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天職に支配されたこの異世界で  作者: 黒頭白尾@書籍化作業中


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第八十六話 心境の変化

 これまた予想外なことに俺達はそれから数日間、手掛かりも掴めない日々を過ごしていた。


「あの糞野郎、いくらぼったくれば気が済むんだ」


 ヒントを与えるとか言って金を請求されること十数回。


 奴と出会ってからまだ三日程度しか経っていないのに既に一ヶ月以上の宿代を奴に与えている……のだが肝心の答えとやらに辿り着く事は出来ていない。何故ならそのヒントとやらがいまいち要領を得ないからだ。


 要するに今の俺達は金だけ奪われているのである。ちなみにその金は今のところ殆ど奴の酒代などに消えていると思われる。


 何故ってほぼ常に酔っ払っているか、娼館独特の匂いをプンプンさせている奴を見ればそんな事は一目瞭然だろう。


「イチヤ、もういい加減にしたら? はっきり言うけど、いいように金を巻き上げられるだけよ。今の私達」

「ロゼの言う通りです! あんな無礼な奴は力尽くで叩きのめしましょう!」


 その後に情報を吐かせればいいとソラはかなり興奮した様子で主張する。


 よほどマハエルの事が嫌いなのか、俺がそれに頷けば今すぐにでもこの部屋を飛び出して今日も酒場か娼館に入り浸っている奴の元へ殴り込みに行きそうな様子だ。


 このままでは不味い事になりかねないので落ち着かせるためにもソラを傍に呼び寄せて頭を撫でる。それだけでみるみるうちに興奮していた顔が恍惚とした様子で弛緩していくのだから可愛い奴である。


「それで何か理由があるの? この状況はある意味で依頼主である貴族側を裏切っているという危険を冒しているのに、それでもあえてあの胡散臭くてどうしようもない男に対して手を出さない理由が?」


 この口振りだとロゼの方も相当奴の事を嫌っているのは間違いないようだ。まあ奴の適当なヒントの所為で情報収集している二人は無駄足を踏まされている訳だし、そうなるのは至極当然の流れだろう。


 むしろその所為で余計な苦労を掛けて申し訳ないくらいだ。

 だがそれでも俺はその力尽くという提案に首肯する気にはなれなかった。


「理由の一つとしては天職の観察眼の効果なのか何となく感じてるからだな。こいつは今の俺達が力尽くでどうにか出来る相手じゃないって」


 それとどうにも奴から敵意や悪意を感じないのだ。いや、マハエルは金を集りにくるわ、その金で酒場や娼館に入り浸るわ、人間の屑のような奴なのは決して否定しない。むしろその点に関しては積極的に肯定する所存だ。


 奴は紛れもなく人として最底辺の輩だ。


 だけどそれでも人として、マハエルという個人としての矜持は持ち合わせているように思えてならないのだ。宵越しの銭は持たないで貧しい人などに余った金を分け与えていることからも。


「それは分かるけど……って理由の一つって事は他にもあるの?」

「まあ、な。と言ってもこっちは俺の個人的な感情によるものだが」


 歯切れの悪い言葉にロゼもソラも何か言いたそうな視線をこちらに向けてくる。この様子だと既に二人は気付いているようだ。俺が以前とは少し違ってきていることに。


 そう、竜也さんと再会したことによって俺はある心境の変化を迎えていたのだ。


「正直に言うと、俺は少しこの世界に来る以前の自分に戻っている気配がある。要するに張り詰めていた鋭さが少し失われた。あるいは甘くなったと言い換えてもいいな」


 絶望しきって家族を含めたほとんどの事がどうでもよくなっていた元の世界の中で数少ない心残りと言えた竜也さんという存在。


 もう会えないのかと心のどこかで寂しく思っていたあの人にまさかの再会をすることが出来た。しかももしかしたら俺が異世界にやって来られたのもあの人が何かしたかもしれない、してくれたかもしれない可能性まで出てきている。


 その事で俺はこれまで完全に切り捨て、ほとんどどうでもいいとさえ思って心の中で切り捨てていた元の世界というものついて改めて考えるようになっていた。あるいは考えられるようになってしまったと言うべきか。


 その所為でこれまで張り詰めていた心の糸のようなものが少しだけ緩んでいるのだ。


(それにある程度時間が経過したことも影響しているんだろうな)


 時の流れは時に優しく、時に残酷である。あれだけ絶望していた俺でさえこうして立ち直るどころか、あまつさえかつての甘さを取り戻すほどに。


 勿論その要因で最も大きい割意を占めるのは目の前に居る二人の仲間なのだが、それでもやはり時間という要素も小さくはない。


(全く我ながら度し難い愚かさだな)


 それがいつか自分を追い込むことになるかもしれないと分かっているのに、それでも今の俺はどうにも本調子になれないでいた。いやあるいはこれまでがトラウマの所為で暴走していただけなのか。


(俺はどうしたいんだ? 俺を見捨てた奴らを許す気になんてならない。だけどずっとこのまま自分の不幸を恨んで卑屈になっているような状態でいるのも正しいのか?)


 この世界に来たばかりの俺ならそんなこと今はどうでもいいとか、生き残る手段を確立する事が最優先だとかで簡単に問題を先送りにしたことだろう。


 だけど今の俺は金銭などの物理的にも、信頼できる仲間を得たことで精神的にもある種の余裕が出来てしまっている。だからこそその所為で余計な事に悩んでしまっているのだ。


「……ずっと聞きたかったのですが、イチヤ様はその竜也という人物を探し出して、もし仮に元の世界に戻れるとしたらどうされるのですか?」


 そこでソラが頭を撫でていた俺の手をそっと握りながら尋ねてきた。ロゼも不安そうな顔でこちらを見つめている。どうやら竜也さんの話をしてからずっとその事を考えていたようだ。


 確かに世界を渡れる天職を持っている竜也さんならあるいは俺を元の世界へ送り返すことも可能かもしれない。


「そうだな……これまでだったら何が有ろうとあの世界に戻るなんて思わなかった。最後の拠り所と言うべき家族にさえ見捨てられた訳だしな。だけど今は考慮する一定の価値があるとは思っているよ」


 その言葉にソラがギュッと頭を撫でていた手を握ってくる。離さないという強い意志を示すように。だから俺は安心させるためにも続きの言葉を口にした。


「と言ってもこっちに戻って来られるのならって条件付きで、目的も持ってこれなかった異世界の品々を仕入れる為だけどな。今でも俺を見捨てた奴らとは顔も合わせたくないのには変わりないさ」


 これまでは滅多な事でもない限り、最初の持って来た物しか異世界の品は手に入らないと思っていたからこその一時的に帰還するという選択肢だ。


 そうでないのなら元の世界になど戻りたくもない。それもロゼやソラを置いて行くのなら尚更だ。


(いや、二人を連れて行けないとも限らないのか……ってまた余計な事を考えてるな。止めだ、止め)


 竜也さんの天職がどれだけの能力を秘めているのかも分からない時点でこの点についてはいくら考えても憶測にしかならないし、下手に考えるのは止めておこう。


 それ以外の方法による元の世界への帰還方法が見つかってもそれはその時になってから考えればいいのだし。


「まあ確かに二人の言う通り、そろそろマハエルを自由にさせるのは終わりにするべきかもしれないな。いくら金は有ると言ってもこのまま金蔓になるのは癪だし」

「そ、そうですよ。あんな奴はさっさと叩きのめしてしまいましょう!」

「……ええ、そうね。今はこの件をどうにかするのが最優先だもの」


 俺はあえて話を元に戻して元の世界への帰還という話を有耶無耶に終わらせる。


 二人もまだ最後まで尋ねる勇気はないのか、それともまだ答えを決めきれないこちらに気を使ってくれたのかその話に乗ってくれた。


 もっともそれにもう一人余計な奴が加わって来たが。


「いやいやそりゃ困る。こっちとしてはもう少しばかり楽しい時間を続けさせて貰いたいんでな」

「……鍵は掛けていたはずなんだが、どこから入った?」


 ギルドからもここの防犯システムはそれなりの物だと聞いていたのだが、この人間の屑ことマハエル改め『義賊』相手には少々ばかり分が悪かったらしい。それにしてもいつから話を聞いていたのやら。


「そんな野暮なこと聞くなよ。それよりも自由にさせてくれるのは終わりってのは本当か?」

「ああ、大切な二人からこう言われてまでお前を庇う意味はないからな」


 鋭さを失ったと自覚はしているが、それでも鈍になったつもりはない。


「そりゃ残念。もう少しばかり楽しいバカンスを過ごせると思ったんだがなあ」


 仕方がない。そう言ったマハエルは、


「それじゃあ俺の雇い主の所まで案内してやるよ」


 と、驚くべき発言を口にしてきた。


「……出された課題とやらをクリアした覚えはなんだが、それは一体どういう風の吹き回しだ?」

「それはお前達から出来る限り金をせしめる為の方便って奴さ。ああ、そう睨むなって。方便って言ってもまるっきり嘘って訳じゃなくて、クリア出来れば真犯人に近付けるようにはなってたんだからよ」

「「「……」」」


 欠片も悪びれずにそう言い切るこいつの顔面を全力で殴りたい。それが俺の……否、俺達の心からの気持ちだった。ロゼとソラもその目だけで射殺せるのではないかという殺意をマハエルに向けているし間違いない。


 こいつの事だ。大方順調に課題とやらをクリアしていたとしても、最後の課題の前で何かと理由を付けて金を集ったに違いない。この瞬間に俺は絶対にそうなっていたと確信した。


「なあ、一発だけでいいから殴らせてくれないか?」

「前に言わなかったか? 気持ち良いことは好きだが痛いのは嫌いだって。だから断る」


 そう言いながら人の金で買ったと思われる酒瓶をラッパ飲みするマハエルはある意味で大物なのかもしれない。呆れを通り越して俺はそう思うしかなかった。

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