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肆幕:氷菓子

 アイコンは機能別に色分けしてある。黄緑はコールのリアルタイム受信の合図だ。名前は――

「カエデ!」

 足がもつれそうになりながら、通話のアイコンに指を伸ばす。また、第一声はあの人物の笑い声かもしれないと思うと、冷えた指先が僅かに震えた。

 触れた瞬間、黄緑のゼリー状の球体がぷるんと弾け、宙に浮かんだ“カエデ”の三文字がくるりと舞う。

「あ、リセ?」

 飛び込んできた音声に一瞬、耳を疑った。

「ごっめーん。何度も連絡くれてたよね? それがさあ」

 間延びしたあまりに平和そうなカエデの声が天から降り注ぐ。その緩やかな流れを遮り、勢い込んだ。

「カエデッ! 無事なんだね?!」

「え? 無事って? 何が?」

「なんだ、そっか。良かった、そうか」

「んん?」

 カエデは混乱したように、疑問符を幾つも浮かべたような声で唸った。

「良かった、ほんと」

 安堵で身震いした。同時に納得した。そうか、そうだったのだ。

「リセ、あたし話が全然読めないんだけど」

 自分の置かれた状況が凡そ把握できた。カエデの安全も確認できた。彼女はもう大丈夫だ。

 そうと分かれば、この次にすべきことは決まっている。

「ごめん、カエデ。ちゃんといつか説明するから!」

「え、ちょ、リ――」

 コール切断のアイコンを押す間も惜しく、カエデが何か言いかける言葉もそのまま、アイズを乱暴に顔から引き剥がした。

 全ての元凶はこれだ。情けなさと怒りでアイズを掴んだ右手に力が籠る。

 カエデからの音声メッセージ、そもそもあれが偽造だった。あの頭の可笑しな人物に出くわす前に、何故注意深く確認しなかったのか。視界の操作以前に、疑うべきところはそこだったのに。カエデが初めから攫われてなどいないと気付けていたら。

「こんなもの!」

 全身に溜まった苛立ちを両手の力に変換する。懇親の力を込められた私の眼鏡型ウェアラブル端末は、ぱきんと間抜けな音を出して二つになった。

 ふと、幼い頃に何度か食べたポッキンアイスが思い浮かんだ。細長い形状で、真ん中部分で二つに折れるようになっている、ビニール包装の氷菓子だ。一世紀前の復刻食品が流行った時期があり、大して美味しかった覚えはないのに、度々母にせがんで買ってもらった。握った手が冷えないようにと、母が両手に巻き付けてくれたイエローとオレンジのハンカチを思い出し、胸が熱くなる。もしかすると、あのハンカチを巻いてもらいたくて、あの氷菓子を食べていたのかもしれない。

 綺麗に左右に分かれたアイズの割れ目から、カラフルな配線が幾本も覗いた。それを強くねじる様に引っ張る。数本の配線がぶちぶちと切れ、ようやくフレーム上で点滅していたランプが消えた。これでもう、この端末から位置情報が発信されることはないだろう。   

 何故だろうか。むくむくと勇気が湧き上がってくる。

 自由だ! この瞬間、私は、嘘っぱちの世界から解き放たれ自由になった。

 立ち止まり、勢いを付けて振り返る。だが、うっすらと立ち込める霧のようなもので追っ手の姿はおろか、数メートル先さえ見えなかった。

「追っ手も映像、だったりしないかな」

 いや、そんなはずはない。

 後頭部に突き付けられた銃口の感触も、両手を掴まれた感覚も確かにあった。あの男性は、私の位置をいつでも確認できるという余裕から、ゆっくり移動しているのかもしれない。それならば、アイズからの位置情報発信がストップした今、異変に気付いて距離を詰めて来ても可笑しくはない。

 アイズを前方へ投げ、その上を強く踏みつけてから速足で進む。

 丁度よい具合に建物の隙間を抜け出た。

 薄暗い路地裏から広々とした明るい通りへ出ても、霧のせいで街はぼんやりと霞んでいた。まだ追っ手の気配はない。

「本当に霧、出てたんだな」

 この視界の悪さでは、追っ手もこちらを見つけるのに苦労するはずだ。用心しながら通りを横切り、再度別の建物の間の路地へ潜り込む。途端に息が詰まり咳き込んだ。

「え、何この臭い」

 嗅いだことのない臭いがした。腐敗臭だ。足元には所々湿った苔が生えており、路面タイルも割れや汚れが目立つ。

 U市内にここまで整備の進んでいない場所があることに、驚きを隠せなかった。

 アルファベット名が冠された市名の場所は、比較的新しい開発都市だ。表向きは塵一つないような管理の行き届いた街並みにも、こうしてくすんだ部分が生まれる。アイズの映像技術にかまけて、現物の補修や改善を怠るためかもしれない。嘘っぱちが現実を食っている、そんな思いがした。


 見慣れない場所をただひたすら進んだ。

 アイズを捨てた今、ここがどこなのか調べる手立てはない。手持ちの現金もなく、誰かに連絡をする手段もない。公共施設は勿論のこと、大抵の店には入店すらできない。騒ぎを起こして通りすがりの誰かに通報してもらうか、直接知人宅を訪問し、相手が外出するまで家の前で粘るくらいしか、思い付く選択肢がなかった。前者ではあの人物に再度捕まる可能性も高くなる。

 ぼんやりと窺える太陽の方角と、今まで移動した距離からすると、住宅地街が近いはずだ。

 とにかくBar“黄泉比良坂”から、ヒミコ君からは何とか距離が取れた。それだけでも十分頑張った。

 そう彼の顔を思い浮かべた刹那、真後ろから声がした。

「もしや、そこにいらっしゃるのは――」

 背筋がひやりとする。

「ヨモギさんですか」

「え?」

 その呼び名を知っている、この幼い声は――

 息を呑んで立ち止まり、そっと振り返る。

「やはり貴女でしたか」

 不自然なまでの丁寧な口調。そこには、初めに会話した時のヒミコ君が立っていた。

「この路地は通用ではありません。この視界の悪さで、その速度で歩いていては、苔に足を取られ、思わぬ怪我に繋がりかねません」

 彼は店の裏口と思われる扉を片膝で抑え、半身を乗り出すような恰好をしていた。両手で抱えるように大きな紙袋を持っている。店内に明かりは点いていないのだろうか。ヒミコ君の背後から覗くことが出来る扉の奥は、どこまでも真っ暗闇だった。

 良かった、彼はまだ無事だったと、安堵の吐息が漏れる。だがほっとしてはいられない。私を追っている人物は今も私を、そしてヒミコ君を探しているはずだ。

 彼より後方の路地を覗き込むように確認する。霧は立ち込めているが、追っ手の気配はない。ここで彼が捕まってしまうことだけは避けたい。

「ヒミコ君、ちょっとごめんね」

 そう口の中で呟きながら、ヒミコ君の肩に手をかけ、扉の中へぐいと押し込む。

「一体何をなさっているのでしょう?」

「ごめんなさい。この辺りはちょっとまずいから、暫く出て来ないで、お願い」

「まずい? 貴方はまた、何に首の突っ込ん」

「ええっと、また今度! ちゃんと説明するから!」

 焦る。まだ追っ手の姿は見えない。

 ヒミコ君をBar“黄泉比良坂”まで安全に送り届けることは難しい。現に此処にいるヒミコ君と所在不明の人物を確実に遠ざける方法――それは、彼が安全な場所に隠れている間に囮が動き回る人物に接触し、この近辺から確実に誘い出す事だ。

 忙しなく動く私の視線から何かを察したのか、ヒミコ君が怪訝そうな顔をする。

「何かあったのですね。って、あ、貴女、どうしたのですか、その膝は?」

 一瞬畏まった雰囲気が崩れかけたかと思うと再度持ち直し、ヒミコ君が私の膝を目線で指し示した。

「え、膝?」

 指摘されて初めて気が付いた。いつの間にか両脚の膝小僧を擦りむいていた。転び方を知らない小さな子供が思い切りスライディングした怪我のように、痛々しく広範囲に血がにじんでいる。

「気付かなかった――」

「怪我をする程の“まずい”事では、放っておく訳には行きません」

「あ、ヒミコ君」

 小さな体一杯で押し返され、よろけた私たちは二人とも路地へと出てしまった。

「申し訳ありませんが、こちらの店内へは私の一存ではご案内出来ません。Bar“黄泉比良坂”の方でしたら」

「駄目なの、それじゃ、その、ちょっと」

「何が“駄目”なのでしょう?」

 真実を話すのは躊躇われた。「私が囮になるから」と言ったところで、すんなり応じてくれるはずがない。しかし子どもに、ヒミコ君に危険な真似はさせたくなかった。

「あの、えっと、怪我は大丈夫だから」

「その痛々しいご様子では説得力に欠けます。行きましょう」

 紙袋を抱いたヒミコ君は、私を追い越すようにして路地を進もうとする。

「待って、ヒミコ君!」

「ほほう」

 聞き覚えのある声が耳を掠めた。ひゅっと音を立てて息を呑んだまま、呼吸が続けられない。

 第三者の声は、前方から容赦なく続いた。

「“ヒミコ君”か。まさかこんな所で出くわす事になるとはね?」

 霧の中、ぼんやりと霞んだ影が徐々に輪郭をはっきりとさせていく。

「いやはや、まずは前言撤回せねばなるまい。この僕が直々に謝罪しよう。悪かった、“君の行動は分かりやす過ぎてゲーム性に欠ける“等と。まさかあんな行動に出るとは! いや、愉快愉快!」

 棒立ちになった私達の前に、白い人型が姿を現した。白いスーツに白シャツ、白ネクタイ、磨かれた靴のつま先から深々と被ったシルクハットまで、全てが白一色だ。

「ははは。実際、君が僕を目視するのは今この瞬間が初だろう。初めましてと言っておこうかね?」

 楽しげな笑い声を上げながら帽子を軽く摘まんだ男性は、視線をこちらへ向けたまま会釈した。綺麗に撫で付けられた黒髪が、まるで作り物のようだった。

「どういう事でしょう、これは」

 ヒミコ君の腕の中で、紙袋がぐしゃりと音を立てる。

「先程おっしゃっていた“まずい事”とは、この方の事でしょうか」

 私は後ろからヒミコ君の肩にそっと手を置いた。

「――ヨモギさんの怪我の原因は、そこの貴方という事で、間違いはありませんか」

 声が心なしか震えている。

「怪我? 怪我をしたのかね。まあ、僕が手を下した訳ではない。そこの彼女が勝手に派手なスタントを極めたのだ。何、体験に痛みは付き物だ。だがまあ、僕も鬼ではない。治療を優先する事は約束しよう」

 帽子を被り直した男性はコツコツと靴音を鳴らしながら近付いて来る。このままでは――

「この子には!」

 咄嗟にヒミコ君の肩を引き、前に進み出る。

「この子には、手出しさせません!」

「ヨモギさん!」

 荷物を抱えたままの彼の片腕を後ろ手で掴み、自分の陰から出ないように固定した。

「ははは、映画のワンシーンの様だね。君が正義のヒーローで、僕が悪役だ! 実に面白い」

 男性が腰の辺りにゆっくりと右手を持っていく。拳銃を出すつもりだ、そう思って身構える。足が震えた。

 拳銃の弾は果たして、この距離で避けられるものなのだろうか。それでも、一か八か、走り出すしかない!

 ヒミコ君の腕を掴んだまま、力を込め地面を蹴りかける。

「ならばこういうシーンも良くあるだろう?」

 スローモーションの様に、帽子の陰で不敵に笑う口元が見えた。

「敵は最初から、一人ではなかった。なんていう展開がね」

 振り返るよりも先に、視界が何かで遮られた。同時に強い眩暈に襲われる。

 ふわふわと水面に漂う綿毛のような思考の片隅に、幼い溜息が聞こえた気がした。

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