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黄泉比良坂(仮)〈ヨモツヒラサカカッコカリ〉  作者: 長岡まさ
序章 そうしてそこへ辿り着く
3/14

弐幕:木製の扉

「正直、初めてお見掛けした時は驚きました」

 少年は静かに、抑揚の無い声でそう言った。

「何に、ですか?」

 外見は私より一回り以上年下に見える彼の、余りに落ち着いた雰囲気に、つい敬語になる。

「日本でも有数の大都市であるU市に、ウェアラブル端末を不携帯の方がいらっしゃった事にですよ」

「はあ」

 少年の口調に圧倒され、気の抜けた返事をしてしまう。

「君も、してないですよね? アイズ」

 一呼吸間があってから、彼は首を縦に振った。

「はい」

「どうして、ですか?」

「それをお話するために、本日は時間を割いて頂きました」

 少し待ったが、その話の続きをこの場でするつもりはないようで、少年は黙ったまま前を向いて進んで行く。

 話が見えず、会話も続かず、一体どこへ向かうのだろうかと一抹の不安を抱きながら、横へ並ぶように付いて行く。


 少年は荷物を何も持っていなかった。今日は随分日差しが暖かいとはいえ、冬にしてはかなりの軽装だ。カエデが愛用しているヒートウェアーを使用している様子はなく、私と同じように無地の布製洋服を身に着けていた。

「どうかされましたか?」

 私の気遣わしげな様子を見て取ったのか、少年は口を開いた。

「あ、いえ、ごめんなさい」

 つい謝罪が口をついて出る。彼は表情を変えず、浅く息を吐いた。

「黙ったままお連れしたのでは、よりご不安を煽ってしまいますね、失念しておりました。外出先で言葉を発するのは苦手なもので、大変申し訳ありません」

「え、いや、その、すみません……」

 どうして謝っているのだろう。そもそもどうして見ず知らずの少年の誘いに素直に応じているのか、自分でも説明出来ない。ただ、彼の事が無性に気になっていた。

 度々私の視線の先に現われた、冷めた表情の少年。矢張り偶然ではなかったのだろう。追いかけても追い付く事のなかった彼が、今手に届くところにいて、その声は私に向けて発せられている。それは――

「――唐突な質問で大変恐縮ですが」

「は、はい!」

 我に返って慌てたため、かなりの大声で返事をしてしまった。

「貴女は何故、端末をご使用にならないのですか?」

「端末?」

 一瞬考えてしまったが、ウェアラブル端末、アイズの事だと気付いた。

「使わない理由。そうですね、うーん」

 曖昧な返答で誤魔化すことはしたくなかったが、正直に話そうか少し迷った。

「笑われちゃうかもですけど……」

「笑いませんよ」

 彼はきっぱりとそう言い切った。その真摯な瞳が煌めいた瞬間、この少年は嘘を吐かないと直感した。話したい、そう思った。

「――嘘っぱちって、思っちゃうんですよ。アイズ越しに見えるもの」

「嘘、ですか。変わった表現をなさいますね。仮想、ではないのですね」

「うーん、これはほんとに、私の、ただただ個人的な感覚で……」

 どんな言葉を紡げば伝わるのだろうと、頭の中で考えが渦を巻く。

「仮想って、(仮)(カッコカリ)って気分なんです。あ、仮想の“仮”に、丸括弧の。嘘っぱちも仮想も、実際に無いっていうのは変わらないんだろうけど――」

 自宅の居間の風景を思い浮かべる。アンティーク調のキャビネットにアイズを仕舞い込み、木製テーブルの上に紙の資料を贅沢に広げている、私の部屋。

「取材記事で言うと……あ、変な例えですね」

「構いません、お続け下さい」

「うーんと、雑誌記事の取材で例えると、ですね。(仮)は、まだこの企画の内容、構想段階ですよ、でも何時か実現させますよって感じ。でも、嘘っぱちは、そんな取材、そもそも考えてないですよ、というかそんな事件そもそも起こってないから、取材できないですよっていう……」

 ここまで言葉にしておきながら、要領を得ない話し方に気付いて急に恥ずかしくなった。

「あ、ごめんなさい、意味、分かんないこと言って」

「いえ、何となくですが、貴女がおっしゃりたいことは理解出来ました」

 思わぬ反応に、つい顔が綻ぶ。

「ふふ。嬉しいです」

「ご職業柄、考え付かれた比喩なのでしょう。実に貴女らしい表現です」

「そうかなあ。私、ルポライターなんて肩書きは付いてますけど、そんな大層な仕事――」

 ふと会話の流れに違和感を覚え、少年の顔を覗き込んだ。彼もこちらを見たが、その表情はぴくりとも動かなかった。

「私たちって、お話するの、今日が初めてですよね?」

「はい」

「そう、ですよね」

 彼は全く動じる様子がない。

「私について、不審に思われる点がおありかもしれませんが、今暫くご容赦下さい。この場では、お話し出来ないのです」

 何処へ辿り着けば聞けるのかと尋ねたくなったが、答えは貰えないだろうと口を噤んだ。


「先程の」

 二度目に路地の角を曲った時、少年の方から再び沈黙が破られた。

「お話の続き、聞かせて頂けませんか」

「続き?」

「まだ、あなたが『笑われる』とおっしゃった核心部分は、お聞きしていないように思ったものですから」

 少年の鋭い観察眼に、胸が高鳴った。彼の促すような頷きに小さく頷き返し、深く息を吸ってから話し始めた。

「――昔、大のアイズっ子だったんです、私。可笑しいですよね、今はこんななのに」

 自嘲気味に笑う私に、彼は同調しなかった。

「映像とかで見たことあります? 昔は、眼鏡ももっと重くて、がっしりした感じだったんですよ。網膜に照射されるレーザーも今より結構強くて。だから子供は基本使っちゃダメって、言われてたくらいだったのに」

 爪が掌に食い込むのが分かった。

「私が中学へ上がる頃やっと、生活を丸ごとカスタマイズ、みたいなのが流行り出して。私、周りのありとあらゆるものに嘘っぱちを重ねてた」

 思い出す。

「中学三年の冬、高校受験が終わった日。ちょっと時期外れの、雪が降った日で、その夜、父が、アイズ外しなさいって、ご飯食べてる時」

 思い出す。

「メニューも全部、覚えてる。ブリの照り焼きに、揚げだし豆腐に、大根とにんじんのお味噌汁に」

 思い出す。

「目の前に、いつものクッション、乗せた椅子に、お母さん、座ってて、笑ってて、美味しそうに、ご飯食べてて」 

 視界が滲む。

「でも、アイズ、外したら――」

 続きを話そうと思うのに、声が出なかった。代わりに嗚咽が酷くなる。

「――お母様は、いらっしゃらなかったのですね。それも随分と前から」

 少年は、優しい声音で言葉を継いだ。

 あの日、アイズを外した私の目の前に座っていたのは、ただの人形だった。私は一年半も前からそこに母が居ない事に、全く気が付いていなかったのだ。

 作り上げられた嘘っぱちは、大切で温かくて目を反らしてはいけないものを、全部覆い隠して遠くへ攫って行ってしまう。あの日、その真理を目の当たりにした。

「あの時は、どうして、もっと早く教えてくれなかったんだって、父を責めたけど、今ではちゃんと、分かります、私がバカだったって。何で、気が付かなかったんだろう」

 右手が急に温かく感じて、自然に顔を向ける。少年が私の拳を、手のひらに食い込む指を、小さな手でそっと開いてくれていた。

 繋いだ手をしっかりと握り、ぶれることなく前を見つめている彼の横顔に、思わず見惚れる。空いた左手でそっと涙を拭った。

「何故今日、U市に雪の日が採択されたのか、ご存知ですか」

 少年は立ち止まった。目の前の古びた雑居ビルの入り口横には下へと続く階段がある。

「何故、あの端末の通称が“eyesアイズ”と言うのか、お分かりになりますか」

 手を引かれるまま、彼に付いて行く。

「何故、多くの人間がこの社会から消え去ってしまった事実に、皆お気付きでないのか」

「それって、どういう――」

「お母さんに、もう一度会いたい?」

 少年のその最後の問い掛けは、木製の厚い扉の前に、年相応に幼く響いた。彼は、鈍く光る金属製の取っ手を引き下げ、重そうな扉を身体全体で押すように開く。


 カラン。

 鐘の音がする。

「ようこそ。Bar“黄泉比良坂(よもつひらさか)”へ。全てを、お話しします」

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