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黄泉比良坂(仮)〈ヨモツヒラサカカッコカリ〉  作者: 長岡まさ
第一章 始まりの合図の始まりは如何に
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肆幕:卑弥呼

「はい、どうぞ」

 戻って来たイタチさんの右手には可愛らしいピンク色のティーポット、左手には幾何模様の入った二つのティーカップがあった。そのポットから例の湯のみへ注がれる緑茶で、白く湯気が上がる。

「それ。いい加減、急須に揃えろよ」

「良いじゃないの。この方が、紅茶淹れる時にも使えるでしょ?」

 イタチさんはカップにも同様に緑茶を並々と注いだ。

「何でも形から、じゃないのかよ」

「そこはまあ、臨機応変よ。大人のタ・シ・ナ・ミ」

 すらりとした人差し指を左右に振り、イタチさんは唇を尖らせた。ヒミコ君は眉間に皺を寄せて溜息を吐く。

「こいつ、口ばっかで、結構いい加減な性格なんだ」

「ヒミちゃんはねぇ。ちょっとおマセさんで、ひねくれちゃってるけど、根は良い子よ」

 お互いに睨みを利かせる二人はまるで、幼い兄弟のようだ。

 思わず、ふっと吹き出すように笑ってしまった。それを見て、イタチさんが目尻を下げる。

「うん、素敵。女の子はね、やっぱり笑ってる時が一番輝くの」

「イタチ、何だよ、その臭い台詞」

「私、もう女の子って歳でも無いんですけど」

「いいのよ。アタシより若いんだから、ジューブン女の子!」

「イタチが二十歳若返っても、危ないオッサンに変わりねぇけどな」

「ちょっと、ヒミちゃん!」

 テンポ良く交わされる言葉が小気味良い。

「あーあ、また変な名前のやつ増えんな。何で、思い付きで決めるかなー」

「ヨモギって変かな? そういうヒミコ君だって、随分変わった名前だと思うけど」

「そりゃそーだ。何てったって、日本で一番すげー人の名前だから」

 ヒミコ君は無邪気に笑った後、ほんの少し何かを思い描くように遠い目をした。

「え?」

「この子、ヒミコって名前、相当気に入ってるのよ。前に、このコの母親に貸してもらった紙の小説が家にあってね。そこから採ったの」

「小説――もしかして、夢幻泡影むげんほうようシリーズとか」

「そう! それよ。ヨモギちゃんも読んだことあるの?」

「はい、高校生の時に」

「あら、まさかあんな古い作品で、同じの読んでるコが居るなんて。運命感じちゃうわ」

 本日二度目のウインクが、イタチさんの左目からばっちりと繰り出される。

 高校時代、紙の書物を読むのに夢中になっていた時期があった。

 私の入学当時、既に高校には図書室が無かった。学習資料の閲覧も趣味の読書も、アイズ一つで賄えたからだ。だがある時、処分し忘れられた小説が倉庫に幾らか仕舞われていたのを運よく見つけた。歴史上の人物をモチーフにしたシリーズ小説、夢幻泡影は、その一番奥に眠っていた段ボール箱から掘り出したものだ。その中の一冊に、確か卑弥呼の巻があった。

「ヒミちゃんもその小説読んだのよ。そしたらね、歴史上の偉人で力比べしたら、ヒミコは一番強いとか言い出して」

「だって、最強だろ」

 朧げな記憶だが、物語の卑弥呼は異能力者として描かれていた。女王として巫女として、国の未来を占いによって導き、天候を自在に操る術を心得ていた。そして彼女が死んだ際には天変地異が起こり、それを鎮めるために、大勢の者が卑弥呼の遺体と共に生きたまま埋め立てられた。その埋葬シーンはかなり衝撃的で、その部分だけ鮮明なイメージが脳裏に焼き付いている。

 大昔は教科書に掲載されていた人物だが、実在しないと立証されたためか削除になったと聞いた。卑弥呼に関して、小説以上の知識は持ち合わせていない。

「最強、かあ」

 内容は勿論フィクションだろうが、本当に未来を予見したり、天候を自由に変えられる人物がいたなら、ある意味最強と言えなくもない。

「雪も、降らせられたかな――」

 もし、雪を降らせられるのなら――


「話が逸れちゃったわね」

 イタチさんは笑って、ティーカップを手に取った。

「色々変な質問したせいで、嫌な思いさせちゃって。ごめんなさいね」

「いえ、そんな」

「辛い時はね、辛いって言って良いのよ。アタシたちはね、悲しくて辛い過去を背負ってる。そしてそれでも、前を向いて歩んで行かなくちゃいけない」

 一口緑茶を飲み、イタチさんはそっとカップを置いた。

「でもね、そのために、自分独りだけで踏ん張る必要なんてないの」

 彼の瞳に、私の顔が映り込んでいる。

「支え合って、手を取り合ってで良い。それで笑顔になれるなら、多少のカッコ悪さは脳内処理しちゃいましょ? 頑張れたとこだけ取り出して、都合良く解釈しちゃえばジョーデキよ」

 その全てを包み込むようにゆったりとした微笑みは、温かく私の心を撫でた。

「他にも、そういう連中がここには集まってるわ。ヨモギちゃん、これは本当に、アタシ達の我がままなお願いなの。良かったら、ここのメンバーになってくれないかしら」

 懇願するような口調で、イタチさんは目を細めた。

「たまに顔を出して、楽しくおしゃべりする、それだけでも歓迎するわ」

「あの、私」

 考え込む時間は必要無かった。まるで呼吸をするようにすんなりと言葉が出る。

「また来たいです! 寧ろこちらからお願いします。是非、メンバーに加えて下さい」

「うふ、そんな風に言ってもらえて嬉しいわ」

 悲しみを共有できる仲間が増える。私の知らない世界の果てにも、仲間と一緒なら辿りつけるのかもしれない。心強さと同時によぎった一抹の不安は胸の奥にそっと仕舞い込み、自らを鼓舞するように頷く。

「ま、交渉成立みたいだな」

 悪巧みをするような顔で、ヒミコ君がニヤリと笑った。

「交渉って何よ。全く、飛び上がっちゃうくらい嬉しいくせに。ヒミちゃんはホント、素直じゃないんだから」

「は? 何でそうなるんだよ」

「あら、じゃあ嬉しくないの?」

「逆に、こんなぼさっとしたヤツの世話しなくちゃと思うと、憂鬱なくらいだ」

「あーら、そう」

 含みを持たせるように頷きながら、イタチさんは口の端を持ち上げた。

「ヒミちゃんのその右手も、憂鬱なお世話の一環なのかしら」

「は?」「え?」

 二人同時に気の抜けた声が漏れる。

「お返事までキレイにシンクロしちゃって。このアタシが気付いてないとでも思ってたの? 全く二人して抜けてるんだから。見てるこっちが恥ずかしくなっちゃうわ」

 イタチさんは口元を手の甲で押さえながら、声を上げて笑った。

 顔が一気に熱くなり、火照る頬を右手で扇ぐ。ヒミコ君の方を向く事は出来なかった。

 随分長くそうしていて慣れたと思っていた手の繋がりも、意識してしまうと途端に指先に力を入れられなくなる。小学生くらいの子どもと手を繋いで、照れている大人なんて何とも情けない。しかし、彼の方に慌てる素振りはなかった。


 その日は、それ以上踏み込んだ話はせずに帰宅する事になった。きっとイタチさんの心遣いだったのだろう。

 席を立とうとした瞬間、左手が久しぶりに自由になったのが分かった。ヒミコ君は何か話したい様子だったが、両手を頭の後ろで組んで黙ったままだった。

「ごちそうさまでした。お茶もお団子も、すごく美味しかったです」

「次にヨモギちゃんが来る時は、もっと美味しいもの、用意しておくわね」

「はい。楽しみにしてます」

 母にまつわる情報が真実であれ、小さな可能性であれ、私の世界は最初にこの店の扉を潜った時とは大きく様変わりしていた。

 この店は、一体誰が名付けたのだろう。“黄泉比良坂”、VRに侵されない、日常とは全く違う香りのする店。うっかり何十年も過去へタイムスリップして来たような、異質な空間――


 店名の入ったマットレスの上に立ち、出入り口の取っ手に手を伸ばす。

「あのさ」

 漸く口を開いたヒミコ君の声に反応し、振り返る。彼は、こちらへ目を合わせようとはしなかった。

「オレ、ちょっと外は面倒だから、ここであれだけど」

「うん」

 少し言いにくそうにしてから、彼は言葉を選ぶように口にした。

「あんた、聞きたいことはさ、どんどん聞いた方が良い」

「うん?」

「聞きたいこと、聞かないとか。言いたいこと言わないとか。それって、なんかずっとモヤモヤしっぱなしだし。その、時期とか、順番とかも大事っていうか――」

「うん」

「だから、その――何かあったら直ぐ言えよ」

 優しさへの嬉しさからか、ほんの少し気障な口説き文句への恥ずかしさからか、また顔が熱い。彼のぶっきらぼうで真剣な申し出は、まさに男の子といった感じだ。

「うん、分かった。ありがとう」

 頷きながら一つ気になっていたことを、じゃあと切り出す。

「まずは名前、呼んでもらおうかな」

「は?」

「私の名前、まだヒミコ君からは呼んでもらってないよ」

 呆けたように口をパクパクとさせた後、ヒミコ君はこちらを向いた。

「あんたさあ! あーもう、オレ、結構真面目に言ってんだけど。ほんと呑気過ぎ」

「うふふふ。もう、ヒミちゃんたら。それくらいさらっと呼んであげなさいよ、男でしょ!」

 イタチさんがその小さな背中をばんと叩き、つんのめるようにしてヒミコ君はよろける。

「叩くなよ、イタチ」

 ヒミコ君は前髪を右手で掻き上げ、左手を腰に当て、大袈裟に溜息を吐いた。

「しょうがねぇな。オレの言いたいこと、そういう事じゃねぇんだけど――じゃあな、ヨモギ」

「うん。またね、ヒミコ君」

 胸の前で小さく手を振り、扉へ向き直る。

 振り向きざま、ヒミコ君のすぐ後ろにあったクリスタルの女性がこちらをじっと見ているように錯覚した。これも尋ねた方が良いことの一つに入るのだろうか。


 カラン。

 鐘の音が、非日常に区切りを付けるように、高らかに鳴った。

 店内のどこかから響いて来る、ジーッという異音が背後に遠ざかる。

「今日は、ありがとうございました」

 一礼して、木製の重厚な扉から手を離した。

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