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黄泉比良坂(仮)〈ヨモツヒラサカカッコカリ〉  作者: 長岡まさ
第一章 始まりの合図の始まりは如何に
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弐幕:茶と蓬

「お待たせ」

 奥の扉が開いて、イタチさんが戻って来る。その手には何故か歪な形の容器と、白くて丸い小皿が乗っていた。

「どうぞ、召し上がれ」

 目の前に置かれたのは、どうやら温かい飲み物を入れた湯のみと、和皿に乗った団子のようだった。

 店名から考えれば的外れでは無いのだろうが、バーの雰囲気とのアンバランスさで、咄嗟に言葉が出なかった。

「イタチ、これ何だよ」

 固まっていた私の代わりに、ヒミコ君が鋭く指摘する。

「見れば分かるでしょ? 緑茶とよもぎ団子よ」

 のほほんとした答えが返る。

「特別なお客様には、特別なおもてなしをしないと。あ、お団子はね、中につぶあんが入れてあるの。唇に触れるものは全部手作りよ」

「あ、ありがとうございます」

 そっと手を伸ばし、まず湯のみを手に取る。容器自体にかなり厚みがあり、ずっしりと重かった。

「もしかして、この湯のみも手作り、なんて――」 

 我ながら突飛な発想だと思ったが、また笑われるのを覚悟で口にする。

「あら、分かる?」

 嬉々とした表情で、イタチさんは頷いた。

「そうなの。アタシのお手製。何でも形からって言うでしょ? 緑茶には湯のみ。丈夫に出来てるけど、一点物だから落とさないでね」

 話しながら棚をくるりと見回した後、イタチさんはまたひょいと奥へ引っ込んでしまった。

「忙しいヤツ」

 ヒミコ君は興味の無さそうな声でそう言い、私の前にある皿から素早く団子を掠め取った。

「あ」

「ま、気にすんな」

 ヒミコ君の小さな口に、団子の一つが吸い込まれる。その小さな人差し指が、口元から離れるまでを見届ける。

 頭では分かっていたのだが、食事をする姿を見てやっと、彼がれっきとした人間なのだという確信を持った。彼との常識外れな出会い方、その幼いながら整った目鼻立ちに、人ならざるものを連想してしまった私は、やはり抜けているのかもしれない。


 手にしている湯のみに口を付け、ゆっくり緑茶をすすった。

 顔を近付けた時から、今まで飲んだことのある、どんな飲み物とも違う事に気付く。渋く、深く、複雑な風味が口の中いっぱいに広がった。

「美味しい」

 吐息と一緒に心の声が零れる。何とも情けない単純な感想だ。

 あらゆる事象に解説を加えられるシステムが売りのアイズリポートモードのように、この味を的確に表記出来ないことをもどかしく感じた。

「それ、茶摘みもちゃんと手でやってんだ」

「え、茶摘み? 手で?」

「そ、朝っぱらから駆り出されてさ。今時、でっかい竹カゴ背負って、手作業だぜ? 栽培工場じゃなくて、こーんな角度の山の茶畑」

 ヒミコ君が腕で、三十度を優に超える斜面を表現する。

「ちなみにその団子もさ、田んぼでもち米から作ってるし、蓬も半野生の摘みに行ったし。茶畑の裏、開拓せずに残してあるから。小豆は流石に買ったヤツだったかな。煮詰めたのはオレだけど」

 胸の奥がじんわりと熱くなって、瞳に水分が集まった。

「は、何で泣いてんの?」

「ううん、泣いてはないよ」

 目頭を両の人差し指で押さえる。

「ちょっと感動しちゃって」

「どこに感動するとこ、あったんだよ」

 淡白にそう言いながら、ヒミコ君は床まで届かない足をぶらぶらと揺らした。

「だって、凄いことだよ。何て言うか、うーん、上手く言えないんだけど――」

 込み上げて来るものを、どんな言葉で形にしようか迷った。

「人の手で触れて作り上げる、確かさ。生きてる実感って言うのかな。地に足が付いてる感じが素敵って言うか、――あー」

 胸の内でじたばたと足掻くが、ぴったりの単語が浮かばない。

「ん?」

 首を傾げながら、ヒミコ君は二つ目の団子を口に運んだ。

「矛盾してるんだけどね、こういう時、ちょっとアイズに嫉妬しちゃう」

「端末に嫉妬? 何で?」

「リポートモード使うと、すらすら言葉が出て来るから」

「リポートモード? ってあれか、辞書みたいな解説が流れるやつ」

「うん。あれって、こういう時なんて表現すれば良いかなって迷った時、結構便利で」

「使ってるんだ?」

「うん、たまに仕事で。言葉の意味だけじゃなくて事典みたいに出来事とかも調べられるけど、気持ちの変換機能もあるんだよね。自分の思っている事を言葉で表してくれる機能。表現も的確だし。アイズに頼るなんてって、悔しくもなるんだけど」

「あー、あれはまあ――」

 どんなにアイズを遠ざけて生活しようとも、その甘い蜜を知っていて、その恩恵に与っている私は、どこまでも中途半端だ。情けなさでまた少し、目頭が熱くなった。

「また泣いてる」

「泣いてはないんだけど」

「あんたのスイッチ、よく分かんねぇな」

 ヒミコ君は苦笑いをしながら、すっと私の目尻に浮かんだ涙を小指で掬った。まるで年上の男性に諭されているようなその仕草に、ほんの少し鼓動が早くなる。

「ま、あんたもやらされることになるよ、その内」

「ふふ、楽しそうだね」

「いや、楽しいとか感動とか、そういうこと言ってられなくなるぞ、あれは」

「このお店は、旧式農家と兼業でやってるの?」

 このご時世、栽培工場以外で農作物を育てる旧式農家はかなり珍しい。

「んー、どっから話せばいいかなあ。それはサブって言うか――おい、イタチ!」

 彼は椅子の座面に膝をついて身を乗り出し、カウンターに手をついて奥の扉をどんどんと乱暴に叩いた。扉は案外薄いらしく、向こうから不明瞭ではあるがイタチさんの声が聞こえる。

 その間に、先程のヒミコ君の真似をして指で団子を摘み上げ、口に放り込んだ。

「うん」

 団子の柔らかな噛み心地、蓬の芳醇な風味と、餡子の程良い甘さ――頬が緩む。

「はあ、やっぱり美味しい」

「ほんと美味そうに食うな」

「だって美味しいもん。手作りの違いなのかな? 最近何を食べても、美味しいとか思わなかったのに」

「あんたさ」

 少し沈んでいるように聞こえたヒミコ君の声に、思わず顔を上げる。

「ヒミコ君?」

「いや、あのさ――」

「はいはい、ヒミちゃんお待たせ」

 開きかけた彼の口から次の言葉が出るよりも早く、イタチさんが扉の向こうから現われた。手には、二つの縦長のグラスがある。

「はい、いつものね」

 店内の薄暗い照明では上手く見分けられないが、果物を絞ったジュースのようだった。イタチさんは一つをヒミコ君の前に、一つを手に持ったままこちらを向く。

「色々と教えてあげたいことがあるのよ。ホント山のようにね」

「はい」

 居住まいを正し、真っ直ぐにイタチさんの顔を見る。

「まず、アタシがこの店のマスターで、この子がここの居候って言うのは、もう良いわね?」

 居候は初耳だったが、話の腰を折らないようにと頷く。

「で、アタシたちは同じ趣味を持った仲間同士、ここを拠点にして活動しているの。そこに、ええっと――」

 イタチさんは私の方を掌で指し示して、何かを思い出そうするかのように目を泳がせた。そう言えば、まだ名乗っていなかった事を思い出す。

「私の名前ですか?」

「ええ、そう、何て言ったかしらね――」

「あ、えっと。それじゃあ、ヨモギにします」

「は? ヨモギ?」

 隣から、ヒミコ君の抗議の色を帯びた声が上がる。

「ああ、そう言えば、まだ名前聞いていなかったんだったわね。ヨモギちゃん。いいわ、あなたにぴったり」

 蓬が似合う女というのは、一体どんな人物だろう。自ら採択しておきながら、いざぴったりだと言われると複雑な気分だったが、これで漸く二人の会話に混ざる事が出来る気がした。

「ええっと、どこまで話したかしら」

「同じ趣味の方で集まっているって――」

「そうそう。それで、そこにあなたも、ヨモギちゃんも是非、加わってもらいたいと思って。ヒミちゃんに様子を見に行ってもらってたの」

「それで何度も見かけて――」

「そういうこと」

 ごくりと喉を鳴らすように、ヒミコ君はジュースを一口飲んだ。

「オレはあんたの、ファンでもストーカーでもないからな」

 口元を拭いながら、彼は溜息を吐いた。

「オレ以外のヤツはさあ、キャラ濃いおかまだの、根暗コミュ障だの、怪しいおっさんだので、偵察には向かなかったからな」

 列挙された人々の内、最初の一名は何となく察しが付いたが黙っていた。

 失礼な話ではあるが、ヒミコ君以外の方が度々視界に現われていたら、何かしら身の危険を感じたかもしれない。確実に、一杯どうかと言われて、付いて来たりはしなかっただろう。

「私はこちらの皆さんの、御眼鏡に適ったって事ですか?」

「言い方は悪いかもしれないけれど、そういう事になるわね。あなたなら信用が置ける、ヒミちゃんの報告からそう判断したの」

 何だろう。果たして私のどこを見て、そう思ってくれたのだろうか。ヒミコ君の目に、私はどんな風に映ったのだろう。

「見ての通り、アタシもヒミちゃんも、端末をしていない。そしてヨモギちゃんも。ここがまず、分かりやすい一つ目の共通点ね」

 イタチさんは慎重に言葉を選びながら話しているようだった。

「アタシも全く使わないって訳には行かないんだけど、なるべくなら端末無しの生活をしたいって、そう思ってるの」

 その考えには心から共感できた。

「そしてね、もう一つの共通点は、過去にとても悲しい経験をしているという事」

「悲しい、経験――」

 この店へ向かう道中で少年に打ち明けたばかりの、苦しい記憶が甦る。顔の筋肉が強張った。

「その様子だと、直ぐに思い付いたみたいね」

 眉を下げて、イタチさんは力なく微笑んだ。

「過去の辛い思いを蒸し返すようで、本当にごめんなさい。――アタシたちはね、同じように大切な家族を失っている。ある日、忽然と姿を消す形で」

 店内に張り詰めたような沈黙が流れる中、イタチさんはグラスを煽った。


 あれ、と頭の中で考えが弾ける。何かが可笑しい、そう咄嗟に思った。でも、その何かが分からない。

「あんた、父親は居るんだろ? 母親が居なくなった時の事、何て聞いてる?」

「私――」

 居なくなった時? 忽然と姿を消す? そう言えば、この店に入る直前、少年が気になる事を言っていた。多くの人間が社会から消えたと――

「どうした?」

 ヒミコ君が首を捻って、私の顔を覗き込む。

 手が、震えた。

「そ、そんな――」

 背筋を一気に、冷たい感覚が伝う。カチカチと奥歯が音を立てた。

「わ、わた、し――」

 左肘の辺りの服が、くいと引かれるのを感じた。斜め下に視線を送ると、ヒミコ君の広げた右手がそこにあって、私の左手を呼んでいた。

 何時の間にか膝の上で堅く組んでいた両手を、ゆっくり解く。彼の右手に私の左手をそっと置いた。

 ヒミコ君は素知らぬ顔をして、正面を向いていた。繋いだ手をカウンターの下に隠すようにしながら、彼は空いた方の手で頬杖をついた。

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