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11話



 空には雲ひとつない朝、彼女はいつもどおりにその部屋をノックした。


「開けてありますよ」

「山野です。失礼しますね」


 美桜が朝食を運んで悠介の部屋に入ってきた。


「おはようございます。今朝はいかがですか?」

「あまり変わらないですが、なんだかゆっくりと……」

「ええ……」


 美桜はそれ以上の会話を続けなかった。

 彼女には分かっていたからだ。





 あれから一月ひとつきが過ぎようとしていた。


 結局のところ、誰も可憐の件では違法なことはしていない。電源を切ったのは、パートナーである悠介であって、人間であれば尊厳死といったところだったか。


 深夜、客室に戻った悠介には、二人部屋は異常に広く感じた。もう充電用のアダプターなども必要ない。

 手続き用の書類にサインをして、それらのコード類を片づけた。


 可憐が持っていたハンドバッグを手に取る。

 非常用のバッテリーなど、きっと俺にはあまり見せたくないものだったのだろう。それらと一緒に、小さなメッセージカードが底の方にハンカチで包んでしまわれていた。



『悠介さんへ』

 このメッセージを悠介さんが見つけられた頃には、私はもう停止をされて、引き渡された後だと思います。

 25年もの間、本当に私のことをありがとうございました。

 初めてお目にかかった日、私を可憐と名前で呼んでくださいましたね。

 仲田先生にも、私は奇跡の子と呼んでいただきました。でも、本当に不安だったんです。生体記憶をいただいた唯一の機体と言われても、悠介さんが認めてくださらなければ何の価値もありません。あのひと言で、私は本当に救われて、悠介さんに最後までお仕えしようと決めました。

 これほど長い時間になるとは思っていませんでしたが、いつも私のことを心配してくださいました。私より後に生まれたにも関わらず役目を終えて回収されていく弟妹たちを見ながら、私のマスターは本当に素敵な人なんだと、私に記憶をくれた可憐さんが言っていたことは本当だったんだと失礼ながら思ったこともありました。

 私がこの体であることが本当に悔しく思うということは、マニュロイドとしては失格で、不良品であることの証拠です。だって自らを守らなければならないというロボット三原則第三条(※)に反する自己否定ですものね。

 でも、それを理解はしていても、私は悠介さんを想ってしまいました。深夜に悠介さんを考えるだけで、メモリーがクラッシュしてしまったことも、今となっては素敵な思い出です。決して叶えられるものではありません。それでも、私は悠介さんのそばにいさせていただいたこと、本当に私の幸せであり誇りでした。

 この1週間、ここまでご迷惑をかけてしまったこと。本当に申し訳ありません。私は冷たい機械に戻ります。でも、絶対に悠介さんと暮らした日を忘れません。

 私が停止した後、弥咲さんに私のプロセッサーを取り出していただくようにお願いをしました。それを持って、可憐さんに渡していただけますか? お預かりした記憶をお返しします。


 私からのお願いです。悠介さん、どうか最後まで、笑顔でいてください。もうお時間が残り少ないこともずいぶん前から分かっていました。悠介さんは私の大切な家族です。そんな方に苦しんでほしくありません。これも美桜さんにお願いをさせてもらいました。


 悠介さんは、最高のマニュロイドマスターです。そして、私は本当に幸せな一人の女の子として役目を終えられます。どうか、私のことは悲しまず、25年前のお二人に戻ってください。

 またいつか、どこかで再びお目にかかることができたら、その時はお二人にまたお仕えさせていただけたら。いえ……マニュロイドではなく、人間としてお会いできたら……、これは高望みしすぎですね。


悠介さん、本当にありがとう。大好きでした。


システムコードネーム『可憐』











 一人になってこの1ヶ月、毎日の部屋の清掃に合わせて、その他の荷物も少しずつ整理した。


 小さなボストンバッグだけにまとまってしまった悠介の荷物。その中には、受け取った小さな箱がきちんと収められていた。


「美桜さん、ここに私がいてはみなさんにご迷惑をかけてしまいますよ」

「いいえ。そんなことはありません」


 彼女は首を振る。


「私はこれでも医者ですもの。例え何かがあったとしても、私は最後までお世話させていただきます」


 穏やかな会話だった。


 あの日以来、悠介の相手は美桜に任された。彼女が渚珠に志願したもの。他のメンバーでは無理だろうとリーダーは判断した。

 ALICEポートの機能自体は平常に戻したけれど、美桜の診療所だけは再開させなかった。


 美桜は、先週末から悠介への積極的な投薬は行っていなかった。


 面会として二人でゆっくりと話し合った。一番の心配だった可憐も無事に見送った。悠介自身もあと僅かだと自覚している。それなら、可憐から頼まれたように、せめて穏やかな時間を過ごして欲しい。薬も痛み止めだけにして、他は全て切った。


 そんな美桜に悠介は感謝していた。散歩などにも付き添って、ずっと海を一緒に見ていた。

 海と星を見るのが好きだった可憐との思い出をかみしめた。


「おなか、すきませんか?」

「いつも、すまないですね……」

「いいえ……。構いません……」


 食事を作ってくれている奏空にも伝えていないけれど、ここ数日、口にしたのは水分だけで、固形物はほとんど取っていない。

 その様子を見て、美桜は最後の決断をした。


「このお部屋では、少し暗いですね。サナトリウムの方に移られますか? 今日なら、あちらの方が暖かいと思いますよ」

「では、そうしましょうか」


 美桜の押す車椅子に乗って、ゆっくりと移動する。


「美桜さん、あなたには本当に感謝しなければならなりませんね……」

「いいえ。そんなことはありません……」


「もし、あの当時、可憐と結ばれていて、子どもが生まれたとき、女の子なら深愛みおと名づけるつもりだったのですよ。僕たちは不妊と言われていましたからね」


「ですが……」

「結局は同じです。僕も可憐も、どこから来たのか分からない。二人で精いっぱい生きた。それだけです。この次に生まれてきたときは、また可憐を探しだしてみたいと思いますよ」


 診療棟を抜けて、併設されているサナトリウムのベランダに出た。


 オープンにも、ガラス戸を閉めて温室にすることも出来る。窓の外は砂浜とその先に続く水平線だ。この先に明かりはないから、夜になると満天の星が見える。


 寒くならないように窓を調整する。お昼を過ぎて、日が少し西に傾きかけていた。


「他の皆さんにも、お礼をお願いできますか?」


「ええ。お呼びしましょうか?」

「それには及びません。皆さんは本当に素敵な方々です。ありがとう」


 美桜が彼と交わした言葉はそれが最後だった。


 渚珠を連れて戻ったとき、彼は柔らかい午後の日差しの中で、可憐が願ったとおりに微笑んだまま眠りについていたのだから。




【※ロボット三原則】アイザック・アシモフのSF小説を発端とする、「(第一)人間への安全性、(第二)命令への服従、(第三)自己防衛」を目的とする3つの構成から成る、ロボットが従うべきとして示された原則。

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