4:鍋ってなんだっけ?
私、小岩井 美咲が兄の家に来て二日目の夕方。初日のドタバタを乗り越えて、お隣の義人さんと駿河さんの手助けもあり、ようやく兄の部屋の大掃除が終わった。
「うぅ……。腰が痛い……」
背の低いテーブルにお茶を置いて腰を反らすと、ゴキゴキと妙に生々しい音を立てて腰が鳴った。
その様子をテーブルの前に腰を下ろした二人組、義人さんと駿河さんが楽しげに見上げていた。
ちなみに兄には山から持ち帰ってきた道具やガラクタの整理をさせている。最初は「捨てるものなどない」とほざいていたが、軽く舌打ちしたらとても素直になってくれました。何故でしょうか?
「ははは。美咲ちゃん張り切ってたからね」
「オレも肩凝った〜。義人〜、肩揉め〜」
「仕方ないなぁ」
義人さんが何か企んでいるかのようににやけながら、駿河さんの肩に手を伸ばした。
あ、なんかオチが見えた気がする。
「あだだだだだ! お前っ、力加減考えろ!」
「肩揉めって言ったのはそっちだろう」
予想通りと言うかなんというか、駿河さんが悲鳴を上げて抗議した。それを面白がる義人さんはなかなかやめようとはしない。
しかし……。
私はふと、掃除の時の光景を思い出した。
どうも掃除の時間中、指示や指図をするのはもっぱら駿河さんで、義人さんは嫌々ながらそれを聞いているようだった。
イメージ的にはしっかり者の義人さんが遊び人気質の駿河さんに指示を出すのがしっくりくるのだが、何故だろう。
「よ〜し、分かった。もうお前にノート見せてやんねぇから」
瞬間、義人さんのピタリと止まる。
私もなんとなく察してしまった。
「落ち着けって社長仲良くしようよ」
その場であからさまに媚びを売る義人さん。
私はこの胸のなんとも言えない虚無感に『幻滅』という名前を付けてあげようと思う。
しばらくその光景をぼんやり眺めていたが、不意に義人さんの動きがピクリと止まった。そしてブリキ人形のように首だけこちらに向けてきた。器用ですね。
「どうやら気付いてしまったようだな……」
横で可笑しそうにニヤニヤしていた駿河さんが口を開く。彼は相変わらずフリーズしている義人さんにビシッと人差し指を突き出した。
「ヤツは勉強が出来ない」
そこまで言って、駿河さんは堪えきれないと言わんばかりに声を上げて笑い出した。
一方義人さんはと言うと……。
「うわぁああああああああああああ!」
フローリングの上でのたうち回っていた。どうやら隣人である私には秘密にしておきたかったらしい。
しばらくして落ち着きを取り戻した義人さんはテーブルの前で正座し俯いた。その目は恨めしげに駿河さんを睨みつけていたが、目線の先の当人は平気な顔で湯飲みに口をつけていた。
私もテーブルの一角に正座して座る。
「でも驚きました。私てっきり義人さんはこう……勉強熱心な人だとばかり」
「勉強しないわけじゃないんだよコイツは。全体的に要領が悪い上に土台ができてないんだ」
駿河さんが顎で義人さんを指しながら解説してくれた。
義人さんは不貞腐れながらボソリと「専門科目は得意なのに……」と呟いた。
ちなみに義人さんは歴史学部、駿河さんは法律学部であると前に教わった。……って、あれ?
「学部が違うのにノート借りて意味あるんですか?」
「ああ、コイツが出来ないのは教養科目だから。教養科目は学科が違くても似たような内容になることがあるんだよ」
そう言うことらしい。
そういえばうちの兄は何学部であったか……? 記憶の中では確か経済学部だったような気もするが、そうなると三人ともバラバラの学部ということになる。
「お二人ともお兄ちゃんとも学部が違いますけど、どうやって知り合ったんです?」
「サークルが同じだったんだよ。それで話してみたら同じアパートだって言うから一杯飲み明かしたらいつの間にかこんな感じだよ」
少し復活したらしい義人さんがそう答えてくれた。大学のことはよくわからないが、実にらしい親睦の深め方だと思った。
「ちなみにサークルとは?」
「「模型サークル」」
また少し、私の中の二人のイメージが崩れた気がした。
「え⁉︎ お二人ともこう……もっとウェイウェイしたサークルに入ってるんじゃないんですか⁉︎」
「ははぁ、美咲ちゃんはオレらのことをそう見てたのか」
「やだなぁ、あんな猿どもと一緒にされるなんて」
大学って一体なんですかね? 学び舎? それとも動物園?
しかし次々と明かされる想像とのギャップに、私はより二人との距離が近くなって行くように感じた。
これは二人のことをもっとよく知るチャンスなんだ。私は身を乗り出した。
「それで、お二人はなんで模型サークルに?」
「オレは趣味がプラモ作りなの」
「僕は歴史館に置いてあるジオラマ模型に惹かれて」
「理由は全く違うんですね〜。あ、そしたら仲良くなった理由は別にあるんですか?」
「ん〜。模型部であってちょっと話した時に同じアパートに住んでるって分かって、一晩中呑んでプラモ作ってゲラゲラ笑ってたらこんな感じよ」
相変わらずケラケラと楽しそうに笑いながら語る駿河さん。横で義人さんも思い返すように目を閉じながら頷いている。
たった一つの接点からここまで親しくなるとは、友情とは不思議なものであると私は変な感慨を覚えた。
「んじゃ、そろそろお暇しますかぁ」
「そうだね。ご馳走様でした」
お茶を一気に煽った駿河さんが席を立つと、義人さんも二人分の湯呑みを手に立ちさっさと流しの方に行ってしまった。
「あ、湯呑みくらい私が……」
「いいのいいの。大した手間じゃないし」
そう言いあっという間に水切りに洗われた湯呑みが二つひっくり返され、駿河さんの後を追って玄関に行ってしまった。
当然私もその後を追う。何かお世話になったお礼が出来ないものかと思考を巡らし、そして思いついた。
「あ! よかったら今日うちで夜ご飯食べて行きませんか?」
そう、食事である。昨日と今日の朝昼はコンビニ弁当やパン類と簡単に済ませていたので、そろそろちゃんとしたご飯にありつきたいし、兄を含めて食卓を囲めばより親睦も深まるだろう。まさに一石二鳥である。
いや〜、私って策士?
「お? 良いのか⁉︎ ちょうど冷蔵庫ん中何もなかったし助かるわ〜」
「じゃあ僕もお言葉に甘えちゃおうかな」
「はい! 任せてください!」
そういうわけで、我が家での食事会が決定された。ちなみに二人は色々予定があるらしく、一度お開きとなった。
「とりあえず、現状あるものは〜っと」
冷蔵庫の中を確認する。兄が長らく留守にしていたため、当然ながら食材の類は一切ない。食器や調理器具は一通り揃っているらしいが、食材がない以上一度買い物に行かなければならない。
「この時間からだと凝った料理は作れないよね。手頃でみんなで食べられるものといえば……」
頭の中で私の作れる料理を浮かべ、時間がかかるものを消去していく。元々作れる料理のバラエティが少ない為、それはあっという間に絞り込まれた。
「鍋! お鍋にしよう!」
春先とはいえ夜になるとまだまだ冷え込むこの季節。暖かい部屋で温かい鍋をつつきながら、談笑をして親睦を深め、兄真人間化計画について具体的な話もできる。
まさに一石三鳥。完璧なプランである。
「そうと決まれば……」
私は窓を開けてベランダの手すりに乗り出すと、駐車場でガラクタの分別をしている兄に向けて声を掛けた。
「お兄ちゃ〜ん! 家に土鍋とかなぁい?」
「ん? ああ、あるぞー。今持っていく」
兄は顔を上げて手を振ると、ガラクタの山の中から焦げ茶色の鍋を取り出しアパート側に駆けてきた。
私も玄関に移動し、受け取りに行く。
程なくして軽快な足音と共に扉が開けられ、笑顔の兄が大事そうにそれを抱えていた。
「持ってきたぞ。これを使ってくれ」
差し出されたそれは、市販の土鍋に比べやたらと薄そうで、表面も綺麗な柄やお洒落なワンポイントのマーク一つない。薄茶色と焦げ茶色のまだら模様のそれは……。
「土器じゃん」
「土鍋だよ」
「どこがよ⁉︎」
私がそう言うと、兄は手元の土鍋……もとい土器を眺めながら首を傾げた。
どうやら不服らしい。
いや、でもそれどう見たって土器だから。花瓶みたいに縦に長い鍋なんて現代の鍋でそうそう見ないと言うか私見た事ないもん。
「いい? お兄ちゃんね。鍋ってね、食材を炒めたり煮込んだりするものなのね」
「これもそれくらい出来るぞ」
「む……。でも鍋パするにはもっとサイズが大きめのじゃないと」
「小皿によそえれば良くないか?」
極論ではあるが、言われてみれば確かにその通りな気がする。
アレ? 鍋って……なんだっけ? 土器だっけ? でも実際土器の進化系って各種調理器具や食器みたいなイメージあるし……いや、でも納得いかないし、う〜〜〜〜…………。
大きなため息を一つ。私は考えることをやめ、財布とメモ用紙、ボールペンを用意することにした。
「うん……分かったから……それ土鍋って事でいいから。これで鍋買ってきて。土鍋ね、鍋用のやつね。高くなくていいから。私のその間に材料買ってくるから」
スッとお札と鍋の詳細な要望を書いたメモ用紙を兄に渡すと、彼はシュンとした様子でそれを受け取った。
「横幅のある鍋を作れなくてゴメンな」
「そう言う謝り方もやめて⁉︎」
兎にも角にも、兄が無事ちゃんとした土鍋を買ってきてくれたので、四人で味噌ちゃんこ鍋を堪能することが出来ました。
義人さんも駿河さんも喜んでくれて良かったです。
そして……
「う〜ん……」
リハビリついでに兄に食器の片付けを任せながら、私は兄お手製の土器と睨めっこ中。
置いとくだけだと邪魔だけど、せっかく兄が作ったものだし。
「まぁ花瓶くらいにはしてあげられるかな?」
翌日ベランダに置物が一つ増え、兄が少し上機嫌になりましたとさ。