第四話 デューク
とある小部屋に有った転移陣という名の魔法陣のような物の上に載った瞬間に視界が歪み、気付いた時には外にいた。
それを目の前に広がる青空と草原が証明している。
視界いっぱいに広がる草原や遠くの方に見える街らしきもの。あの病院の周囲にこんな物は確実に存在していなかったし、本当に異世界に来たと再認識させられるというものだ。
「どうした? 何をそんなに驚いている?」
「……一つ聞きたいんだがこの転移陣ってのは一般的な物なのか?」
「普通とは言わないが冒険者ならそこまで珍しい物でもないだろうに。まさかと思うがその反応は初めて見たのか?」
当たり前だと思いながら俺は頷く。
こんな物は元の世界にはなかったのだから。
「遠い異国の地から来たにしたって何でこの程度の事を知らないんだ? ギルドでも一応は説明されるはずなのに。さては面倒臭がって聞いてなかったな」
一瞬本当の事を言おうか迷ったが、とりあえず俺は迷宮の脱出を手伝ってくれた恩を信じてみることにした。
「聞いてなかったと言うよりはそもそもギルドとやらに行った事がないんだ、実は」
「はあ!? ってことは何だ。お前、まさかその妙な格好で冒険者じゃないのか?」
「そうだよ、それどころか冒険者が何なのかもよくわかってない」
この言葉に手を腰の剣に伸ばしかけたデュークの反応を見て失敗だったかと思ったが、すぐに向こうはハッとした様子で何かに気付いた様子でその手を止める。
それどころか何故か焦った様子で尋ねてきた。
「お、お前、名前はなんて言う?」
「ん? 名前は氷室一夜だけどそれが何か?」
ただ名前を言っただけだというのにデュークの反応はとんでもなく大きかった。目を見開いて息を呑んだ後は彫像のように固まってしまったのである。それこそ信じられないものを見たかのように。
「何なんだよ、一体?」
五秒程経過してようやく硬直が解けたデュークは凄い勢いで首を動かして周囲を警戒している。まるで誰にも見られていないことを確認するかのようだった。
そして周囲には人影すら存在しない事を確認すると、
「こ、ここじゃいつ人に見られるか分からない。とにかく後で説明するから今は俺に黙って付いて来てくれ。頼む!」
「わ、分かったから頭を上げてくれよ」
初対面の、しかも明らかに年上の大人にいきなり必死の様子で頭を下げられて懇願されては困惑するしかなかった。それもあって俺は深く考えずにそれを了承してしまう。
(まあ何とかなるだろ)
答えてから罠だったらヤバいのではないかという考えが脳裏に浮かんだりしたが、本当にありがたそうに何度も頭を下げるその姿を見て俺はそう思った。
それに罠に嵌められたならその時はその時だ。
そういう事でそこから早足で移動した俺は肉体が強化されていることもあって特に疲労も息切れもなく、遠くに見えていた街まで辿り着いてその中へと入っていくこととなる。
そしてそのままどこかの家へと案内された。
「ここは?」
「俺の家だ。ここなら邪魔は入らないし、なによりそう簡単に他人に見つかる心配はない」
人目を気にしなくてもよくなったようなので街に着く辺りで渡されたローブを脱いで返す。顔を見られないようにとこれを被るようにデュークに言われたのだ。それがお前にとっても良い事のはずだと言って。
「それで俺に何の用なわけ? さっきの感じだと俺の事を知ってるみたいだったけど」
異世界から来たばかりの俺の事を知っている存在がこの世界にいるはずがない。だというのに俺の名前を聞いたデュークは驚いたのだ。まるでその名前を知っていたかのように。
それは明らかにおかしい。だからこそこうして付いてきたという面もある。
「もちろん俺の知っていることは全て話す。だがその前に一つ聞かせて欲しい。お前が本当に異界からやって来た者なのかどうかという事を」
この発言には少なからず驚かされた。まさかこんなに早く自分の正体を知る者が現れるとは思っても見なかったからだ。それともこの世界では結構頻繁に異世界から人がやって来るのだろうか。
「……そうだけど、何であんたはそれを知ってるんだ?」
名前を聞いた時の反応や今回の事で何か特殊な事情があると判断した俺は正直に教えることにした。
こっちは何もわからない状態で向こうは色々と知っているのだ。だったら開き直っていくしかないだろう。
「そうか、まさか本当に現れるなんて。しかも異界からとは……」
「だから驚いてないで説明してくれって」
「あ、ああそうだな、すまない。俺としてもまさか本当にお前が現れるとは信じていなかったから動揺が隠せなくてな」
そのまたしてもよくわからない発言の後にデュークは大きく深呼吸をするとその顔を上げて話し始める。
「異界の者ということはこの世界の事に付いてどれだけ知っている? それによってどこから説明するかが変わるんだが」
「生憎と何もわからないに等しいよ。だからこそ初対面のあんたに付いてきたってわけさ。何でもいいから情報が欲しくてさ」
「そうか、だとすると天職についてから説明したほうが良さそうだな」
天職、それは俺の贋作者のようなものだろうか。そしてこの感じだと俺だけ特別に職業があるという訳ではないらしい。
「この世界では生まれながらに天職というものが各個人に与えられている。例えば俺で言えば剣の腕が上がりやすくなる『剣士』。他にも『商人』とか『盗人』とか正確な数が分からない程に存在していて、それぞれの天職に何らかの効果があるとされている」
つまり俺に与えられた『贋作者』もその中の一つという事だ。
「天職は便宜上三つのランクに振り分けられている。俺の『剣士』のようにありふれている通常職。あまり現れる事のない特殊な稀少職。そして世界でも数名、もしくは一名だけしか得られないとも評される更に特殊な固有職という風に。ちなみに俺の娘は稀少職の『占い師』だ」
俺の『贋作者』はどのランクに分けられるのだろうか。他に提示されたのが『剣聖』とかだった点から考えるに少なくとも稀少職以上ではあると思う。
というか恐らくは固有職な気がする。これだけ強力な能力なのだし。
「ちなみに天職にはどんなものでもレベルがあり、Iが最低でⅩが最高となっていて数が大きくなればなるほど効果も強くなるとされている」
つまり俺の天職は既にレベルマックスということか。
「その天職とやらは生まれつき決まっているものなのか?」
「それはまだ分かっていないのが現状だ。ただ自らの天職を認識するのが誰でもおおよそ十歳前後であることから、それまでの行動などによって決まるのではないかという考えが一般的だな」
悪さばかりやっていた奴は『盗人』などになることが多い事からもその説は結構信憑性があるらしい。
そして天職が判明してからは大抵の人がそれに合った将来を目指すとの事。だとすると『盗人』などになったら最悪ではないだろうか。
例え同じ職業に就いて同じだけの努力をしても、それに合った天職が有るのと無いのとでは大きく差が出来る。
だからよっぽどの変わり者や考えなしでなければ天職と同じかそれを活かせる職業をこの世界の人は選ぶという訳だ。デュークは
『剣士』という戦う事に有利な天職だった為、それを活かせる冒険者という家業をやっていたというように。
(なるほど、天職とは言い得て妙だな)
自分の適性が判るのなら余程の事が無い限り誰もがそれを選ぶに決まっている。それが自分にとって最適であるのだから当然だ。
ただ厄介な点が天職は変化する場合もなくはないのだとか。
ただそれも大抵の場合は『剣士 レベルⅩ』から『剣豪 レベルI』といったようにランクアップするのだが、中には特殊な条件を満たしたのか全く別物になってしまう事もあるらしい。
もっともそれが起こることは滅多にないらしいが。
「話を戻すと俺の娘の『占い師』という天職には未来の事を言い当てる能力があるとされている。もっとも固有職の『予言者』のように百発百中ではなく未来が見えてもそれが外れることも結構あるらしいが」
そこまで話されれば俺でも後の内容は察せられるというものだ。
「その『占い師』の能力で俺の事が言われていたって訳か。だからあんたはこの世界に来たばかりの俺の事について知っていたと」
「そうだ。もっとも知っているのは名前とその人物が娘の危機を救ってくれるということだけだがな」
「危機?」
何やら物騒な言葉だった。そして先程のデュークの焦りようから察するに現在その危機とやらが迫っていると見て間違いないだろう。だからこそデュークは驚いたのだ。
「実は娘と妻が特殊な病に罹ってしまい今は二階で寝込んでいるんだ。そしてこのままでは命が危ないかもしれないらしい」
「そう言われても俺は病気を治すなんて無理だし薬も作れないぞ?」
俺の職業改め天職は『贋作者』なのだ。申し訳ないがこれだけではどうしようもないのが現実である。
「薬についての当てはあるんだ。ただそれを手に入れるにあたって所有者の貴族のボンボンが無茶な要求をしてきていてな」
「と言うと?」
「貴重な薬だから金貨五十枚を用意しろと言うんだよ。こちらにそんな金はないと分かっている上でな」
この世界の通貨は銅貨、銀貨、金貨、そして白金貨となっており、銅貨百枚で銀貨一枚の、銀貨百枚で金貨一枚の価値となるのだとか。
そして金貨など平民は一生の内に一度も使わずに終わるのが普通らしい。だから金貨五十枚なんて額はデュークがどう足掻いても出せないのだとか。
「でも貴重な薬なら高くても仕方ないんじゃないか?」
「調べてみたがあの薬はどんなに高くとも金貨二枚が相場だそうだ。それでも充分高いだがそれなら俺にもギリギリ払えない額じゃない。これでもそれなりの貯蓄はあるからな」
相場に二十五倍となればぼったくり以外の何物でもないだろう。なるほど、確かに無茶な要求だ。
「幸いこの病の進行はかなり遅いから今は仕事をして金を稼ぎながら薬の情報を集めていたところにお前が現れたという訳さ。ちなみに娘の見た未来とやらは異界からやってくる奇妙な格好をした黒髪黒目のイチヤという男が助けてくれるというものだったらしい。もっとも熱に魘されている時に見た未来だったから俺はただの夢だと思い込んでいたがな」
「なるほど、大体の事情は把握したよ」
そこで俺は煙草を取り出して一服しながら落ち着いて考えてみた。自分がどうするのが一番なのかと。
既にデュークの娘を助ける方法は思い付いている。だけどだからと言って俺がわざわざそんな事をする理由はないのもまた事実。
(もう他人の所為で人生を台無しにされるのは勘弁だな)
自分の所為でそうなるのならともかく、他人に巻き込まれてなんてのは絶対に御免だ。
(向こうではそれなりに品行方正で生きてきたけど、その結末はひどいもんだった。だからこそ俺はこっちでは好きに生きる。もう他人なんぞに邪魔はさせない)
極端な話を言えば俺はデュークの娘や妻がどうなろうと関係ない。ここで何も出来ないと言っても予言は確実ではないのだからそれが嘘だと断定する手段は向こうにはないだろう。
それらを考慮した上で俺が出した結論は、
「……そうだな、協力してもいいぞ」
「ほ、本当か!?」
「ただし成功したら報酬を払ってもらうがな」
薬を手に入れることに成功したらという条件の元に要求した俺の報酬にデュークは怪訝そうな顔をする。恐らくはそんな物でいいのかと。
とは言っても向こうに選択肢はないに等しくその提案を呑んで契約は結ばれた。となればさっそく取り掛かることにしよう。
「それじゃあ早速用意して欲しいものがある」




