第七十三話 天職に殉じて
思ったよりも簡単に三つ首全てを刈り取ることに成功した俺はそれでもまだ警戒を解かずにいたが、
「安心しなさい。再生なんてさせないから」
その言葉通りシャーラが首の無くなった胴体に触れた途端に徐々に生え始めていた首の動きが止まった事でそれも終わる事となる。エストからも間違いなく死んだと言うお墨付きも出た事もあるし。
「さて、ご自慢の配下はこうなってしまった訳なんだけど降伏する気はあるかしら?」
「そんなのないって分かってるくせに。無駄な事を聞くのね」
「念の為よ」
片腕を失い、力無く奥の方の壁に寄り掛かりながら戦闘を傍らで見守っていたネーメラがこの追い詰められた状況でも焦る事はなかった。
ただそれでもやはり片腕を失った事による出血と体力の消耗は隠しきれないのか真っ青な顔をしているし、呼吸もかなり荒い。
だがそれでも俺達は油断せずにネーメラにゆっくりと接近していく。こうもあっさり魔物を倒せたことから察するに何か罠があってもおかしくはないからだ。
もっともここまで圧勝できたのは運が良かったのが大きいが。そうでなければもっと手古摺っていたに違いない。
「本当にもう、さっきから予定外な事ばかり。こんなに早くここを嗅ぎつけられるだけじゃなくて、あの忍者が裏切るのも、あっさりとあの子が殺されるのも含めて全部よ。本当に思い通りにならなくてムカつくったらないわ。まあでも……」
そう言いながらネーメラはズルズルと力無く壁を伝って座り込んで行く。
そしてこう呟いた。
「最後に『蠱毒師』としてこれだけの事が出来たからよしとしましょう」
その瞬間、背後にあったトリプルヘッドドラゴンの死体が突如として爆ぜた。その体液の全てをまるで周囲に撒き散らすようにして。
「助かったぞ、エスト」
「たいした事じゃないから気にしないで」
それにいち早く反応したエストが瞬時に骸骨の山で壁を作ってくれなかったら今のように回避行動に移っていても完全に躱し切れたか分からなかっただろう。
実際壁となった骸骨の山はそのほとんどが爆ぜた体液によって溶けているし、無駄に贋作を浪費する事を抑えられただけでも助かるというものだ。
「流石にあれで仕留められるほど甘くはないようね。でも残念。もう手遅れよ」
そのネーメラの言葉を合図にしたかのように洞窟が激しく揺れ始める。
「お前、何をした!?」
「何をってそっちがあの子と戦っている間にこの洞窟に張ってあった結界を解除しただけよ。完全に解除されるまであと十分ってところかしら」
それはこの洞窟内に充満した毒素が外に流れ出すまで残り十分しかないということに他ならなかった。そしてそうなれば周囲への被害は甚大なものになるのは目に見えている。
「ああ、言っておくけど一度解除した以上は私でもどうしようもないわよ。だからいくらアタシを痛めつけてどうにかする方法を聞き出そうとしたって無駄ってわけ。本来の予定では完成したあの子を外で暴れさせて、討伐した後に更に周囲へ毒素を撒き散らすって言う二段構えの傑作になる予定だったのにそっちの所為で全部台無しよ」
そう言うネーメラの顔は既に真っ青を通り越して白くなって来ており、流れる血もないのか出血も穏やかになって来ている。
そしてその体を見たエストやシャーラも首を横に振ってもう助からないことを告げて来るし、ここでこいつが死ぬのは確定した。
もっとも最後にとんでもない置き土産を残す事となったが。
「お前は……どうしてここまでするんだ?」
クランの為なのか、それとも別の目的が有ったのかは知らないが、自分の命を失うことすら恐れずにこんな事を迷うことなく実行できるネーメラを俺は理解出来なかった。
これなら生きる為にクランを裏切るカイラルの方がまだ理解出来る。
こんなの捨て駒にされたのと一緒ではないか。どうしてそんな生き方を選べるのか。
そしてその上でそんな穏やかな顔が出来るのか。
だがそんな問いに対してネーメラは確固たる解答を返してくる。
「どうして? そんなのアタシの天職がそういうものだからで、それに従ってこれまで生きて来たから。それ以外に理由なんてないわ」
天職だからという俺には到底理解できない答えを。
「そこの『医者』みたいに優秀で恵まれた天職を持っている奴らには分からない話よ。『蠱毒師』や『死霊魔術師』のような忌み職やそれに近い天職を持って生まれてきた奴にまともな居場所はおろか、どう生きるかの選択肢すら与えられないんだから」
どんなにその天職とは違う生き方をしようとしても自分の天職は後を付いて回る。それはソラやロゼにも言える話だ。
どう言い繕うとこの世界で生きる上で天職というものに人生を左右されるのは否定できない。
「この世界はクソよ。現に幼馴染の男の子の素敵なお嫁さんなる、なんてバカな夢を持っていた少女にこんな忌み職を与えて全てを奪い去るんだから。ましてや家族やその男の子でさえ何もしていないその少女の事を殺そうとするぐらいだもの。まあ結局は全員意図せずに返り討ちにしてやったけどね」
「お前……」
「なによその顔。まさか同情でもしてるの? お生憎様、別にこんなのはありふれた話よ。でもそうやってクソみたいなこの世界がアタシに天職というどうしようもない役割を与えるからそれを実行してあげた。これはただそれだけの話」
だから後悔は一切ない。そんな感情を抱く私はずっと昔に死んだのだから。
そうネーメラは言い切った。
その言葉通り全てをやり切ったような晴れやかな顔でネーメラは最後の問いを口にする。
「ねえ【医狂い】。不治の病に侵されてもなお、奇蹟的に救われるなんて恵まれたあなたにこうするしかなかった私はどう見える? 天職というこの世界が示した生き方に殉じて生きるしかなかったアタシは間違っているのかしら?」
そのもはや意識が保てているのか分からないような譫言の問いかけにシャーラはゆっくりと、しかしはっきりと答える。
「……ええ、間違ってると思うわ。少なくとも私はそんな生き方を認めない。たとえ世界が相手でもなんとしてでも抗ってみせるわ」
「ふふっ、そう言うと思った。だからあなたみたいな偽善者がアタシは大嫌いなの、よ……」
そこで限界が来たのかネーメラは瞼を閉じて、
「ああ、ほんと、やってられ、ない、わ……」
そのまま動かなくなる。
その寝ているように見える顔は何処にでもいる普通の女性のものだった。




