1:兄を探せ!
三月上旬。卒業の悲しみや進学への期待が高まるこの季節。
世間的には春休みで、通勤通学の人があまり居なくなり、ガラガラ気味の快速電車に揺られる私こと、『小岩井 美咲』も進学の為に県外に出た一人だ。
わざわざ県外の高校に進学したのにはワケがある。
一つは進学先の高校の陸上部が県内で有名な強豪校で、そこに入るためと、学力的にちょうど良かったから。
もう一つは、同じ県の大学に通う兄の存在だ。今年で大学三年生になるはずの彼は、私より一足先にこの県で一人暮らしをしていたのである。
兄はひょろっとしてて忘れっぽくておっちょこちょいな部分もあるが、真面目で実直で礼儀正しい誇れる人物だ。
そんな兄が、去年の夏休みから長期休みでも実家に帰らず、連絡もほとんど寄越さないときた。そこで偶々近くの高校を受験した私が兄の様子見と引っ越しに掛かる初期費用を浮かせるために兄の元へ転がり込む事にしたのだ。親もそれを加味した上で県外受験を許してくれた。
暫くしてようやく目的の駅へ到着し、着替えや日用品を詰め込んだボストンバッグと勉強道具を押し込んだリュックサックを抱えてホームに降り立った。
「お、重い……」
兄とは連絡が取れなかったため、当然私がここに来ることも知らない。故に、荷物運びを手伝ってくれる人はいない。
私は今更ながらキャリーバッグで来なかったことを後悔した。
幸いな事に資金は潤沢だったため、駅前でタクシーを拾って兄の住むアパートへ向かった。道中は外の景色を堪能していたが、周囲を囲む山々や大きく澄んだ川や街路樹などの自然が多くかつデパートや各種サービス業の店舗が並ぶ商業地域があるなど、住み心地は良さそうである。
こんな素敵な街で、兄はどこをほっつき歩いているのだろうか?
「着きましたよ」
「あ、どうも。ありがとうございました」
決して安くなかった運賃を払い、私は兄のアパートに向かった。白い壁がまだ新しい比較的綺麗なアパートの二階に、兄は住んでいる。
私はえっちらおっちら荷物を抱えながら階段を登り、スマホのメモと見比べながら目的の部屋を探した。
「ええと、203号室は……ここね」
東側の端の方、最も日当たりの良さそうな部屋がどうやらそうらしい。
荷物を一度下に降ろし、身だしなみを整える。いくら身内とはいえ、半年振りの再会である。出来るならば成長した自分をしっかりアピールしたい。
毛先や服のシワを整え終えて、ようやく呼び鈴を鳴らす。が、いくら待っても中から物音一つ聞こえなかった。
「あ、あれ? 部屋間違えたかな?」
思わず首を傾げ、再びメモと見比べるが、メモのミスでもない限り間違いではなさそうだ。
その後何度も呼び鈴を鳴らしたが、結局兄が出てくる気配がなかった。
「ええ〜⁉︎ そんなぁ‼︎ お兄ちゃんどこいったのよーッ‼︎」
私は途方に暮れ、ドアの前でうずくまった。
このままでは兄が帰ってくるまで待ちぼうけ。最悪の場合、またこの大荷物を持って一度実家に帰り、改めてこの近辺に新たな住居を探さねばならなくなる。
諦めかけたその時、私の叫び声を聞きつけたのか、隣の部屋(204号室)のドアがガチャリと開き、爽やかそうないかにも大学生なお兄さんが顔を覗かせた。
私は急いで立ち上がり、スカートの裾を整えた。
「どうも……。もしかして、声響いてました?」
「うん。でも気にしてないよ。……ところで君、もしかして徹の知り合い?」
「えっ。お兄ちゃんのお友達の方ですか?」
私の問いに、彼は頷いて答えた。ちなみに徹とは私の兄の名前である。
これは大チャンスである。天は私を見捨てなかった。神の恵みをありがたく受け取ろう。
「私、小岩井 美咲って言います。徹お兄ちゃんの妹です。それで、あの、私のお兄ちゃんが今どこにいるか知りませんか? ちょっと連絡がつかなくて」
「へっ? そう言えば半年前くらいから姿が見えなかったけど、まさか家族とも連絡取ってないのか……?」
その呟きに私は肝が冷えるのを感じた。
家族とも連絡取ってない? つまりお友達にすら何も伝えたりしていない? しかも彼のニュアンス的に、あの兄もしかして長いこと行方不明になってる⁉︎ これは大変なことである。
不安になって鼓動が速くなる私の後ろから、カンカンと音を立てて誰かが階段を上がってきた。
「おやぁ? その子義人の彼女?」
「あ、社長」
義人と呼ばれた先程まで話していた彼が難しい顔をして少しチャラそうな背後の彼に挨拶した。
ところで、社長って何さ?
「この子、徹の妹さんなんだってさ」
「え? 嘘、マジ? あ〜、でも確かに兄に似てしっかりしてる感あるわ」
「あの、すいません。あなたもお兄ちゃんのお友達ですか?」
私がそう尋ねると、チャラ男の彼が急に片膝をついて倒れた。
え、なんだろう? 私変なことしたかな?
困惑する私をよそに義人さんがチャラ男に肩を貸す。
「あの〜……? 大丈夫ですか?」
「グッ……心配ねぇ。ただちいとばかし『清純派妹の生お兄ちゃん』が効いただけだ」
どうやら唯の変態だったようだ。早い所お兄ちゃんに会って「あなたのお友達はとんでもない変態だったよ」と伝えなければ。
「ちょっと待てって嘘だって冗談が過ぎただけだから」
無意識に後ずさっていた私にチャラ男が笑いながら弁解してきた。仮に彼が本当に変態だったとしても、情報源がない以上彼にも協力を仰ぐしかない。
「社長さん、お兄ちゃんの居場所とか知りませんか?」
「社長じゃなくて、『駿河 雅也』ね。で〜、君のお兄さんなんだけど……」
そこまで言って駿河さんは言い淀んだ。私は焦れったいと思う気持ちを抑え、話の続きを待った。
「う〜ん……なんというかあいつは……変わってしまった」
「ええっ⁉︎」
変わったとは何がだろうか? 逸る私の気持ちとは逆に駿河さんは勿体ぶるように話を進める。
「最初の頃は真面目だったんだ。見るからにチャラそうなオレとも、そこの人の良さそうな義人と同じように振舞ってくれた。でも去年の夏、ある事件が起きたんだ」
ゴクリと生唾を飲む。後ろの義人さんも、真剣な眼差しで駿河さんの目を見つめた。
駿河さんが声をひそめて続ける。
「最初は出来心だったんだ。部屋に篭ってゲームやら楽器やらに熱中してばかりのあいつを外に出してやろうと思って、オレが学校主催のサマーキャンプに誘ってやったんだ。そしたらあいつ、山に魅入られちまって……」
「…………ん?」
サマーキャンプ? 山に魅入られる? 駿河さんが何を言っているのかよく分からない。私の兄は根っからのインドア派で趣味は読書、ゲーム、ギターだったはずだ。
「すいません、話が見えないんですが……」
「あいつは今、山籠りしてるらしい」
場が凍る。そのついでに思考も停止する。
兄が? 山籠り? あのもやしのようにひょろひょろだった兄が?
「お前ッ‼︎ あいつの居場所知ってたのか⁉︎」
黙って話を聞いていた義人さんが駿河さんに食って掛かる。どうやら義人さんは何も聞いていなかったようだ。
「オ、オレだって知ったのはこの間だよ‼︎ ワンダーフォーゲル部の佐藤が部活の登山練習中にあいつらしい人影を見たって言ってたんだって‼︎」
駿河さんが必死に弁解する。彼もまさか、兄が家族の許可も得ずに学校を長い間休んでいるとは思っていなかったらしい。
二人の怒鳴り声をBGMに、私は思考と気持ちを整理する。つまり兄は、両親や友人、私にも何も言わずに勝手に学校をボイコットし、山に篭って何かしていると。ふむふむなるほどなるほど……。
暫しの混迷。その末に導き出された答えは--
「あんのバカ兄ちゃん何やってんのよ……ッッッ‼︎」
怒り。
家族である私にすら何も言わずに妙ちくりんな事をしている兄に対する激しい怒りであった。
私は言い争いをやめた二人に視線を向ける。なぜか二人揃ってびくりと肩を震わせて縮こまった。
「お兄ちゃんを連れ戻します。協力してくれますね?」
「「は、はいっ‼︎」」
二人はいそいそと部屋に戻ると、駿河さんは車の鍵を、義人さんは懐中電灯と虫除けスプレーを持って来た。スプレーを借りるついでに、持って来た荷物も義人さんの部屋に預かってもらう事になった。
階段を降りると、既に下には駿河さんのアクアミントカラーのキューブが停まっていた。私はその後部座席に乗り込み、義人さんは助手席でスマホのマップを起動した。
「どこの山だ?」
「稲池山。飛ばせばすぐだ」
「分かった」
義人さんがナビに入力し終えるや否や駿河さんは車を走らせた。
待ってろあの野郎。今にひっ捕らえてお父さんとお母さんを呼んで目の前でこの半年の所業を洗いざらい吐かせてやる。
私はこの理不尽な怒りに身を任せて拳を握り締めた。