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バス停の懺悔

 昨日から始まったテスト期間。部活も休みになって早く帰れる。友達と別れた後、いつものバス停、いつものベンチに座って行き交う人をぼーっと眺めながら、数分後の便を待っているときだった。近隣の高校もそろって考査期間なのか、いろんな制服姿がちらほら見える。三人組の男子高生が談笑しながら私の前を通り過ぎた、と思ったらそのうちの一人が引き返して私の前に立った。目が合う。少し背が伸びて、髪もあの頃より長い。笑うとなくなる目は今は驚きで大きくなっている。おい、何してんだよ、わりー先行ってて、というやりとりを聞きながら、ぎゅっと胸が嫌な感じに痛くなる。私は顔を伏せた。

 

「進藤、奈緒?」


 あの頃と変わらない声。人違いです、と言いたくても、もうばっちりと目が合ってしまった後でうまくごまかせそうにもなかった。こんな風に町中で偶然出くわすことを恐れ、入学したての頃は行き交う男子高校生に過剰に反応していた。でも、同じ市内ではあるけど離れた高校に通う彼を姿をかけることはなく、最近では完全に安心しきっていた。

「ちょっと、隣、いい?」

 突然のことに頭がついていかず、何も答えられない。そして彼は結局ベンチには座らなかった。

「……」

「……」

 戸部は立ったままそれ以上何も言わないし、私も何を話していいかなんて分からない。親しくしていた時期もあったけれど、あの出来事のせいで、彼とは思い出話に花を咲かせられる仲では決してない。ここを通りかかったのは偶然にしても、一体何を思って私に声をかけてきたのか。話すことなんて、ないんだし。

 耐えがたく気まずい時間がゆっくりと流れる。笑えるくらいに腕時計の針がスローモーションに見える。今すぐにこのベンチから立ち上がって逃げ出したかったけれど、寒さが身に染みるこの季節、バスは一本でも逃したくない。早く帰ってテスト勉強しなきゃだし。早く、早くバスが来ないか、祈るような気持ちで通りの向こう側を凝視していた。同じくバス待ちのおじさんがちらちらとこちらを見ている。周りにも伝わるくらいのぎくしゃくとした空気だ。

「いつもこのバスに乗るの?」

 行き交う車のエンジン音にまじって低い声が届くと同時に、バスの姿が見えほっとする。

「あ、……はい、そうです、けど」

「なんで敬語」

 ふっと、戸部は笑った。昔のような屈託ない笑顔ではなく、大人びた笑みだった。それ以上会話は続かない。私は席を立ち、彼の横をすり抜けてバスに乗る。

 暖房がきいていて、車内は熱いほどだ。座席は満席だった。吊革につかまって立つ。乗車ドアが閉まり、発車します、というアナウンスとともにバスが動き出した。窓の外に目を向けたら、彼はベンチに体を向けたまま俯いていた。



 夕食後、リビングで単語帳をめくってみたけど全然集中できない。ダイニングテーブルで柿を食べている真ん中の弟、侑に相談してみた。今日二年ぶりに気まずい同級生に会った、と言っただけで、侑は「戸部先輩?」と当てた。あの時侑は中一で、リレーの練習にも付き合ってくれていた。最悪の結果にめそめそしていた私を彼なりに励ましてくれていたのだ。

「なんでいきなり話しかけてきたって、そんなの、謝りたいからに決ってんじゃん?」

「あやまる?」

 そう、謝る。侑は真面目が顔でうなずいた。……そうか、戸部は、謝りたかったのか。そんなことに今更気づいてしまった私。

「――いやいや、今更謝ってもらったってさ。どうにでもなるものじゃあ」

「姉ちゃんにとっては今更かもだけど、戸部先輩にとっては違うんじゃない」

「どういう意味?」

「やばいことしたから、謝るのもやばいくらい緊張するってことだよ。そう簡単にできるもんじゃないって」

 侑は柿を二個食いし、お行儀悪く口をもぐもぐしながら続ける。

「今更じゃなくて、やっと、っていう感じなんじゃない」

「でも、そうだとしても。それって、自己満足、じゃないの?」

 戸部は中学にサッカー部がないことを常日頃から嘆いていて、高校に入ったら絶対にサッカー部に入る、と言っていたのを思い出す。その部活でどんなに頑張っても失敗することもあることを学んだとか、そういうことがあったのかな。たまたま私を見つけ、忘れかけていた罪悪感を刺激されただのかもしれない。自己満足、という言葉が一番しっくりきてしまう。

「自分が許されて楽になりたい。ひどいことした過去の自分が謝ったっていう事実が欲しいのかも」

  私はフォークを柿に刺した。

「こえー顔。なに、珍しく怒ってんの?」

「別に」

「姉ちゃんもさあ、今じゃなくてあのとき、もっと怒っとけばよかったんだよ」

「……私あの時毎日家で泣いてたよね。そんな気力なんてなかったなあ」

「怒るのはパワー使うしな」

 侑は笑って、テレビをつけた。

 ソファに横になっていたコウが寝返りを打ち、掠れたうめき声をあげた。私はそばにいって頭を撫でる。頭はまだ熱い。でも薬が効いているのか、声をあげたのは一瞬で、また再びぐっすりと寝息をたてはじめた。

 コウの横でしばらくそのままテレビを見ていた。昔から続くバラエティー番組は中学の頃からクラスでも人気で、戸部とも、昨日見た? とよく笑い合っていた。テレビの中のお笑い芸人がゲラゲラと笑っている。ついでに侑も。でも私はなんだか全然笑えなかった。

 お風呂入っちゃってー、という母の声に返事をして席を立とうとしたとき。

「さっきの話だけど」

 頬杖をついてテレビのほうを見ながら侑が言った。

「自己満のために、そんなことできるかな。そんな声とか急にかけて、しかもゴメンなんてさ。けっこー勇気いるよ。後悔して謝りたい、ってずーーーっと本気で、思ってなきゃ」

「……」

「戸部先輩の肩持つわけじゃないけどさあ。あんまりごちゃごちゃ、気にしてんなよ。友情を回復したいのは確かだろ。今度また会うことあったら、姉ちゃんも素直に思ってること言えばいいんじゃね」

「めっちゃ肩持ってるじゃん……。侑は戸部に憧れてたもんね。……でも、うんありがとう」

 戸部は陸上部のエースで、応援団にも入っていたから下級生のあいだでも有名人だった。侑も彼に憧れていた一年生の内の一人だと思う。あの出来事のあとは複雑な思いを抱いていたみたいだけど。


 戸部が根っから悪いやつじゃないことなんか、三年弱の付き合いでわかってる。ただ、ほんの少し自分勝手だっただけだって、今なら思える。本当に私を苦しめようとして、憎くてしたことじゃないって。ただ、自分と同等のパワーを周りにも求めすぎただけなんだ。

 今になって、やっと私も彼の気持ちというものに気を回せるようになってきた。後悔しても、言ってしまった事実は取り消せない。謝るタイミングだって難しかったかもしれない。あの戸部が自分の言動に悩まなかったはずはない。

 後悔して謝りたい、ってずーーーっと本気で、思ってなきゃ。侑の言葉がぐるんぐるんとまわる。

 戸部の時間薬は、彼を癒してはくれなかったのだろうか。



 次の日、自宅ではなく図書室をテスト勉強の場として選んだのは、昨日戸部とバス停で会った時間帯をなんとなく避けたい気持ちがあったからだ。静かな図書室で集中して勉強するつもりだったのに、思い浮かぶのは戸部のことばかりだった。これではいけない、となんとか気持ちを切り替えて頑張った。学校を出たのは下校時刻ギリギリだった。さすがに今日は会わないだろう。


 ――って、思ってたのに。


 バス停にいるのはまぎれもなく戸部だ。隣に誰も座っていないベンチがあるのに、立っている。まるで昨日別れた時の姿のままだ。

 私の足は固まってしまって動かない。彼に気付かれないうちにこの場を去る? 次に戸部に会ったら言おうと決めていたことがあったけど、次が今日なんて予想してなく、心の準備と言うものが。でもここで逃げたら、私も戸部も前に進めないよなあ。私が決意するのと、戸部が私のほうを見たのは一緒の瞬間だった。


「奈緒!」


 彼は私の姿をみとめ、名前を呼ぶ。クラス全員の女子を呼び捨てで呼ぶような人だった。それをごく自然にできるところが、また人気があったのだ。私が逃げてしまうのを阻止するかのように、早足でこちらへ駆け寄ってくる。

「戸部」

「ごめん」

 昨日、侑とは戸部が謝ることを前提で話をしていたけど、まだ少し信じられない気持ちもあった。ここで昨日のテレビの話とかしてきたら、それはそれでどうしよう、なんて思ってたけど。直球ドストレートで謝られた。

「あのときは、ごめん」

 決して大きくはないのに不思議と通る声。この声でいつもみんなの中心にいた戸部。だけど今、声は少し震えていてうつむく彼はあの頃より一回り小さく見える。太陽みたいだと思っていたけれど、今はただの苦悩する一人の男の子だ。いつも自信に満ちあふれていた戸部の姿とはかけ離れている。

 彼持ち前の明るさで何もなかったことにして声をかけること、許されるためだけにもっと軽く謝ることだってできたはずなのに、しなかった。時々馬鹿みたいなことも言うけど、根は真面目で、私はそういうところが好きだった。


 私は戸部に向かって、言おうと決意していたことを口にする。

「戸部にはがっかりだよ」

 戸部は顔を上げた。口は真一文字に引き結ばれている。

「意地悪、最低最悪、思いやりってものがない。もっと戸部にハッキリ言っておけばよかったね。あのね、私さ、運動音痴なんだよね。知ってると思うけど。でも最後の体育祭だったし足を引っ張りたくなくて、練習頑張ってたの。バトンの練習だって、休みの日とかにしたりして」

「うん……」

 彼は神妙な面持ちで聞いている。

「私のせいで優勝できなかったのは重々承知だよ。それは本当に悪かったと思ってる。でも、私なりに必死でがんばってた。わざと転ぶわけないんだし、ひどいよ」

「うん」

「クラスの中心でみんなのこと思ってます、って顔して結局は自分のことだけだったんだよ。ちっちゃい男だよ」

 戸部は私から目をそらさない。

 

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