第六十七話 捨てられた死霊姫
その岬には一人の女性が海を眺めて立っていた。そしてまるで俺達が来るのを待っていたかのように振り返ると、
「私を殺しにきたの? それならどうぞ」
真っ直ぐに俺の目を見てそんなことを言ってくる。
「私はクラン「力の信奉者」所属、【死霊姫】ことエスト・ルールミル……だった者と今は言うべき? まあとにかく、そこの【医狂い】以外は初めまして」
その顔の右半分を隠すような包帯に病的なまでに華奢な体。そして生気の感じさせない不気味なまでに白い肌などが相まって死体が動いているのかと一瞬思う程である。
何よりその包帯に巻かれていないで露わになっている目には本当に生物なのかと疑う程に光が灯っていなかった。まるでガラス玉というか人形のようですらある。
「その様子だと私達がこのアストラティカに来ていた事は知っていたようね。それでここであんたは何をするつもりなのかしら? そもそもだった者とはどういう意味よ?」
「別にもう何かするつもりもないし言葉通りの意味。私はクランの掟によって「力の信奉者」を追い出された、それだけの話だし」
「追い出された? あのあんたが? 冗談でしょ?」
「本当。そうでないのならこんなところで一人で居ない。ううん、正確には生者一人でって言うべき?」
意外な事にシャーラとエストはそこまで険悪にならずに会話をしていた。少なくともディックの時よりはシャーラの態度も柔らかい気がする。
ただ何故かあっちは目を向ける対象を俺に固定していたのは少々疑問ではあったが。
(それとも目も合わせたくないのか? そこまで険悪な感じはしないんだがな)
顔見知りだとは聞いていたが、完全に敵対していたというディックとはまた違った関係なのだろうか。
「ところでその「力の信奉者」の掟とやらは何なんだ?」
「「力の信奉者」には掟として明確な上下関係が敷かれているの。その基準は幾つかの例外を除けば単純明快で、天職のランクとレベルがより高い者が上の立場となっているらしいわ」
「それともう一つ。仮に同じ天職を持つ者がクラン内に二人以上存在することになった場合、レベルが劣る者がクランを追い出される事になる。本当はそれにも少しの猶予は与えられるとかあるはずなのだけれど、私は相手が悪過ぎたのか説明もほとんどなしですぐにこうして放逐された。要するに用済みになって捨てられた」
そして今はここで一人、ひっそりと生きながら途方に暮れていたらしい。やりたい事もないし、これからどうしたものかと思って。
「でもそれもあなた達が来た事で終わり。抵抗しないから殺すのなら一思いにやって。ああでも出来れば痛くしないで貰えると助かる。痛いのは苦手だから」
そう言ってエストは相変わらず俺の目を見つめながらこちらの前まで歩いて来ると、そこで目を瞑り殺されるのを待っている。
どうもまた色々とおかしなことになってきたようだ。
(まったく、どうなってやがるんだ?)
どうしたものかとシャーラの方を見ると、向こうも同じように困った顔をしていた。
こっちはディックと同じく彼女とも戦う事になるのだと勝手に思い込んでいた事もあって、こうも無抵抗だと逆に戸惑ってしまうのだ。それに何もしてこない相手を殺すのは幾ら俺だって抵抗がある。
俺が憎み容赦しない相手は生きる価値のないような屑以下の奴らだけなのだし。
「どうして殺さないの?」
「どうしてってお前な……」
「だってあなた達は私を殺しに来たんじゃな、い……の?」
殺さない事を疑問に思ったのかそこで目を開いたエストは俺の顔を至近距離で見つめることとなり、急にそこで動きを止める。
そしてジッと何故かこちらを見つめてきた。
すると、
「あれ……? もしかして、あなたも生きてる?」
「人の顔を見ながら随分と失礼な発言だな、おい」
急にこんな訳の分からない事を言い出したと思ったら、
「……あ、分かった。もしかしてあなた、異界の人?」
「な!?」
という驚きの発言もしてくる。それに反応して背後でこれまで黙っていたロゼやソラが殺気立ちかけるが、すぐに俺が手で抑えるように指示を出す。
「……どうして分かったんだ?」
「私は死者の亡霊などが見れるのだけれど、異界の人はそれに近い感じがするの。「力の信奉者」に居た人もそうだったからよく覚えてる」
またしても何てことないといった様子でとんでもない爆弾発言を投下するエスト。
その目はジッと俺の方だけを見つめている……と思ったら急に俺の手を握って来た。
「……うん、やっぱり同じだ。触れるのに平気だし怖くない」
「怖くない? 何が?」
「あなたは死者みたいだから他の生きてる人と違って怖くない。死者みたいだから安心する」
これまた前に聞いたこともあるような、そして随分と失礼な発言だった。
「って、それだとお前は生きてる人が怖いのか?」
「うん。だからここでたくさん死者と一緒に居る。死者は怖くないし、これならそこまで淋しくもないから」
エストの目には岬の周囲に居る死者の霊が見えているらしい。
そして彼らと過ごしているからここで生きているのが自分一人でも、一人ぼっちではないとのこと。
更に俺の目をずっと見つめてきたのは生きている人と目を合わせるのが怖いからだというのだからある意味極まっていると言えるかもしれない。
これまでも誰かと会話する時はそうやって近くの霊に話しかけているつもりになって、どうにか誤魔化していたとのことだし。
そしてそんな話を聞いている内に俺の中にあったはずの戦う意志や意欲は完全に消えてしまっていた。
華奢で小さな体とその話し方などが相まって子供を相手にしているように思えてしまったからだ。
今も俺の手や腕を何故か若干嬉しそうに触って、感触を確かめているようなどを見ると特に。
「それでどうするよ?」
「まあ彼女の場合は「力の信奉者」を抜けたって言うのなら問題はないし、別に戦う必要はないんじゃないかしら?」
「本当に問題はないんだな?」
「私にとっては敵対クランとは言え、別に「力の信奉者」は犯罪者の集団って訳じゃないもの。その中には当然ディックのような悪人も居れば善人も居るわ。まあ善人が少ないことは否定しないけどね」
そしてエストはこれまで上からの命令に従うだけのどちらとも言えない存在だったと言う。
だからその上からの命令さえなくなってしまえば、特に問題を起こすことは無いはずとシャーラは言うのだ。
それにエストが例の問題とやらを引き起こす存在ではなさそうだし、情報を得る為にも今は生かして話を聞く事にしよう。それが俺達の出した結論だった。
こうして俺達は捨て猫でも拾うようにして【死霊姫】ことエスト・ルールミルを宿まで持ち帰ることになるのだった。




