5.異世界生活はお勉強とともに
この世界で暮らすことを覚悟した日の翌日からは、世界について知ることから始まった。
まず覚えたのは地理的なことからだ。
それまでの話で、おおまかには説明してくれていたが、この世界は『アストリア』と呼ばれているらしい。
この世界には、人間の他に精霊族や天族、魔族、獣人族など様々な種別がいて、魔物と呼ばれる生き物も存在しているらしい。
魔物にも多種多様な種別があり、俺達がゲームでお馴染みのゴブリンやスライムなんかも居れば、こないだ襲われたようなドラゴンも存在する。一部の魔物は人間よりも高等な知能を有する種族もいるようだ。
今いる大陸には、東西南北と中央にそれぞれ国があり、全ての国が君主制で正式な名称は、アッシャー公国、アツルト王国、ブリアー首長国、エツラ帝国、ムルホズ王国となるようだ。
どの国でも君主の下に貴族が存在し、国政を担っている。
また、この大陸の他に海を越えた所にも、天族や魔族、精霊族が暮らす別大陸が存在しているとの事だった。
魔物はどの大陸にもいて、この大陸には主に人間や獣人族が住んでいる。その他の種族も数は少ないが、この大陸に住む者も居るらしい。
その上、魔術が存在するとなれば、まんまファンタジーだと思った。
まるで新しいゲームの説明書を読んでいる気分だ。
とは言え、これは紛れも無い現実で、元の世界に戻るまでは、この世界で生きていかなければならない。
その為に必要なことと言えば、まずは言葉だ。
これまではアナイの魔術により、意思疎通を行っていたが、この世界で生活していくには、どうしても言葉を覚えなければならない。
全体的にみれば識字率はさほど高くない様だが、アナイの助手として立ち振る舞うためには、それなりの知識を有する必要があり、日常会話だけでなく読み書きや専門的な言葉も含めて身につけなければならない。
三十路を超えて新たな言語を習得するのは、なかなかに厳しかった。
アナイから教科書として最初に渡されたのは、この世界の絵本の様なものだった。
この世界では、紙は貴重な物らしく、自分がこれまで日常的に使用していた紙などは、政務で用いる重要書類ですら、数段劣る紙を使用しているそうだ。
その為、絵本といえど貴重な品で、一般人は親から子へと語られる御伽噺が関の山で、絵本は貴族くらいしか持っていないとの事だった。
ちなみに俺の荷物らしき物を、あの話の後に見せてもらったが、この世界では不要だったため、治療費代わりにアナイにあげることにした。
まぁ、おねだりされて嫌と言えなかったとも言うけど。
ともあれ、そんな貴重な絵本を、まずはアナイに読み聞かせて貰い、一人で読めるようになるまで、庭などの地面に字を書きつつ覚えていったが、これには結構な時間を要した。
約1ヶ月かけ、何とか日常会話や読み書きを覚えた俺は、言葉の勉強と並行して魔術の習得に取り掛かった。
魔術の基本は、初代国王が齎した古代文字を基本とし、そこに魔素の流れなどを組み込んで陣を構築、発現させるらしい。
それぞでの文字に対応した基本的な陣があるらしく、例えば火であれば上向きの三角形を描き、真ん中に古代文字の『火』を書き込むのが基礎魔術陣となる。
魔術陣は特殊なインクを用いて書くことで、魔素に指向性を持たせ古代文字に集める仕組みらしい。
また、魔術陣を起動させるためには、必要となる魔素量を術者もしくは何らか方法により制御する必要があり、魔素が不足していれば魔術陣は起動せず、魔術は発現されない。
魔素が多すぎれば、魔術が暴走状態で発現するようだ。
ちなみに何故、教材や例が火ばかりなのかアナイに聞いてみると、空や風はそもそも視認しにくく、水や土は周囲の影響が出てしまうが、火であれば見て分かりやすく、周囲に燃えるものが無ければ問題ないから活用しやすいのだそうだ。
勿論、加減を間違えれば、とんでも無いことになるけどね。とは、アナイの談だ。
驚いたことに、魔術は習熟することで、陣がなくても発動させることが可能らしい。
この世界のすべてに存在している魔素は、当然生物にも存在しており身体中を巡っている。
その為、魔素そのものに馴染みがあり、個人差もあるが訓練によって魔素の制御が可能なのだそうだ。
そのため魔術陣を知り、魔素の流れが理解できれば、古代文字を媒介として陣と同様の現象を起こすことが出来る。
この時、古代文字を媒介として使用するために、発声にて古代文字を用いるのが今の主流とのことだ。
この様に陣を用いず発現させる魔術を、便宜上では魔法と呼称しているようだが、魔術に比べると扱える魔素量が少なくなるため、威力が落ちたり、持続力が無かったり、規模が小さかったりと弊害もあるようだ。
そもそも魔術として開発されない限り、新たな魔法も生まれることが無い。
昔は古代文字の書かれた紙や、木片を使っていた時代もあったそうだ。
他にも、魔術陣を組み込んだ魔道具なるものもあり、人々の生活を支えるのに一役買っているらしいが、製造の手間などから金額が高く、一般庶民の生活までは浸透しておらず、裕福な商人や貴族が主に活用しているようだ。
俺はと言えば、そもそもこの世界の人間でないため、魔素に対しての馴染みがない。
そのために陣を使わず魔術を行使できるようになるかは分からない、との事だったが一応、訓練の仕方をアナイが教えてくれるみたいだ。
ちなみにこの世界には魔術学園があり、訓練方法はそこで教わるものと同じものらしい。
俺が若ければ、学園ラブコメもあったかも知れないと思うと、非常に悔しい。
勿論、冗談だ。
魔術の使えない俺が学園に通ったところで、出来損ないとして虐められるのが目に見えている。
そんな感じで、生きるための術を必死に身につける生活に明け暮れているのだが、アナイの言う古代文字研究者という職業の業務は、ハッキリ言ってひっじょ〜〜〜に地味だ。
古代遺跡から発見された古代文字の解読や、魔術として使用できる文字なのかの判別、必要な魔素量や適合する陣の構築などを、ひたすら試行することで解析していくのだ。
例えば、新しい文字が見つかったとすると、その文字の読み方から見つけなければならない。文字と読み方から、その文字の示す現象を理解するためだ。
作業的には似た文字から推測して解読するのだが、形が似ているからと言って同じ読み方、同じ意味とはならない。
ちなみに読み方があっているかどうかの判別方法は、企業秘密だ。
と言うのは嘘で、人によって異なるらしい。
アナイは魔素の動きで判別できると言っていた。
読み方と意味がが分かれば、次は魔術として使用できる文字なのかを判別するのだが、これも面倒くさい。
なんと既存の魔方陣に組み込んで、発動するかどうかを繰り返していくらしい。所謂、総当り方式だ。
現存する魔術陣は基礎魔術陣で5つだが、そこから派生した魔術陣は数千から数万にも及ぶ。
また、特殊な魔術陣でしか起動しない場合もあり、1つの文字を解析するだけでもかなりの時間を要する。
更には、古代文字は漢字以外にも存在したから驚きだ。
俺が見慣れているものであれば、英語や中国語がそうだが、他にもヘブライ語と思われるものもあった。
本当に此処は異世界なのかと自分の仮説を疑い、アナイの言う古代人説を信奉しそうになったくらいだ。
なんにせよ、その作業は非常に手間が掛かる上に、地味だと言うことだ。
ここで、アナイが俺を助手にしたがった理由の一端が分かった。
「なぁ、アナイ先生よ。俺を助手にしたのって、古代文字の読みを調べる手間を減らすためだろ?」
ちなみに助手となった日から、アナイの事を先生と呼ぶようにしたら、非常に嫌がられた為、今では対外的な場か嫌味を言う時くらいしか、アナイの事を先生とは呼ばない。
「おや、バレちゃったかい?」
「そりゃ、こう毎日、古代文字の読み方や意味を質問され続けてれば、嫌でも分かるだろ・・・。」
そうなのだ。俺がこの世界の言葉をある程度覚えてからは、魔素の流れを感じる訓練の合間に、ひたすらに古代文字を読まされた。
当然、すべてが読める訳ではなかったが、結構な量の文字を読み、その意味を聞かれた気がする。
古代文字が使用されるようになってから、数百年経過した現在では、ある程度の分類がされているようで、例えば日本語の古代文字なら、漢字と平仮名等の漢字以外とで、大きく2つに分けれられている。
俺が読めるのは漢字主体の文字と、英語が少しだった為、ほぼ漢字の読みと意味を解読するために、こき使われていた。
最初は、基礎の5文字である土、火、水、風、空について、読み方と意味を改めて聞かれた。
例えば、空の読み方は『くう』だが、その他にも読み方が無いのかと聞かれ、最初の頃の話にでた『そら』と言う読み方を教えた。
すると『そら』とは何か?と聞かれる具合だ。
『そら』は空だろと思ったが、外に出て天空を指差し、この頭上に広がる空間が『そら』だと説明した。
勿論、それ以外にも『から』や『うろ』と言う読み方も教えれば、その一つ一つが何なのかを聞かれる始末だ。
ハッキリ言って、これには困った。
日本人として日常的に触れている漢字だから、ある程度のことは知っているつもりだったが、その意味するところを改めて説明しろと言われると困ってしまう。
頑張って説明してみるが、アナイは納得がいかない限り質問の手を緩めてはくれない。
正味、泣きそうになった。
実は、アナイがそれぞれの文字に対する造詣を深める中、俺は自分の持つ知識の中から別の視点を持って、この古代文字について考察をしていた。
例えば、空の文字をアナイは『くう』と読んだが、普通の日本人なら『そら』や『から』がパッと思い浮かぶはずだ。
だが、空の読み方が『くう』として伝わっているのは、そこに意味があることに他ならない。
『くう』と言う読みをし、この漢字一文字で意味を成すのは、自分の知る限りは仏教だ。
仏教での空は、『色即是空』などが有名だが、無いとか、ゼロであることを指している。西欧の中世では、在るのに無い物として、エーテルや霊とも言われていた。
そしてアナイは、空の文字は精神や魔素などを示すと言っていたことから、これら地球の考え方と何らかの結びつきがあるのではないかと考えたのだ。
次に、5と言う数字も引っかかった。
アニメや漫画には詳しくないが、仕事柄お客さんにも色々な趣味を持つ人が居るため、雑学程度にある程度広く知識は持っているつもりだ。
その知識からファンタジー的な要素で引っ張り出せば、陰陽術とか五行説くらいは知っている。
五行説では、確か木火土金水の要素があり、相乗とか相克とかの効果を持つとされていたはずだ。
空がどちらかと言えば西欧的な意味合いを持つことから、基礎となっている5文字も西欧系の考え方からきていると推測できるが、今時点では思い出せない。
かつて、顧客と話を合わせるために、頑張って調べたことを思い出す努力をしつつ、俺なりに魔術の習得に励んでいた。