりに、こちらも相手の知りたい知識や情報などを提供する必要がある。
とは言え、5カ国の中でもエツラの同業者は、まだ交渉がしやすい人物らしく、他の国と比べると小まめに情報交換をしている方だと俺は思っている。
「この件については、全体の会合で意見交換したらどうか、って言う話になってるよ。」
「そうなのか?」
「まぁ、今まで誰も考えてもいなかったことだからね。正直、僕らだけではちょっと手が足りないんだよ。だから、今度の会合には浩太にも出席してもらうことにしたよ。」
聞き捨てならない単語を聞いた気がしたため、念のために俺は確認することにした。
「ん?ちょっと待ってくれ・・・。俺の聞き間違いだと思うんだが、俺も参加するって言ったか?」
「うん。そう言ったよ。」
「いやいやいや、俺はそんな研究者の会合に出られる程の研鑽を積んでないぞ!?」
「何を言ってるんだい。僕の助手なんだから、その辺は抜かりなくこっそり鍛えているよ。」
なん・・だと・・・。
俺の知らぬ間にそんなことをされていたのか?!
確かにアナイの講義は、実技主体のかなりスパルタな内容だった感はあった。
魔素の流れが感じられない俺に、魔術が使えるよう色々と教えてくれた時などは、ハッキリ言ってトラウマ物だ。
手始めに、実際の魔術陣と魔素を流し込み起動させる為の魔道具を渡され、何も分からないまま魔術を起動させて暴発させた挙句、魔素の制御が出来ない危険性を身をもって学ばせたこと等、まだ可愛いものだ。
何度も死に掛けた末に、俺は自分の身を守るために、様々なことを身につけた。
暴走させないよう、魔術を起動する魔道具を自分に合わせてカスタマイズして、自分独自の魔道具を作ったり、万が一に備えて魔術陣に安全装置を組み込むような工夫を考えたりもした。
しかし、あの全ては治療費の返済という免罪をちらつかせて、俺をこき使い倒すアナイの魔の手から逃れるために、必死で抗った結果だ。
(日本なら完全にブラック企業だよな・・・)
「そもそも今回の議論のテーマは、浩太のせいでもあるんだから当然じゃない。」
「いや、それはそうかも知れないが・・・」
アナイの言うテーマとは、すべての基礎魔術陣を重ねたらどうなるのか?という、俺のなんてことない疑問から始まった件だ。
今現在でも、研究は余り進んでおらず、議題の大部分をこの話題が占めているようだ。
「別に浩太が話す訳でもないから、気楽について来れば良いよ。浩太なりの観点での話は聞くかもしれないけどね。それに特別手当も付けるよ?」
ちなみに俺はアナイの助手という立場で、今は給与を貰っていることになっている。
その内の大部分は自分の治療費の返済に充て、それ以外は生活費と研究費用として使っている。
この世界での貨幣は、各国が発行しているが、その種類は金貨、銀貨、銅貨、鉄貨の4種類で統一されており、交換率も同じで金貨1枚は、銀貨100枚、銅貨10,000枚、鉄貨1,000,000枚となっている。
ただし、各貨幣の含有率が国ごとに違い、それぞれの国でしか使用できないため、商人や旅人は各国の貨幣を持っているし、大きな街には両替商や銀行の様な組織も存在している。
「まぁ・・・それくらいなら。」
早く治療費を返済したい俺は、特別手当という言葉に、しぶしぶ会合への参加を了承した。
「じゃあ、まずは名前を決めないとね!」
一寸の間、俺の頭上を疑問符が飛び回る。
「流石に自己紹介で浩太の名前は名乗れないだろう?だから、表向きの名前を決めておかないと。」
「なるほど。そういえば、俺の名前はこの世界では問題があるんだったな・・・。ちなみにどんな名前にしたら良いんだ?」
「そうだねぇ・・・シグレ、もしくはシグラというのはどうかな?」
「んー・・・それならシグレが良いかな?」
提案された名前の内、日本っぽい響きというだけで、チョイスしてみた。
「分かったよ。それなら浩太は今日から、シグレ・エヒムと名乗ると良いよ。」
「・・・それは、どうなんだ?アナイは貴族なんだろう??」
「別に構いはしないさ。僕は継承権を持っていないし、浩太に家名をあげても継承権が発生する訳じゃないから問題はないよ。」
まぁ、お家騒動などに巻き込まれたくは無いので、その話自体は有り難いのだが・・・。
「それに貴族が養子を迎えることは、よくある事だしね。」
突き抜ける様な笑顔と共に、当たり前の如く男として全く見られていないばかりか、子供扱いされている自分に悲しくなってくる。
アナイの年齢が自己申告通りなら、確かに俺は玄孫くらいの差があるのだが、見た目が自分より歳下なため、いまいちそう思い切れない。
「そうか、それなら有り難くその名を貰っておくよ。」
人知れず落ち込む俺を、アナイは不思議そうに見つめる。
「そぅ?それなら改めてよろしくね、シグレ。」
次話より本編に突入します。