第八話 これからどうするか?
異世界に来て肉体は強化された。それは単なる運動能力だけではなく色々な意味も含まれていたらしい。
俺はベッドから静かに抜け出すと夕日が差し込む窓際まで行って、煙草に火を点けながら自分の体の変化に前とは違った意味で驚かされていた。
(どう考えても前よりも色々と強くなったよなー)
ベッドで眠っているローゼンシアを見ながら俺はその事実を強く認識する。事故に遭う前までは俺には彼女がいたし、まあそうなれば当然の事ながらそれなりの事はやっていた。だから前と今の比較が出来るのだ。
そうでなければ娼婦というそういった事を生業にしている相手には大した経験などない自分などいいようにあしらわれるか翻弄されるだけだったろう。
そうならなくて済んだという意味でもこの強化された肉体は非常に役に立ってくれたわけだ。
(それにしてもコンドーさんがまさかこんなにも早く役に立つことになるとはな)
もっとも彼女のような奴隷娼婦は奴隷紋という刺青のような物が体に施されており、それには妊娠しないようにする効果があるとのことだったが。
でもこの分だと何が役に立つか意外と判らないかもしれない。と言ってもラケットとかは流石に無理な気もするが、果たしてどうなることやら。
そうして一服して休んでいると連想されたのか付き合っていた彼女の事を思い出してしまった。
事故に遭うまではそれなりに仲は良かったと思う。大学一年の頃から付き合って二年以上も一緒に居たし、何となくあのまま卒業しても付き合っていくと思っていた。そしてもしかしたらこのまま結婚する可能性もなくはないとも。
勘違いでなければ向こうにもその気は有ったと思う。
勿論就職とか環境の変化とかで上手く行かなくなる可能性の方が高かっただろうけど、それでもあの時の俺は彼女となら一緒になってもいい。なれればいいな、と思っていたのだ。
心を許せる家族というものを持っていなかった俺が。
もっともそんな思いもあの事故の所為ですべて無意味と化したけど。彼女だけでなく親しかった友人の多くが片足を失って将来を台無しにされた俺の傍からやがては離れていったのだから。
それは仕方のない事だと思う。俺だって逆の立場だったのなら彼女を一生支えるという決断が出来たとは思えない。
所詮あの時点での俺達は成人していようがまだ学生でしかなかった。子供ではなかったけれど、だからと言って大人でもなかったのだ。
(……こっちではそれなりにちゃんとした大人にならないとな)
それは年齢的な意味ではなく精神的な意味で。今はまだそんな気にはなれないが、将来家族になりたい人が出来たその時には、その人の人生を背負うという決意が出来るように。
その為にもやはり最低限自分の事は自分で出来るようになっておくべきだろう。短くなった煙草の存在そのものを消しながら俺はそう思った。
「となると、やっぱり金を稼げるようになるべきだろうな」
「お金を稼げるようになるって今はそうじゃないの?」
独り言に答えるその声の主は一人しかいない。
「起きたのか。飲み物はいるか?」
「貰う。喉カラカラだし」
俺はリストから水の入ったペットボトルを取り出すとそれを開けて手渡す。
「変わった形をしてるのね」
そう言いながらも受け取った水で喉を潤すローゼンシア。起き上がることであらわになったその首から胸の上辺りに掛けて刺青のようなものがあった。それが奴隷紋という奴隷の証らしい。
これが有る限り主の命令には逆らえず大抵は死ぬか使い道がなくなるまで使い続けられるのだとか。ちなみに使い道がなくなった奴隷はこっそりと処理するのが普通らしい。
この国や周辺諸国の法律だと奴隷でも最低限の衣食住を保障しなければならないとされているし、ましてや邪魔になったから始末するなど決して認められてはいない。主として奴隷に対する責任だってあるのだ。
だけどそれに反して現実はそうではない。人の少ない街の外などで魔獣に殺されてしまえば誰も分からないからだ。そうやっていらなくなった奴隷は処分されてしまうと俺はデュークに教わっていた。
(そう考えるとこいつもかなり悲惨な境遇なんだな)
外見は綺麗だし若い内は娼婦としての使い道があるだろうが、齢を取ったらどうなるのか。他に出来る仕事があればいいが無かったら悲惨である。
「なあ、不躾な質問をしてもいいか? 嫌なら答えなくても構わないから」
「ん? 何よ?」
「お前はどうして奴隷になったんだ?」
この発言にローゼンシアは少しだけ眉を顰める。やはり不躾過ぎたか。
「別に大した理由じゃないわ。家族に売られたのよ」
「それはどうしてだ?」
「……言わなきゃ駄目?」
「どうしてもとは言わないが、出来れば教えてほしい」
その言葉にしばらく黙って迷っていたローゼンシアだったが、やがてその重い口を開く。
「……天職よ」
定番の理由としては金に困ってとかだと思っていただけにこの言葉は少々意外だった。
「天職か。その様子だとあまり良いものじゃなかったようだな」
「まあね。というかここまで来たから言っちゃうけど私の天職は『奴隷』よ。だからこの境遇は私に相応しいらしいわ」
相応しいと言いながらもロージンシアの表情には陰りが出来ていた。
そんなものだけで人生を決められてしまって、はいそうですかと納得出来る訳もない。当然の反応だ。
むしろそのことを言わない事の方が俺の目から見たら妙に思えた。例えそれがこんなよく分からない風体の客に言っても無駄だと思っていたとしてもだ。
「……ムカつくな」
「え、何が? てか急にどうしての? そんな怖い顔して」
何に苛ついているかと問われればその理不尽さに対してだ。
自分の身に降りかかったあの事故の理不尽さ。それは俺にとって許容できるものではなかった。それが今になっても俺に影響を残しているらしく、その理不尽さに俺は腹を立てているのだ。
「決めた」
「な、何が?」
「確か奴隷って買えるんだったよな。だったら俺がお前を買う」
この言葉に息を呑んで驚くローゼンシア。口をパクパクさせているところを見るとどうやら驚き過ぎて言葉が出て来ないようだ。俺はそんなに驚かれることを言ったのだろうか。
「ほ、本気? 私の天職を聞いたでしょう? 『奴隷』なんて明らかに役に立たなそうな、しかも不吉な物なのよ。そ、それにそんな金を持ってるっていうの。お金をこれから稼ぐみたいな事を言ってたあなたが」
「金ならそれなりにあるんだな、これが。もっとも臨時収入的な物だからいつかは働く必要が出て来るだろうが」
でも今はこれで十分だ。ちなみに金とは贋作の事ではない。
贋作の薬を作って問題ないか鑑定してもらった時にその場に居た医師や商人に幾つか買い取って貰った時に手に入れた金の事である。
ボンボンの所為で薬やその素材が届かなかったからか結構な数を買い取って貰えたのは思わぬ幸運と言うべきか。
数は少ないがこの薬を必要としている人はこの街にデューク以外にも居たというわけだ。
「全部でこの通り、金貨十枚だ。これだけあれば十分だろ? それに考えてみれば奴隷を買うのは異世界物の定番だしな。絶対服従の仲間が出来るのも俺としても有り難い。勿論嫌なら断って構わないぞ。別の奴を探すだけだしな」
「い、嫌じゃない! こんな境遇から抜け出せるのなら何でもいい! だからお願い! いいえ、お願いします! 私を買ってください!」
「別にこれまで通りでいいって。今更変に畏まられても気持ち悪いだけだしな」
「え、でも」
「いいから」
そこでまた一服しようとして止めた。考えてみればローゼンシアに副流煙を吸わせてしまう事になると今更ながら気付いたのだ。そしてそんな自分がおかしくて思わず笑いがこぼれる。
そんなマナーを異世界に来てまで気にするのか、と。
どうやら染み付いてしまった習慣や自分の性格などはそう簡単に変わるものではないらしい。
それが良い事なのか、はたまた悪い事なのかまでは分からないが、なんだか少し安心した。
「この際だ。どうせなら他にも奴隷を何名か買うのも有りかもしれないな。ローゼンシアなら他の奴隷について知ってることもあるだろうし、その選別の手伝いもしてくれよ」
「そ、それは良いけど、そんなに奴隷を買って何をするつもりなの?」
「そうだな……」
特に考えていなかったが、ただ無駄に浪費する奴隷を買っても意味がない。
だから何らかの活用法は考える必要があるだろう。そこで俺は先程の金を稼ぐ方法についての事を思い出す。
「よし、俺はこれから冒険者になるから奴隷でパーティを組もう。それなら買った奴隷も無駄にならないし、金を稼ぐ事も出来るしな」
これこそ異世界物の定番その2と言うべきものだろう。それにデュークに聞いた話では絶対に裏切られることの奴隷をパーティに加えるケースがあるとも聞いているし問題はないはずだ。
「ああ、別に捨て駒とかで使い捨てにする気は更々ないから安心するといいさ。それで奴隷を買うにはどこに行けばいいんだ?」
「どこってその奴隷を扱っている奴隷商人のところだけど……まさか今から行くつもり?」
「善は急げと言うからな。やってるなら早速行くとしよう。ほら、お前も準備しろって」
俺に急かされるままにローゼンシアは準備を整え、俺達はその奴隷商人とやらの元に向かっていった。