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黄泉比良坂(仮)〈ヨモツヒラサカカッコカリ〉  作者: 長岡まさ
第一章 始まりの合図の始まりは如何に
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参幕:のっぺらぼう

「私、てっきり、お母さんは、死んじゃったって――」

 混乱する思考回路を何とか宥めて、やっと絞り出した言葉はそれだけだった。

 その可能性について、一度も考えなかった自分の浅はかさと冷淡さに戦慄した。何故、決めつけたんだろう。母の遺体は見ていない。埋葬した場所も聞いていない。それならば死んだのではなく、ただ自宅から居なくなったと考えるのが自然ではないか。

 店内のどこかから、さっきまでは聞こえなかった、ジーッという小さな音がした。一度気にしてしまうと、耳の奥が疼くような妙な電子音が、延々と鳴り続けている。


「息、ちゃんとしろよ」

 肩が揺れて、はっと我に返った。ヒミコ君が繋いだ手を軽く引っ張ったようだった。

「ほら、深呼吸」

 言われた通りに大きく息を吸う。店内に漂う優しい香りが肺に溜まり、鼓動の速さが緩んだ。

「平気か? 話すの、また今度でも良いし、今日はもう」

「ううん、大丈夫。ちょっと混乱しちゃって。急に、すみません」

 湯のみに残っていた緑茶で、少し唇を湿らせる。

「その様子からすると、ヨモギちゃんは、お母様が“亡くなった”と、ずっと思ってたのね」

「はい――」

 イタチさんは両手をカウンターにつき、目を閉じて細く息を吐いた。溜息というよりは、精神を落ち着かせるための動作のようだった。

「ヨモギちゃん、幾つか、聞かせて欲しいことがあるの」

 少し長めの前髪が、ふわりとイタチさんの右目部分に影を落とす。

「もちろん、強制はしないわ。答えたくない事は、そう言ってくれていいから」

「はい」

 向けられたイタチさんの視線からは感情が読み取れず、私は息を呑んだ。

「ちょっと、変なコト聞くわよ? まず、ヨモギちゃんのお母様が居なくなったのは、十二年前で合ってるかしら」

「――はい」

 十二年前の夏だ。頭の中のカレンダーが時を遡る。そして、私がその事実に気付くのは、一年半後の三月だった。

 何故、この人は母の“失踪”の年を知っているのだろう。

「“その日”がいつかは、正確には分からないわよね」

「夏の終わり、としか」

 あの日について何か、私の知らない情報が、知るべき真実が存在している。

「ごめんなさいね」

 私の意気消沈した反応に、イタチさんが慌てて手を振った。

「アタシの顔って、そんなに怖いかしら。責めるつもりじゃ全然ないのよ? その頃だと、ヨモギちゃんは、まだ中学生くらいかしらね」

「中学、二年でした」

「そう。お母様を失ったことには変わりないもの。その位の歳じゃ、その事実を受け止めるのだけでも、大変だったでしょう?」

「でも私、母のこと、ちゃんと確かめもせずに、自分の中で、終わったことに――」

「家族である自分が、心の中で、大切な人を殺してしまったって、そう思ったのね」

 辛い事実に力なく頷く。

「ヨモギちゃん」

 イタチさんは語気を強めた。

「アタシの言葉なんて、気休めにもなんないかもしれないけど。自分を責めちゃダメよ、絶対ダメ」

 唇がわななく。力を込めて涙を堪えた。

「大人は大抵ズルイ生き物なの。だから、物事を真っ直ぐ見ないで、穿った見方をしたりする。疑ったり、裏を読んだりね。アタシが気付いたのは、そんな汚い理由から。だから、そんなものに染まらなかった過去は、本来なら貴重な財産なのよ。それなら」

「イタチ」

 熱の籠った話の勢いを削ぐ様に、ぼそりとヒミコ君が口を挟んだ。

「あら、ごめんなさい。余計な話まで挟んじゃったわね。今のはあんまり気にしないで。いやねぇ、年を取ると説教じみちゃって」

 ほとんど空になっているグラスに、イタチさんは口を付けた。

「ヨモギちゃんはお父様がいらしたんだったわね。お父様からは?」

「いえ、詳しい話は、何も」

 共に食卓についていたのが人形だと知らされた夜、父は母が死んだとも、家を出て行ったとも言わなかった。ただ静かに、一年半前の夏の終わりから、食事を作っていたのは叔母だ、ということだけ告げられた。

 夫婦仲も親子の関係も悪くはなかったはずだ。本当に何の変哲もない一般的な家庭だった。だから、母が出て行ったとは微塵も考えなかった。子どもの私が頭に取り込んだのは、母の死という嘘っぱちだった。


「お母様が居なくなった後、代わりに、お家に増えたもの、あったでしょ?」

「え」

 質問する口調が少し尖ったように感じ、イタチさんの顔を見る。

「人間の子どもくらいある人形」

 急に悪寒が走った。記憶の中の、あの人形の姿が鮮明になり、息が苦しくなる。

「顔の部分に凹凸のない、のっぺらぼうの人形が」

「――はい」

「その人形、その後どうしたの?」

「父が、仕舞って」

「なら、まだ残してあるわね」

「はい、実家に、たぶん」

「どこかに、遺影と位牌も飾ってあったかしら」

「遺影?」

「あなたが死を連想したのは、きっとそれのせいね。今時珍しい、光沢紙に印刷された写真の」

「そう言えば、紙の写真が一枚、リビングに。微笑んだ母の顔の」

「位牌はどう? あー、正確には、位牌とはちょっと違うんだけれど。名前が彫ってあるブロックみたいな」

「黒い、このくらいの大きさの、ですか?」

 右手の人差指と親指を広げてイタチさんに示す。

「そう、そうよ。なら、やっぱり思った通りね」

 一体今、何について会話していて、何を自分が知らないのかさえ、全く分からなかった。

 ただ一人、大切なものから取り残されているような惨めさが全身を膜のように覆う。

「気にすんな」

 小さな声でヒミコ君が言う。

「いずれちゃんと話す。だから今は、あんまり根詰めんな」

「そ」

「皆そうなのよ」

 口を開きかけた私を無視して、悔しげな表情をしたイタチさんが、ほとんど独り事のように続ける。

「同じ境遇の家にはね、居なくなった人物の遺影と位牌、そしてあの大きな人形がある。大切な人と、誰かが取り替えたのよ」

 この社会から消え去ってしまった、多くの人間が、過去にとても悲しい経験、同じ境遇の家、取り替えた――?

「誰か?」

 薄く微笑む写真の母、黒い手のひらサイズのブロック、金色に輝く母の名、そして顔の無い子どもの人形――

「この失踪はね、本人の意思では決して無い。前触れなんてもちろん無い、まるで」

 イタチさんは声を低めた。

「神隠し」

 はっとした。

 居ても立っても居られない気持ちになり、勢い良くヒミコ君の顔を見る。

 彼は黙ったまま、所在無げに頬杖をついていた。その横顔は、ひどく大人びて見えた。


「お茶、冷めちゃったわね」

 振り返ると、さっきまでの深刻さが嘘のように柔らかな雰囲気のイタチさんが微笑んだ。

「もう一杯どうかしら? 淹れ直して来るわ」

 イタチさんは湯のみを持って奥の扉へ消えた。脳の情報処理よりも、心の追い付かない私に配慮してくれたのだろう。

 手を繋いだままのヒミコ君との間には、沈黙が流れた。

 ちっぽけな自分を、もう一人の自分が俯瞰しているような、奇妙な感覚がした。つい、独り言が声に出る。

「私、どうして考えなかったんだろう」

 母が生きていると、どこかで待っていると、何故信じて直ぐに探さなかったのか。何もしなかった十二年の歳月の重さに、胸が潰れる。

「手後れ、以外の選択肢をか?」

「――うん」

「あんたさ、自分の事、薄情者だとか思ってんなら、それ、違うから」

「え」

「オレにはイタチが居たからさ。あいつが気付かなかったら、多分オレもあんたと一緒だった」

 ヒミコ君はまるで他人事のようにそう言った。

「イタチ、オレの母さんと友達でさ。居なくなったその日に、何か可笑しいって気付いてさ。イタチの親父さんも前に失踪してて、それで」

 隣で淡々と真実を告げる彼から、目が離せなくなった。

「ヒミコ君も、お母さんを――?」

「うん」

 ああ、この子は哀しみも怒りもとうに通り越しているのだ。溢れ出す想いをそっと切り離して、そうしていないときっと、立っていられないくらい深く傷付いている。

 途端に彼を抱き締めたくてたまらなくなったが、唇を噛んで思い留まった。この子に、そんな半端な慰めは寧ろ失礼だと思った。

「でも、探す手立ては、ある」

「それって――」

「まだ手探りだけど、道が見つかりそうなんだ」

 そうか、と思い至った。

「だからあの時、お母さんにもう一度会いたいかって」

 ヒミコ君とイタチさんと私。三人の、大切な家族を失った者たちが、同じ店“黄泉比良坂”に会している。

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