第六十三話 煙の行く先
あれから俺達はソラとロゼとも話し合った結果、とりあえずまだシャーラと行動を共にすることを選んだ。
その理由として挙げられるのはヒューリックの頼みがあったから……というのは実はほとんど関係ない。
それ以外にベジタルアントと【殺戮の剣王】ことディックの件で色々と立て込んでいる所為かフーデリオのギルドが一時的に運営を制限する事態になっているからだ。
もちろん完全に動かなくなったわけではないが、それでも出される依頼の数が減るなどの一時的な問題は確実に起こっている。
それが終わるまでは依頼を受けるのも他の冒険者と争奪戦になりかねないという状態だから、ここでその提案を蹴ってフーデリオに戻ってもあまり意味はないのだ。
どうせ戻ったところでやる事が無いので。
それならシャーラに協力してその同郷の者とやらに会う為に行動出来る方がまだいいだろう。
そのついでにこの港町アストラティカがどんなところなのか、そしてどんな物を売っているのか見て回ることにしたのである。
これはただショッピングを楽しんでいるように思えるかもしれないが『贋作者』として役に立ちそうな物を手に入れる為というちゃんとした目的もある。
まあショッピングの面も完全否定するつもりはないとも言えるが、少しくらい息抜きしたって問題ないだろう。
そうしてそれから一日掛けてシャーラやロゼ達と街中を散策しながらその未来に起こる問題とやらについて手掛かりを探したが、やはりと言うべきか、それについての手掛かり見つかる気配すらなかった。
「やっぱり情報が少な過ぎるな」
「こっちもそう思ってもっと多くの情報を寄越すように言ってはいるけど、残念な事にあっちからの返信はないわ。つまり今の手持ちの情報だけでやれって事でしょうね」
俺達の手持ちの情報、それはまず金儲けが出来るということ。
更に五日後にその問題とやらが起きる事と、やり方によっては三日以内という短時間で解決できることということも情報と言える。
そしてそれと同時にこの場にシャーラが派遣されたという事実も手掛かりにはなる。
「ヒューリックを待機させて私だけを送り込むってことは恐らくは戦闘系の事は起こらないわ。それだったら周囲の被害を無視してヒューリックを同行させるか、もしくは別のメンバーを送り込んでくるはずだもの」
それはつまり天職が『医者』であるシャーラ一人でも対処出来る事であり、それと同時にシャーラだからこそ解決できる問題のはずということだ。
そう思った俺達は疫病などが発生するのかと思って調査したのだが、現状はこうしてその兆候さえ見つけられていないのだった。
「これは考え方を変える必要があるかもしれないわね」
今のところこの街とその周辺のどこにも疫病や伝染病などが起こりそうな様子は見られない。この街にいる医療関係者に話を聞いてもそれは同じことだった。
「やっぱり私だけでなくイチヤが居る事にも意味があるのかしら?」
「だからこそ例の『予言者』様が俺をこの場に留めるようにしたと考えれば辻褄は合うな」
だが『医者』と『贋作者』が必要な問題と言われても、そう簡単にイメージできるものではない。真っ先に思い付いた疫病が起きて薬を俺が量産すると思った為というのはどうやら外れのようだし。
「とりあえず今日は日も暮れて来たし宿に戻りましょう。そこで明日からの行動の予定を決めておきたいし」
そうして宿に戻った後、俺は一人でそのすぐ外にある井戸の近くに居た。
そして一服しながらリラックスする。固まった頭をこうして解せばあるいはいい考えが浮かぶのではないかという期待の元に。
そんな時だった。宿の扉が開いてシャーラが出てきたのは。そしてそのまま俺の方にまっすぐ歩いてくる。
それを見て本来ならリストで消去すればいいものを、癖で煙草の火を消そうとしてしまったところ、
「あ、ちょっと待った。それ消さないで」
シャーラの言葉で思い止まる。その目線はやはり煙草に向けられていた。
「もしかしてこれを調べたいのか?」
まあ異世界から持ってきた物だし気になっても当然の事かもしれない。
「ええ、是非とも見せて貰いたいわ。それと出来れば私もそれを試させて欲しいんだけど」
「別に構わないが、体に良い物じゃないし止めておいた方がいいぞ」
イメージ的に医者が吸う感じがしないし。医者の不養生って訳ではないが何となく。
それでもいいと言うので俺は煙草とライターの使い方を教えてやり、実際にそれを吸ってみたシャーラは、
「げほっげほ!」
「ほら言わんこっちゃない」
初心者にありがちな吸い込み過ぎで盛大に咽ていた。まあ慣れていない所為もあるだろうが。
「うわ、何よこれ。たぶんだけど中毒性のある物質が結構使われてるわよね? それに体に悪そうなのが他に幾つもあるじゃない」
「分かるのか?」
それが『医者』という天職の効果なのかと問うと、それには否定の言葉が返ってくる。
「確かにその影響もあるけど、普通の『医者』じゃこれは無理よ。私は事情があって色々と特別だから話は別だけどね」
そう言いながらもう一度挑戦して、またしても盛大に咽たところで遂に諦めたようだ。
「あー無理。残念だけどこれは私には合わないみたいだわ。そっちはよくこんなのを吸ってられるわね?」
「最初は俺も同じように思ってたよ。だけど慣れれば意外に大丈夫になるもんさ」
それを聞いたシャーラは次にこんな事を尋ねてくる。
その微妙に答え難いその問いの内容とは、
「どうしてこんな物を吸おうと思ったの? 体に悪い物なんでしょ?」
というものだ。
「……どうしてって言われてもな。何となくだよ」
格好つける為だとか、周りがそうだったからという少々言い難い理由は隠して俺はそう誤魔化すことにした。
ただそれ以外にも俺には一つだけ煙草を吸い始めた理由があるのだ。
あるいはそれこそが煙草を吸い始めた最も大きな理由なのかもしれない。
「まあそれと尊敬していた人が吸っていたからってのがデカいかな」
大学に入って一番世話になった先輩。その人が酒は一切飲まない代わりに重度の愛煙家だったのだ。
そしてその先輩に密かに憧れを抱いていた俺も真似して煙草を吸うようになっていったのは否めない。現に最初の頃から今でも吸っているこの銘柄は先輩が最も気に入っていたものだし。
「……前に俺が元の世界でどういう状態だったのかは話したよな。実はその時にもその先輩だけは前と変わらずに俺と接してくれたんだ」
と言っても話せたのはほんの数回だけ。しかも電話越しでだ。
何故なら先輩は俺の二つ上で既に働いていて、しかもそれが海外勤務だった為である。
「それでもあの人だけは本当にいつもの調子だったから嬉しかったよ。こっちは重傷患者だってのに、話す内容が海外では好きな銘柄が中々手に入らないから辛いとかなんだからな」
話を聞く限りではいつも通り実に適当でいい加減な人だった。
でもだからこそ俺は嬉しかった。俺の思い込みだとしても、あの人だけはもしかしたら俺がどんな状態になろうとも態度を変えないでいてくれるかもしれないと思えたから。
そこまで考えたところで俺は思考を打ち切った。
そして恐らくはその人に会いたくなる時はないのか、みたいな問いかけようとした思われるシャーラが何か言う前にこちらから言葉を発する事でその機会を奪う。
「とまあ、俺が煙草を吸い始めた理由なんてその程度のもんさ……って、今の俺の体はそれでどうなるんだろうか?」
強化された肉体でも肺がボロボロになるとかあるのかと思ったのだ。ただ感覚としては前と違って息切れなども全く感じないし、特に不都合がある感じはない。
丁度いい機会なので俺もそこでシャーラに体を診てもらった結果、特に問題はないという事が判明した。
「本来はあるはずって言うその肺に対するダメージが見られないとこから考えるに、強化された肉体のおかげで毒物や有害物質などに対する耐性が上がっているみたいね。この分だとどれだけ吸っても問題ないんじゃないかしら?」
どうやら俺にはニコチンもタールも効かなくなってしまったらしい。道理でどれだけ吸っても肺が苦しくなる事も無ければ、吸いたくなる感じもしない訳だ。
(てか、それだと吸ってる意味あるんだろうか? ……まあほぼ習慣と化してるし、別にやっても問題はないか)
体はともかく心の方が吸わなくなると違和感を覚えるだろうし、これまで通りの生活をするとしよう。別にいくら吸っても大丈夫だと『医者』に太鼓判を押された事だし。
俺はそこで自分の吸う煙草から空へと上がって消えていく煙を眺める。今更ながらここは異世界で、恐らくはもう元の世界には戻れないだと考えながら。
後悔などしていない。この世界に来られた幸運にもあの老人にも非常に感謝している。
あの時に戻って選択をやり直せるとしても俺は同じことを選ぶと言い切れるくらいに。
でもだからと言って元の世界が懐かしくない訳ではないのだった。
と、そこでシャーラが、
「……そうね。今更かもしれないけど、私だけそっちの話を聞くのはズルいわよね」
と奇妙な事を呟くと、真剣な表情でこちらを見てくる。
「折角の機会だし、私の事についてもそっちが望むのなら話そうと思うけどどうする? その方が公平だと私は思うんだけど」
ヒューリックとの話もあり、多少何故シャーラが【医狂い】と呼ばれるようになったのか気になっていた俺はその提案に乗ることにする。
そうしてシャーラは語り出したのだった。
俺の想像を遥かに超えたその数奇な人生の軌跡を。




