第七十話 根無し草
その洞窟は奥に行けば行くほど異様な雰囲気に包まれていった。
「やっぱり明らかに空気が淀んでるよな?」
「ええ、発生しているこれは明らかに自然の毒素ではないわ。どうやら何かが居るのは間違いなさそうね」
現在の洞窟内で先に進んでいるのは俺とシャーラとエストの三人だけで、ロゼとソラは何かあった時の為という名目で入口付近に待機して貰っている。
まあ本当のところはこの淀んだ空気に耐えられそうになかったからというのが最大の理由なのだが。
入るまでは何ともなかったのに洞窟内に少しでも足を踏み入れると状況は一変。
恐らくは何らかの毒素を孕んだ空気が洞窟内に充満していたのだ。念の為と言ってシャーラが煙草と同じように確認しているので間違いない。
『医者』のシャーラはその天職や臓器の特殊性のおかげもあって体内に毒素を取り込んでもすぐさま浄化できるし、『死霊魔術師』のエストは毒に対して一定の耐性を持っているからこの程度では問題なし。
そして最後の俺は『剣王』を倒した事で更なるマナを摂取したこの肉体とそれを魔力で強化することにより毒素を強引に無効化していた。
これでこちらの許容量を超える毒を摂取しない限りは俺もこの淀んだ空気でやられることはないはず。そしてその限界についてはシャーラが逐一確認してくれているし。
「それにしてもイチヤの体は相当な物ね。これだけの毒の中でも活動できるばかりか、まだまだ余裕さえあるんだから」
「それを言うなら魔力の強化もしないで平然としている二人の方がおかしいと思うんだが」
そんな減らず口を叩きながらも俺達は警戒を緩めずに進んで行く。途中でこの洞窟に生息していたと思われる魔獣の朽ち掛けた死体を何度も目撃しながら。
「これだけの状態で洞窟の外に兆候が出ないなんてあり得るのか?」
「たぶん毒が外に漏れないように結界が敷かれてる。でなければここまでの状態になって誰も気付かないなんてあり得ない」
「つまりこの毒を発生させている奴は意図的にこれを隠しているって訳か」
「恐らくは碌でもない目的の為にね。そうじゃなきゃこんな事を隠れてこっそりと行わないだろうし」
そうしてかなり奥まで進んだ時だった。そいつが現れたのは。
「上!」
エストの叫びに反応して俺もシャーラもその天井に忍んでいたかのように真上から攻撃を仕掛けてきた襲撃者に対応した。
シャーラとエストは後ろに飛び、俺は剣を手の中に出現させて敵の一撃を受け止める形で。
「うむ? お主は……」
その襲撃者はエストの姿を見て一瞬動きを止めかけたので、その隙を逃さずに敵を弾き飛ばすとその体に斬りかかろうとする。
だがその敵は突き飛ばされても体勢を崩すことなく着地して、すぐさまその場から退避してみせた。
「やはりその姿は【死霊姫】で御座るか。いつもの服と違ったから気付かなかったで御座るよ」
「私を知ってるんだ。それであなた誰?」
「……相変わらずの調子で御座るなあ。これでも何度か言葉を交わした事も有るのでござるが」
そして近くに有った岩の上に着地するとエストを見てそんな会話をしていた。
「それにしてもその仲間に居るのは見知らぬ御仁と【医狂い】とは一体どういう組み合わせで御座る? そして何の用があってこんなところに来たので御座るか?」
その人物の姿は一言で言えば忍び装束だ。全身を真っ黒な服で包んでおり、顔もほとんど隠れてしまって判別できない。
そしてその手には短い刀らしき物が握られていた。あれが所謂忍び刀という奴なのだろうか。
(てか、こっちの世界でも忍とかいるのかよ)
この分だと『侍』とかが有ってもおかしくなさそうだ。
「で、そういうお前は誰なんだ?」
「拙者はカイラルという者で御座る。ちなみに天職は見ての通り『忍者・上忍』で御座るよ」
忍びだから名乗らないとかはないらしい。普通にこちらの問いに答えてきたし、まさかの天職もばらしてくる始末だ。
だがその名を聞いたシャーラは顔を苦々しげに歪めると舌打ちをする。どうやらあまりよくない相手のようだった。
「その奇天烈な格好にカイラルって名前は、かの有名な【根無し草】ね。これまた厄介なのと遭遇したもんだわ」
その態度と言葉に俺も更に警戒を強めるのに対して、相手はなんと持っていた刀を腰の後ろの鞘に納めると苦笑いしているのが分かる口調でこう言ってきた。
「かの【医狂い】にそう言われるとは拙者も変に有名になってしまったもので御座るな」
そしてまるで警戒していない様子でこちらに接近してくる。
「……武器を収めるなんてどういうつもりだ?」
「そう警戒なされるな、そこの御仁に【医狂い】殿。いやなに、久々の客人であるからもてなそうかと思っただけの事で御座るよ」
そう言ったカイラルは懐から巻物を取り出すと、それをこちらに投げ渡してくる。
「恐らくそちらの目的はこの先にあるもので御座ろう? であればそこに記された内容は役に立つはずで御座るよ」
そんな物をこちらに渡すどころか、カイラルは脇に退くと俺達に先に進むように促してくる。ここで見張りか門番をやっていたようだったのにあっさりとだ。
「何の真似よ?」
「実は拙者、そろそろまたクランを変えようかと考えていたところで御座ってな。そういう訳でこれは丁度いい機会であり、そしてなにより「力の信奉者」に義理立てして無理に「未知の世界」と争う気は更々ないので御座るよ。それにその見知らぬ御仁とやり合うと命が幾つあっても足りなさそうな感じがするで御座るしな」
一度の鍔迫り合いだけでこちらの実力を把握したのか、奴はそんなことを言ってきた。どうやら本気を出したら勝てそうだと思ったのは間違いではなかったらしい。
もっともそれでも手強そうだという感じは拭えなかったのだが。
「……たく、噂通り本当に節操がないようね。そんなんだから【根無し草】なんて呼ばれるのよ」
「ははは、事実なので否定できないで御座るな」
どうもこの人物は「力の信奉者」からの命令を破って俺達を通すと言っているようだ。
シャーラから「力の信奉者」は人数が多い分、一枚岩でないとは聞いていた。だけどまさかこんなにも簡単に所属しているクランを裏切る人物が居ようとは正直驚きである。
もっともシャーラの口ぶりからしてこの人物は特段その気があるようだったが。だからこそ【根無し草】なんて名称で呼ばれているのだろう。
「まあ、それ以外にも今回の命令は個人的にも好きになれないという事情もあるで御座るよ。だから止めてくれる存在が現れてくれて正直助かったので御座る」
「つまりその何かを止めるという面倒な役目を私達「未知の世界」に押し付けようって腹な訳ね?」
「はて、何の事で御座ろうか?」
わざとらしく恍けたカイラルはそれ以上の会話を続ける気はないのか、そこで話を打ち切るように懐から何かを取り出すと、
「さてと、後は任せたで御座るよ。それではこれにて御免」
一方的にそれを地面に叩き付けてみせた。その途端、辺りには閃光が迸る。
(忍者の癖に煙玉じゃなくて閃光弾かよ!)
その閃光に目を晦まされている内にカイラルがこの場から去って行く気配だけが感じられたが、それを追う術は残念ながら今の俺にはない。
そして光が収まる頃にはその気配さえ感じられなくなっていた。どうやら逃げられてしまったらしい。
「何だったんだ、あれは?」
「まあ、あれは放っておいていいわよ。厄介な奴だけど下手に手を出さなければ害のないはずだし、それよりもこっちの方が問題だわ」
そういってシャーラはカイラルから渡された巻物を見せてくる。そこには専門用語らしき言葉が羅列されており、その中で俺が読み取れたのは、
「人の手による魔物創造計画?」
という単語だけだった。
もっともこれだけでも嫌な予感を覚えるには十分だったが。
「どうやらこれが例の問題と見て間違いないでしょうね。それにこの洞窟内に充満する毒素についてもこれで説明がつくわ」
この魔物創造計画とやらがこの先で行われており、それを止めるのが今回のシャーラに課せられた役目。
ここに来てようやくやるべき事がはっきりしたようだ。
だとしたら後はその役目を果たすのに俺達も協力するだけである。幸いにも見張りが居なくなった訳だし。
(残る敵は一人。さっさと片付けよう)
この時の俺は知らなかったのだった。まさかその考えがフラグになっていようとは。




