第三十九話 ソラの異変
街を出発してから最初の数日は実に順調だった。
別に急いでいる訳でもなかったので自然豊かな景色をのんびりと眺めながらの旅だったからだろう。どこか散歩というか旅行をしているような気分になったのは。
無論楽しいばかりではなくそれなりの困難もあった。夜の闇に紛れて魔獣が襲ってくることもあったし、初めての本格的な野宿にはかなり苦労させられた。料理も初めの奴はひどい物だったし。
もっともそれも慣れれば意外にどうということはなかったが。
少なくとも俺にしてみれば病院のベッドの上でただ一日中寝ているだけの生活よりは何倍もマシだった。
そんな風に順調に行っていた旅の不穏な影が忍び寄ってきたのは出発してから五日後の夜のことだ。
「ソラ、やっぱり顔色が悪いぞ。大丈夫か?」
「だ、大丈夫です。この程度なら問題ありません」
そうは言うものの朝から多少調子が悪そうだったし、時間が経つごとにそれは悪化しているように見えた。
本人は大丈夫だと言い張っていたのでこれまでは仕方なく好きにさせていたが、やはりそのフラフラの状態はどう見ても大丈夫ではない。
それでも大丈夫だと言い張るソラの言葉をこれ以上は信用できないので、半ば強引に額に手を当ててみると明らかに熱があった。
(例の発作ではないみたいだし、だとすると風邪でも引いたか)
ソラやロゼもこうした自由に出来る旅は殆ど初めてだと言っていたし、思わぬ疲労などが溜まっていてもおかしくはない。それがここに来て出てきてしまったのだろうか。
「まあなんにせよ今日の見張りはいいから寝てろ。それと後で薬草を煎じた薬を用意しておくからそれを飲むといい」
「いえ、しかし」
「いいから休め。これは命令だ。わかったな?」
「ソラ、無理は禁物よ。まだこれから先もあるんだし、無理して体調を悪化させる方がイチヤに迷惑を掛ける事に繋がるわ」
「……分かりました」
ロゼの説得もありどうにかソラが納得したところで俺はその準備に取りかかる。
こういう時の為の知識はデュークなどからしっかりと教わっているし、『贋作者』のおかげで薬草と毒草の違いも割と簡単に見分けられるから何も問題はない。
すぐさま俺は近くに生えていた使えそうな薬草を採取するとそれらを教わった手順に従ってまずは磨り潰していく。
(持ってきたものの中に風邪薬とかが有ればよかったんだけどな)
もっともない物ねだりをしても仕方ないので俺は黙々と作業を進めて薬を作り終えると、それを休んでいるソラに飲ませた。
その前の食事の時も熱で食欲が減衰しているとかはないらしく、しっかりと栄養のある物を今までと同じかそれ以上に食べていたし、これで寝て十分な休息を取れば明日には熱も引いているはずだ。
そんな楽観的な予想を立てた俺がロゼと交代しながら見張りをした翌日の朝、ソラの容体はさらに悪化していた。
熱も昨日以上に高くなっているし、ギリギリで立ち上がったり歩けたりは出来るもののフラフラである事は否めない。
それでも昨日と同じように大丈夫と言い張るソラだが、それを今回も鵜呑みにするバカは少なくともこの場には居なかった。
「これは予定変更だな」
本来はこのまま街道を真っ直ぐ進み目的地に着くまでは野宿のつもりだったが、このソラを医者に見せる為にもそんな事は言ってはいられない。
オグラーバに貰った地図に依ればここから街道を逸れて少し先に進んだところに小さな村があるみたいだし一先ずはそこに行ってみることにしよう。
そこに医者かそれに類する人が居ればソラのこの症状についても説明して貰えるかもしれないし、俺なんかが作った物よりちゃんとした薬もあるはずだ。
「わ、私は大丈夫です。ですから予定変更はせずこのまま進みましょう」
「はいはい、そういう事はちゃんと歩けるようになってから言おうな」
それでも意地を張っているのか迷惑を掛けられないと思っているのかは知らないが、頑なにそう言い張るソラを俺はこれまた強引に背負うと歩き出す。
最初の内はフラフラの癖に自分で歩くと言い張っていたソラだったが、ロゼの説得と熱の為か次第に静かになり、そして遂には俺の背中で眠り始める。
(熱はあるがいつも以上に飯は食えているところ見ると単なる疲労や風邪じゃないのか?)
食欲あるのに熱は依然として高いままだし、一体どうなっているのやら。
「それにしても珍しいわ。ソラがこんな風に体調を崩すなんて」
「そうなのか?」
「少なくとも私は一度も見たことないもの」
ロゼ曰くポーのところでもソラがこんな風に風邪を引くことは一度もなかったそうだ。つまりそれは少なくともここ数年は風邪を引いていないということである。獣人族の所為か随分と丈夫な体のようだ。
(そう言えばそういう免疫力も俺の体は強化されているんだろうか?)
自問自答で俺は恐らくは強化されているのだろうと結論付ける。何故ならこちらに来てから一度も腹を下した事がないからだ。
これまでにも散々見たこともない未知の食べ物や焼いただけの魔獣の肉を食っても大丈夫なのだから、そうじゃないと説明がつかないというものだろう。
どうやらこの分だとマナを摂取すると単純な力だけでなく、そういった体の内部的な面も強くなると思っていいようだ。
「って、そんなこと話してる場合じゃなさそうだな」
気付けばこれまでの旅路はずっと晴れ渡っていた青空に段々と嫌な色をした雲が現れ始めたからだ。まるでこのタイミングを計ったかのようである。
「急ごう。雨に降られると厄介だ」
これでソラの体が雨に濡れて冷えるのは避けたい。更に体調を崩す恐れがあるからだ。
だから俺達は急ぎ足で街道から逸れたその細い道を進み、ギリギリのところで村の宿に辿り着くのだった。




