SFを成立させる虚構…5
スターウォーズ公開は社会現象でした。
スターウォーズの最初の三作を見たのは、もう、ずいぶん昔のことです。キャリー・フィッシャーのレイア姫が印象的でした。ハリソン・フォードも若かったですね。第一作の冒頭で、画面に覆いかぶさるようにして現れる帝国側の宇宙船の爽快感、あれは残念ながら小説では再現できない映像の快挙でした。
このシリーズの宇宙船の造形センスは『2001年宇宙の旅』から継承されたもので、今までの映像作品には登場したことのないリアリティを発散していました。
映像SFに観客が期待する夢を見事に提示することで、以後、登場するSF映画に多大な影響を与えました。
それまでアメリカ映画が作ってきた、面白いけれどある種のいかがわしさをまとっていたSFというジャンルに新しい解釈をスターウォーズは与えました。
それはSFの大衆化、と言ってもいいでしょう。暗黒の空間で宇宙戦闘機の壮烈なバトルが繰り広げられる、という場面もスターウォーズによって完成度の高いスペクタクルとして観客に提供されました。
私は、スターウォーズによって、宇宙SFが追求してきたのひとつの役割が終了したと思います。小説ではあれだけの場面は再現できません。
文章には追求すべき別の道があると思います。書くべき材料は豊富です。何を書くにしろ、そこには宇宙に対する畏怖という思いはあるべきと考えるのですが。
読んでいただきありがとうございました。