厚切りジェイソンの疑問に真面目に答えてみた。
「カンジムズカシイヨ」と連発してホワイトボードに漢字を書きまくる芸で有名な厚切りジェイソンさん。
友人に勧められて彼のパフォーマンスを見たが、その中で彼が発した疑問に答えたいと思う。
・数字の「四」と「千」
一、二、三! アハー、パターンヨメテキタネ!
トミセカケテ、イキナリ「四!」
WHY JAPANESE PEOPLE! WHY! ワザトダロ、コノワナ!!
多くの人は知らないかもしれないが、実は「亖」という漢字がある。これは昔実際に数字の「四」の意味で使われていた。まあ「廿」などもあるので、古代において数字を表す字はもう少し字の形が直接的だったわけだ。
じゃあなんで「四」に変わったのかというと、「仮借(カシャ、転注ということも)」のせいである。
仮借というのは、簡単に言うともともと別の意味だった字を発音の同じ違う意味の言葉に使うことである。
例えば「我」という漢字はもともと「斧」か「刃物」の意味だった。しかしたまたま、古代中国語で「我、私を意味する言葉」という単語と発音が一緒だったので音だけを借りて「我」という意味でも使うことにした。
こんな感じで、多くの古い字が仮借で違う意味に転用されたので、もともとの意味と現在の意味がかけ離れている字も多い。
例 無 → 原義は「踊る」。踊るという意味は「舞」に受け継がれた。
免 → 原義は「出産する」。「娩」に受け継がれた。
四も同じである。「四」はもともと、口を開けて歯が出ている様子の象形だった。しかしたまたま、古代中国語で「四」を意味する言葉と発音が一緒だったから転用されたのであろう。
そして「千」についてだが、「千」は「十+点」ではなくなんと「人+数字の一」であるらしい。どうやら古代中国語では「人」と「千」の発音が近く、「人」を音符として使っていたようだが詳しい字源は分かっていないそうだ。
追記:実は「百」も同じ構造であるそうだ。「百」は「一(数字)+白(音符、ハク)」で、数字に関係する「ハク」に近い音の漢字、つまり「百」という論理らしい。
・始、触、銅
これら三つの漢字はさっきのとはまた少し違う。これらは片側が音を、もう片側が意味を示す「形声」と呼ばれる造字法で作られた漢字だ。漢字のほとんどはこうした形声字である。
「触」を旧字体で書くと「觸」である。右側の字は「蜀」と読み、要は音を表しているだけなので特に意味はないのだ。「精」「静」「清」「蜻」などが全て「セイ」という発音であるのと同じ理屈である。「青」という字を音符として使っているにすぎない。「角+蜀(ショク、音符)」で「角でつきあう様子」から「触る」という感じで意味が転じたようである。
「始」という漢字も同じらしい。「台」はダイじゃないか、と思うかもしれないが、「台」にはもう一つ「イ」という音読みがある。現代ではほとんど使われなくなってしまったが、この音は「怡」に受け継がれている。辞書によると「始」という漢字は「姉」や「妹」と同じようにもともと女に関係する字で、「女+台(音符)」で長女の意味だったそうだ。
銅も別に金と同じなのではなく、右側の「同」はただの音符である。ものすごくどうでもいいが、かつて中国の内陸に存在した西夏で使われた西夏文字では「金へん+赤」で銅を表したそうである。西夏文字は漢字でいう「会意」による造字が多く、言い方を変えるならある程度論理的にできているので、厚切りジェイソンは西夏文字を勉強したらいいんじゃないだろうか。
簡単にまとめると、「蜀という発音で、角に関係する言葉→触(觸)」、「台と似た発音で、女に関係する言葉→始」、「金に関係する、同という音の字→銅」というように作られた字である。
・「大」と「犬」
「大」は人が地面の上に手を広げて立っている様子、そして「犬」はそのまま犬をかたどった字である。よって、この二つの字が似ているのはただの偶然である。残念。
しかし一つ、面白いウンチクがある。
実はこの「犬」、上の点の部分は耳なのだ。もっというとあの出っ張っている部分が頭である。それじゃ九十度右に傾いているじゃないか、と思うかもしれないが、本当にそうなのだ。
この原因については分かっていない。かつて青銅器の表面に漢字を書くのに、古代人たちは青銅器を作った後に上から字を彫りつけていた。そして青銅器はかなり固いので方向的に九十度横に傾いていた方が彫りやすかったらしく、「犬」という字は縦になってしまったらしい、と聞いたことがあるがどの程度本当なんだか。
同じように縦になった字は「馬」や「亀」「魚」など他にもある。甲骨文字を見ると分かるが、足が左側に飛び出している。
・豊、点、円
現在、日本語の漢字では「豊」と「豐」が同じ字として扱われているが、これらはもともと二つの別の字であった。古く「豊」は「ホウ」ではなく「レイ」と読んだ。「礼」の旧字体は「禮」だが、右側は実はレイと読んでこの字の発音を表している。
これに対し「豐」こそが「ホウ」と読み、現在の「豊」という意味の字だった。上に二つ並んでいる「丰」は「ボウ」と読む。「丰」は草が茂る様子の象形で音符も兼ね、下の「豆」は穀物を盛るたかつきを意味する。これらが合わさった「豐」は、食器にたくさん食物を盛る様子を意味していたようである。
ところが、長い時間が経つうちに「豐」の上の部分が「曲」に省略されて「豊」と混同され、俗字であった「豊」が日本では正しい字体として採用されるまでになった。
同じようなことは「次」という字にも言えるかもしれない。「次」という字は本来「漢数字の二+欠」という字で、左側は「冷」の部首であるニスイではなかった。
しかしながら長い時間が経つうちに「次」という字の左側は、形の近いニスイと混同されてしまい、「次」という字形になった。
そして「点」と「円」も二つとも略字である。古くは「點」と「圓」と書いた。ますます画数が多くてイミフじゃないか、と思うかもしれないが、これらも構造的にはさっきの半分意味、半分音のただの形声字である。「點」は「黒+占(セン、音符)」で黒い点を意味し、「圓」も「口(囲い)+員(イン、音符)」で丸い囲いを意味していたようだ。まあそれでも「点」には点が四つもあって多すぎるし、「円」が四角形であることに変わりはないけど。
ちなみに「点」の下の部分は「れっか」という名前で、もともとの字形は「火」である。篆書体での字形を見れば分かるが、この時点では火とれっかは大体同じ字形である。「快」や「情」とのりっしんべんも「心」と全く同じ字形であったが、後に崩されて違う字のような形になってしまった。
・鬱
大体漢字はそもそもの性質として異様に画数が多い。日本でも戦後、それまで使っていた旧字の字体を整理し、漢字字体の数を2000字以下に減らして常用漢字を作った。
中国でも同じころ、文化大革命の時に画数の多い繁体字をやめ、日本と同じく漢字の簡略化に踏み切った。「飛」も簡体字では「飞」だし、「豊」も「丰」である。見栄えは悪いかもしれないが、書くのが非常に楽だ。
鬱は画数が非常に多いが、中国の簡体字だと「郁」である。厚切りジェイソンは中国語も勉強しよう。
参考文献 旺文社 標準漢和辞典
漢字の字源は辞書によっても違うので、あなたのお手元の辞書に違うことが書いてあっても私は知りません。(無責任)