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弐幕:白兎

「僕はね、あの店の()()に用があるのだよ」

 背後から投げ掛けられる言葉に弾かれるように、ヒミコ君の顔が思い浮かんだ。

「だから君は大人しく、僕をあの店に案内すれば、それで良い」

「案内?」

「ああ。このまま、おんぼろバーの前まで歩いてもらう。店の入り口を確認次第、相原楓を解放しよう」

 姿の見えない声の主は、ゆったりとした声音でそう言った。

「お店の場所なら、私に聞かなくてもアイズを使えば」

「そう思うかね? はは、マップでも見てみると良い」

 しめたと思った。アイズ越しに見ているものは、通常本人以外には認識できない。虚空を撫でる手の動きだけは誤魔化せないが、マップを呼び出すふりをして通報出来るかもしれない。

「おっと」

 大袈裟に驚くような声がして、再度銃口で頭を小突かれる。

「君は分かりやすい性格のようだ。マップ以外を呼び出すつもりなら、相原楓の事は諦めてもらうより仕方ない」

 はったりだと咄嗟に思う。

 アイズはカスタマイズの幅が無限にある。個人の好みに合わせ、アイコンの選択から操作方法まで千差万別だ。

 日常的に使用していない私のアイズでさえ、カスタマイズに凝っていた中学生時代の名残りで、初期設定とはまるで仕様が異なっている。私の目の前に広がるどんな嘘っぱちも、他者には視認はおろか想像もつかない――はずだ。

「さあて、どうする? 僕はどちらでも構わないがね」

 視線が刺さる。指先をじっと観察されている気がした。

 余裕たっぷりの相手の雰囲気に、心が揺らぐ。錯覚だと幾ら言い聞かせても、背後の人物にはその先にあるアイコンが見えているように感じられ、その不安を拭い切れない。

 歯がゆい思いを抱えながら、結局言われた通りにマップを選択した。

 両手の間に肩幅程度の四角い窓枠が現れる。その中に、小さくデフォルメされた私がいる。現在地だ。

 窓をスライドさせ、辺り一帯を確認する。Bar“黄泉比良坂”の名も、あの店が入っていたと思われる雑居ビルも、確かに地図上には存在しなかった。

「分かっただろう? 僕は嘘は吐かないさ。あの店は一見さんお断りらしくてね。直々に招待されないと、文字通り、あの店の敷居は跨げないという訳だよ」

「それなら、何処であのお店の情報を?」

「ははは、僕は嘘は吐かないが、真実を話すとは言っていない」

「私もまだ、一度しかあの場所を訪れた事はありません。前回は案内してくれた人がいたから見つけられただけで、私だって辿り付ける保証はありません」

「それで僕が、はいそうですか、と引き下がると思っているのなら、飛んだお花畑のお嬢さんだな」

「事実を言ったまでです」

 強く前方を睨みつけながら言い放つ。

「見かけによらず、君は気が強いようだ」

 男性は大口を開けたかのような豪快な笑い方をした。

「勘違いしないでほしいんだが。この場合要求をしているのは僕だ。その報酬を与えられるのも僕、それを握りつぶす事が出来るのも僕。何一つ、君に主導権は無い。君は大切な友人の相原楓か、赤の他人のガキ一匹か、どちらか好きな方を選ぶだけだ。僕のおもちゃとして差し出す用にね」

 まるで息子を諭す父親の様な語り口で理不尽を突き付けられる。この人物相手に、これ以上言葉で逃れようとしても無駄だと分かった。冷静になれ、と必死で自分自身に言い聞かせる。

 既に消えてしまったカエデと、狙われているものの今はまだ安全なヒミコ君。二人を助けるために、一体どう動けば良いのだろう。圧倒的に不利なこの状況で、今出来る事は何だろうか。

「分かりました」

「ん?」

「黄泉比良坂まで案内します」

「ほう」

 テラス席から立ち上がる私の背を、頭部に押し当てられていた銃口がなぞる。首から腰までを撫でられたような感覚に、思わず悪寒が走った。

「うん。なかなか良い身体をしている。悪くないね」

 独り言のように男性が呟いた。追い打ちを掛ける台詞に、背筋がぞっとする。

「だが、少し物足りないね。君、食事はきちんと三食取っているかね? やはり人間、健康的な肉付きが一番だ。もっとカルシウムとアミノ酸を多めに取りたまえ。そうだ、君も密着型ウェアでも着たらどうだね。はは。最近のヒートウェアーは素晴らしい。体躯が直ぐに判別出来るからね」

 男性はぺらぺらと一人で話し続けている。ヒートウェアーを愛用しているカエデの事を思い浮かべた。健康的な肉付きとは、特定の人物、カエデについて言っているのか。彼女の背を撫で回す男の姿を想像して、胸が悪くなった。

「カエデは何処にいるんですか」

「はは。教えないよ。ほら、さっさと案内を始めてもらおう。辿り着くまで僕は腕を上げたままだ。これではその内、痺れて誤射してしまうかもしれない」

 腸が煮えくり返るとは、こういう時に使う言葉なのかもしれない。最初に感じた恐怖はいつしか薄れ、怒りが数段上回っている。

 とりあえず、うんと遠回りをするつもりだった。

 前回ヒミコ君が案内してくれた時、Bar“黄泉比良坂”は随分と駅から遠い場所にあるのだと感じた。しかし店を出てどうやって帰ったものかと迷う暇もなく、すぐに見慣れた街並みを見つけた。店からたった二本東側の通りが、度々利用していた大通りだったのだ。ほぼ一直線に伸びたその道を辿り、十分後には地下鉄の車内から何も見えない窓の外を見ていた。

 あの日はてっきり、長く会話をするためにヒミコ君がわざと遠回りをしたのかと思っていたが、そうではなかったのだろう。付け狙う何者かから身を守るための手段の一つだったのだ。

 とりあえず、進もう。会話の中で何か有益な情報を得なければ。そう決心し、テラスの敷地を出る。

 視界の隅にカフェのマスコットキャラクターの兎が現われた。白兎は丁寧にお辞儀をしながら、またのご来店をお待ちしておりますと告げる。その真っ赤な目を見て、何故か因幡の白兎を思い出した。


 カフェから道は北へ伸びていた。Bar“黄泉比良坂”はここからだと北西に位置する。次に現れる角で東へ曲がり、店から少しでも距離を取ろうと思い付く。

 そして目指す道の先に差し掛かり、呆然とした。右へ曲がる道の先には、古びた建物の敷地が広がっている。

「え――?」

 少し前に来た時、ここはU市が整備した遊歩道だったはずだ。

「どうかしたかね? 今日は少し霧が出ているようだ。全く、僕の一張羅が湿気で傷んでしまわない内に早く案内してくれたまえよ」

 視界はいたってクリアだった。男性が出鱈目に話を作っているのか、それともアイズを外して見れば外界には本当に霧が発生しているのか。掌に感じる大気が湿っているようには思えない。目から入ってくる情報に呑まれた私の感覚が、現実を見失っているのかもしれない。

 仕方なく唯一の選択肢、目の前に続く道を直進する。

「折角の機会だ。楽しくお喋りと行こうではないか。はは」

 後ろからの陽気な声が苛立ちを誘う。

「君は、あの()()の名前を知っているかね?」

「――いえ」

 尋ねられているのがヒミコというハンドルネームの事でも、本当に知らない本名についてでも、答えるつもりはなかった。

「そうだろう」

 男性は笑った。

「あれはね、そもそも名前なんて無いのだ」

 まだ知り合って浅いが、辛い現実に打ちのめされた私の手をずっと握っていてくれた彼をあれと呼ばれて、怒りが更に増す。

「おや、怒ったのかね? 君は実に感情に素直だね。後頭部から怒りを発せられるとは、もはやそれは特技と言えるだろうね」

 耳を閉ざして考える。この状況の打開策を練る事に意識を集中させなければ。

 どんなに遠回りをしても、流石にU市を出る訳にはいかない。稼げる僅かな時間だけで、カエデの居場所を聞き出し、ヒミコ君に危険を知らせる方法はあるだろうか。

「君は、人間ではない、ましてや生き物でもないものを如何に表現する? ショーウインドウの中を駆け回っているAIを掴まえて、初めましてあなたのお名前を教えて下さい、と尋ねた事があるかね?」

 落ち付け、冷静になれと心の中で繰り返す。今は無思慮な話に気を取られている場合ではない。投げ掛けられた問いを受け流しつつ、毅然とした態度で言葉を発する。

「私には経験がありませんが、そういう人が居た所で不思議じゃないと思います。あなたは尋ねた事があるんですか」

「いや、あれは尋ねるまでもなく、向こうからべちゃくちゃと話すだろう。実に口煩い。僕は好かないね」

「おしゃべりが好きでないのなら、お店の子に会って、どうするつもりですか」

「お店の子? さあね、きっと顔を歪ませる事態にはなるだろうがね」

 道はまだ直線に伸びている。

「暴力を振るう気ですか」

「まあ、僕は至って温厚な平和主義者だが、噛みつかれなければそうしてみたいものだ」

「カエデの誘拐は、平和主義に反しないんですか」

「誘拐等と人聞きの悪い。これは単なるゲームさ。まあ相原楓としてみれば、飛んだ災難だろうがね」

「彼女の様子はどうなんですか。食事は? 水は? ちゃんともらえているんですか」

 質問を間髪入れず畳み掛けた。話の主導権を握ることが出来れば、情報が引き出せる可能性も高くなる。幾分ペースを乱されたせいか、男性の声に棘が混じった。

「そんなことは知らんよ。食べたければ食べるだろうし、飲みたければ飲むだろうさ」

 鼻で笑い飛ばす様な言い方だった。作り話では無さそうだ。それが本当なら、今カエデは飲食が可能な場所に居て、ある程度手足を動かせる状態だという事になる。

「カエデは何処ですか」

 苛立ちに任せてぽろりと場所を口にしてくれないものかと素早く質問する。私の意思に反して、男性は一拍休止を挟んだ後、挑戦的な声音でゆっくり答えた。

「さあ、君が容易に連絡出来ない、何処かさ」

 考えろ。カエデから連絡があったのは何時だっただろう。そこから移動するとしたら何キロ圏内になるか。あの時の音声データに付いていた録音日時表示はどうだったか。着信を確認した時、何か可笑しな点は無かったか。

 あの時、確かに感じた違和感は何だった? 何かが思考の隅に引っ掛かっている。それは一体――

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