第二十九話 怨嗟の声
残酷な描写があります。苦手な方はご注意ください。
「そうだな、協力しても良いが条件がある」
ようやく長い話に付き合った理由、それも興味があったからではない方の理由を言える時が来たようだ。
「その条件はお前達が捕えているメロディアと、他に捕えている人が居るのならその人達も今すぐ解放すること。勿論無傷でな。そしてその上で俺に対してこんな脅迫じみた行為を二度としないと言うのなら、それと同じ袋を八つ。前のと合わせると十個になるように用意しよう」
この言葉に背後のならず者集団はざわめく。使われる事が稀だとされる白金貨が十枚分だ。それでここに居る全員が一生遊んで暮らせるような額である。
そんな巨万の富をこうも簡単に提示されれば誰だって驚くに決まっている。現に俺の資産を当てにして元ボンボンでさえ唖然としていた。流石にここまでの額を出せるとは思っていなかったらしい。
「それでそっちの答えは? 念の為に確認しとくが既に条件を満たせないとは言わないよな?」
暗にメロディアに危害を加えていないかという意味が込められたこの言葉に、
「そ、それは……」
元ボンボンが躊躇ったのと背後の集団がヤバいという顔をしたことで俺は大よその事態を把握する。それと同時に血が頭に昇りそうになるが、
(落着け。まだ駄目だ)
メロディアの安否について確証が得られるまでこちらからは動かない。そう決めてあるのだ。
「……その様子だと無傷とはいかないみたいだな。だとしたらどこまでやった?」
単に抵抗されたから痛めつけただけなのか、それともそれ以上の事をやったのか。
その問いに代表として答えたのは元ボンボンではなく集団の先頭にいた髭面の男だ。どうやらこいつがこのならず者のリーダー的存在らしい。
「そのメロディアって女に関しては攫う時に抵抗されたこともあって動けない程度には痛めつけてあるな。だがそいつに限って言えば純潔までは奪ってはいないし、死ぬような怪我もさせてねえよ」
その言葉はつまるところ他の人は違うという事だ。だがここで怒りを爆発させても仕方がない。俺は煮え滾るそれが爆発しないように抑えて冷静になるように努めた。
「本当だろうな? そもそも彼女はどこにいる?」
「ここから少し奥に行った部屋で監禁してある。なんならここに連れてこようか?」
髭面の男は元ボンボンにそうしていいか許可を求める。それに対してしばらく迷っていたボンボンだったが、
「……連れてこい。捕えている奴ら全員だ」
大金の誘惑に負けたのかそう告げた。
そうしてようやくメロディアとの再会を果たした俺達だったが、それを素直に喜ぶことはできなかった。何故なら比較的傷が浅いと思われるメロディアでさえ服はボロボロで歩くのも困難な様子だったからだ。
他の人などもっとひどい。今にも餓死してしまうのではないかと思う程やせ細って衰弱人も居るし、ピクリとも動かない子供を抱く母親らしき人も居る。
そして中には四肢の一部が無い人がいるくらいだ。それが元々そうだったという事はあり得ないだろう。
「……それじゃあ約束通りその人達を引き渡して貰おうか」
「いや、その前に金を用意する確約をしてもらう。人質を返してそれで逃げられてはこちらも困るからな」
そんな贋金いくらでもくれてやる。そう内心で吐き捨てた俺はソラとロゼが隠し持っていた袋を受け取る振りをして要求された半分の金貨を投げ渡す。
「足りない分は人質が無事解放されてからだ。文句はないな?」
「あ、ああ。勿論だ」
隠しきれなくなった俺の怒気に押されたのか、それともすぐに金を用意した事に対して驚いたのか分からないが奴は呑まれるようにこちらの言葉に頷く。
そうして解放された四十人弱の人達は助け合いながら俺達の方へとやってくる。
大金を得たことで喜びの歓声を上げている元ボンボンと集団の声をその背に受けながら。
それまで散々痛めつけられて、あるいは玩具のように弄ばれてきただろうに今のあいつらは彼らに目も向けない。
それはまるで子供がいらなくなった玩具に対してするような扱いだった。
そこで素早くロゼがメロディアに駆け寄って小声で話しかける。そしてロゼは俺の顔を見て頷いた。どうやらあいつらの言っていた事は本当だったらしい。
だがどうしてメロディアに手を付けなかったのかについて尋ねることはしない。聞いても胸糞悪くなるだけなのは目に見ている。
この人達をロゼがこの部屋の外に連れ出した時こそ汚物共の最後だ。
「っつ!?」
「おっと、避けられたか。思った以上に出来るな、お前」
だがその瞬間にリーダーの男が剣で斬りつけてくる。その男だけが、だ。
金を貰って用済みになったら奴らが俺達を始末しに来ることくらいちゃんと予測していた。
だから金が足りない振りをしたのだし、元ボンボンが何か妙な真似をしないか注意を払っていたのだ。
だが奴は前と同じようにこちらの本当の狙いに気付く気配も無く金を得た喜びに浸っていたし、合図を送る様子もなかった。
それどころか俺に攻撃を仕掛けているリーダーの男を見て驚いた表情さえしているのだ。それは他の集団の奴らも同じである。
つまりこれはこの髭面の男の独断ということになる。
(だとしたら一体何が目的で?)
それを俺が問う前にボンボンが口を開く。
「お、おいおいモーリス、何をやってるんだ」
まだ残りの金が手に入っていないからか髭面の男、モーリスの行動を咎める元ボンボンだがそれに感謝などしない。
何故ならそんなのは演技でどうせ金が手に入ったら口封じの為に全員殺すつもりなのはこいつの性格からしてまず間違いないからだ。
「いやいや旦那、そんだけ手に入れば十分でしょう? それにどうもこいつは信用ならない感じがするんですよ。こんな大金をポンッと支払うところが特に」
そう言いながらもう一度斬りつけてくるモーリス。それを躱すとやっぱりと言いながら頷く。
「これだけの腕があって抵抗しないなんて不自然だ。そういや旦那は前にこいつから受け取った金を無くしてるんですよね? それを含めてやっぱりお前は怪しいな」
どうやら完全に見抜いた訳ではないがこの男はこちらの行動に疑念を持っているらしい。
(もう少し払えるか考える振りをするべきだったか)
だがそんなことを言っても今更手遅れだ。そしてこうなってしまった以上は仕方がない。
「ソラ!」
「了解です!」
ここに来るまでに何度か救出劇を試みたのだ。
その経験を活かして作戦を立てない訳がない。
そして万が一こちらの演技が見抜かれた時の事も前もって話し合ってあるに決まっている。
ソラはその手筈通り集団と自分達の間に火の壁を生み出して分断する。
ただし前に出ていた俺だけは集団側になる形でだ。
「ちっ、やっぱり何か企んでやがったな!」
「大正解だよ。そら、正解者にはプレゼントだ!」
そこで俺はまだ何が起こったのか理解できずに戸惑っている集団に向けて大量の武器を射出してやった。
本来ならこいつらの始末は人質を安全な所まで逃がしてからだったのだが、こうなってしまった以上はやるしかない。
「に、逃がすな! 奴らを人質諸共皆殺しにしろ! あいつらに余計な事を話されたら俺達は終わりだ!」
運が良いのかその武器の射出から逃れた元ボンボンは必死の様子で周囲の奴らに指示を出す。だがそれを素直に聞く奴らは居ない。
と言うよりは聞ける奴がほとんどいないのだ。
ならず者の大半が体のどこかに突き刺さった剣や槍の所為で痛みで呻いているし、中には急所を貫かれて動かなくなっている奴も居る。
そんな状況で雇い主の命令に従う強靭な精神をならず者如きが持っている訳がないのだった。
「てめえ、よくもやってくれたな!」
俺に斬りかかったことで集団から離れていたモーリスは仲間の仇を取る為か、あるいは同じことをやらせない為かこちらに再度斬りかかってくる。
そして流石にこれだけの数のならず者のリーダーだけあって迷宮で遭遇したどの汚物共よりも鋭い一撃を放ってきた。
だけどそれでもやはりデュークには遠く及ばないし、この程度では強化された俺の体に傷一つ付ける事さえ出来やしない。だから今度の俺はあえてその攻撃を避けることなくその身で受けて、
「なっ……!?」
肩付近に当たった剣が折れたのを見届けた後に奴の剣を持っている方の手を斬り飛ばしてやった。
「ぐうう!? く、糞がぁ!」
それでも痛みで絶叫もせずに残ったもう片方の手で腰に刺さったナイフを抜こうとするのは大した物だったが、
「これで武器を持つ事も出来なくなったな」
その手がナイフに届く前にまたしても俺の剣が閃いた。そこで俺はあえてそいつを放置するともう一度集団の方に武器の山を発射する。
それでも数名は無事のようだが、その人数では例えロゼ達が追い付かれたとしても問題ないだろう。
「さてと、少しはあの人達の気持ちを理解したか? 特に四肢をもがれた人達のな」
「だ、誰が負け犬の気持ちなんざ理解するかよ」
その状態で減らず口を叩く根性は見事だが、それならばもっと他の事にその根性を使えばよかったものを。そうすればこうならずに済んだのに。
「お前、四肢って言葉の意味がわかってないようだな。二つ無くなってもまだ残り二つも有るんだぞ」
我ながら容赦なく残りも奪い、奴を達磨にする。当然体勢を保っていられなくなったので俺は仰向けの状態にして上から覗き込んでやった。
「どうだ? まだ分からないか?」
今回はこいつが余計な事に気付いたせいで加減をすることが出来なかった。
もしこちらの計画通りに行っていたのならもう少し生き残りを多くして人質になった彼らの無念を晴らす機会を与えるつもりだったのに、こいつの所為でそれも台無しである。
(まあ別に絶対やらせたい訳じゃないからいいか)
あくまで俺は自分だったら復讐したいと思うだろうし、実際に思っていたから彼らに機会を与えていただけだ。
それが出来なかった俺はその怒りをどこにぶつけて良いのか分からずに何時まで経っても心のどこかで怒りの炎が燻っていたのだから。
彼らにはそうなってほしくはない。それだけの話である。
「……く、くく。ああ、ここまで来たら認めるさ。俺の負けだよ」
そんな四肢をもがれた状態でも言葉に詰まる事も無く話すモーリスはそれだけなく笑みさえ浮かべていた。今の俺が言うのもなんだが化物である。
この状態だというのに痛みに対してどれだけの耐性があれば平然としていられるのか。
「そうだ、最後に良い事を教えてやるよ。俺が何故あのメロディアって小娘に手を出さなかったのかについてだ」
「へえ、それはまたどうしてだよ?」
先程までは別に聞きたくないと思っていたはずだったのに気付けば俺はモーリスの言葉にそう返していた。
「俺はな、清楚で敬虔な女が大好きなんだ。特に天職が『修道女』みたいな汚れを知らない、知ろうともしない女を無理矢理にするのが心も体もさいっこうに気持ちよくなるんだよ、これが」
この時点で反吐が出たので殺そうと思ったが、そこでふと疑問が生じた。
「それならメロディアはおあつらえ向きだったはずだろ? 何故そうしなかった?」
メロディアの性格もそうだが天職もこいつにとって好みだったはずだ。彼女の天職は『僧侶』だったはずだし。
「ああ、そうだな。確かに最初はそう思ってやろうとしたんだけど、途中で気付いちまったんだよ。あいつは違うってな」
「違う?」
「よく分からねえがそんな気がしてやる気が無くなっちまったんだよ。襲われかけた時の反応こそ他の処女共と同じだったし実は悪女とかではないと思うがな。ああそれと……」
そこでモーリスは話すのが疲れたのか大きく呼吸をすると、
「ひゃははは! 間抜けなお前も道連れだ!」
息を吐き出すタイミングで口に仕込んでいたと思われる針のような物を吹いて来たのだった。
四肢をもがれてもまだ俺を殺す機会を窺っていたとは、その点に関してだけは敵ながら天晴だ。
「その針には猛毒が仕込んである! ほんの僅かでも体内にその毒が入ればあっという間にお陀仏になるようなのをな!」
「そうか、それは大変だな」
勝ち誇っていた達磨だったが何時まで経っても俺の様子に変化がないのを見て段々と眉を顰めていく。
「な、何故だ? どうして毒が効かない?」
「さっきの剣での一撃を忘れたのか。あの程度の攻撃じゃ今の俺の皮膚すら傷付けられないって事を」
それに腕の辺りに当たりそうなのが見えていたので、それが体に届く前に服の下に防具を出現させておいたのだ。
だからあの針は服を貫いたものの、その下の金属のアームガードの前に弾かれていたのである。
隙を付けたことで勝ち誇らなければこいつにも見えただろうにバカな奴である。そうすれば無駄に期待などせずに済んだものを。
「ったく、余計な話に耳を傾けるんじゃなかったぜ」
今度は同じ轍を踏まずに俺はすぐさまそいつの息の根を止めた。何か言い出す前にだ。
ならず者共は殆ど片付いたし人質も救出できた。
これで終わり……そう考えた瞬間だった。
「何だ? この不気味な声は」
どこからともなくその声が聞こえてきたのは。
その声が何を言ってるのかまでは分からない。だけどその声に込められているのは憎しみや恨みといった負の感情だと本能が理解するような嫌な音だ。
そう、まるで殺された人達の無念が集まった怨嗟の声とでも言うような。
「イチヤ様!」
その薄気味悪い音を斬り裂くようにソラの高めで明瞭とした声が俺の元に届く。
その声のする背後を振り返った俺が見たのは、
「な、何だよ、これは?」
理解不能な光景だった。




