第二十話 朝帰り
自らの身体能力がとんでもなく強化されたことを再認識した俺は朝日が昇り始めたあたりで宿へと帰還したのだが、
「どうして二人とも起きてるんだ? まさかと思うが寝ないで待ってたのか?」
こちらのことは気にせずに休んでいいと言っておいたというのにロゼもソラも起きていたのだった。そして朝帰りした俺を見てそれぞれの反応を見せる。
「おかえりなさいませ、イチヤ様」
そう言ったソラは俺が無事に帰ってきたことを純粋に喜んでいるようだった。
酒を飲みに行くことは伝えてあるのでそこまで心配する要素などないはずなのだが、それでも俺の無事な姿を見て安心したのこと。随分と心配性のようだ。
それに対してロゼの方はまるで俺のことを観察するかのようにジロジロと体の隅から隅まで舐め回すように見てくる。その眼は心なしか怒っているように見えるのは気のせいだろうか。
それどころか急に俺の体に顔を寄せたと思ったらまるで犬のように匂いを嗅いでくる始末である。一体何がしたいのやら。
「いきなり何だよ?」
「……この独特の花の匂いがするってことはやっぱり娼館に行ってきたのね」
「そうだけど、それが何か問題あるか?」
俺は全く悪びれず正直に答えた。だって何の問題もないのだから。
別に俺はロゼとソラと夫婦でもなければ付き合っている訳でもない。主人と奴隷、あるいは単なる仲間という間柄である。だから別に娼館に行ったところでとやかく言われる筋合いはない。
むしろ奴隷だからと言ってそういうことを強要しないだけマシだと自分では思うのだが、このロゼの表情を見るとそうではないらしい。
「ロゼ、私達は奴隷なのですよ? 主人であるイチヤ様のそういった行動に口を挟むのはどうかと思います」
「まあ確かにそうなんだけどさ……」
そう言いながらもロゼの表情は晴れない。そこで気付いたがロゼは怒っているだけではないようだ。苛立ちもあるが、どことなく不安を感じさせるような微妙な表情をしているのである。
「悪いが俺も二十代の男だしそれなりの性欲はある。だから、下世話な話になって申し訳ないが、それを発散する機会を禁止されるのは勘弁だぞ」
折角健康な体を取り戻して、もう無理だと思っていたことが出来るのだし。
「イチヤ様の言う通りです。むしろ奴隷である私達に手を出さないで貰えるだけありがたいと思うべきです」
ソラという頼りになる援軍と共に発したその言葉だったが、
「……ソラには言ってなかったけど、私はイチヤと関係を持ってるわよ」
「…………ええ!?」
数秒の時間を要してその言葉の意味を理解したソラは悲鳴を上げて敵に寝返る。
「い、イチヤ様! そ、そ、それは事実なのですか!?」
どんだけ動揺してんだよ、と言いたくなるような慌てぶりである。
「事実だよ。と言っても一回だけ、それも二人を購入する前の話だけどな」
あの時はロゼを買う気なんてなかったし、ただの娼婦としてしか見ていなかった。それが今ではこうなっていることを考えると感慨深いと言うべきか。
異世界に来たことも併せて人生何が起こるか分からないものである。
「でも二人を買って仲間となってからは何もしていないから安心していいぞ。そしてこれからも二人に手を出すつもりはないしさ」
性欲は娼館などで発散するという俺なりの配慮だったが、
「それはダメです!」
何故か先程まで問題ないと言っていたソラが断固として否定してくる。その眼には絶対に引かないという意思がありありと浮かんでいた。
「ロゼだけなんてダメです! ズルいです! だから私も同じように寵愛を受けることを断固として主張します!」
「ちょっと! それこそズルいわよ!」
そしていつの間にか俺を放っておいて二人の女の戦いが勃発する。
「何がズルいのですか? これで私とロゼは対等な立場になるはずです!」
「買われた後の扱いはこれまでずっと一緒だったしそれで十分よ! ここでソラだけなんてそっちの方が不公平だわ!」
「それでは納得できません!」
「それはこっちのセリフよ!」
どうやらしばらく時間が掛かりそうなので俺は窓際まで行って一服しながら二人の口論の様子を見守る。
女三人寄れば姦しいと言うが、現状では二人でも十分うるさかった。
そうして結局どちらも一歩も引かず、このままでは決着がつかないと判断したのかこちらに話を振ってきたのはそれから十分以上も経過した後のことだった。
「どうされるおつもりですか! イチヤ様!」
「どうするつもりなのよ! イチヤ!」
「どうするもこうするも、俺はこのまま二人に手を出さずに娼館通いが一番だと思うんだが……それはダメなのな。分かったから二人ともそう睨むなって」
言葉も必要とせずに即座に却下されてしまう。と言うか主人なのに睨まれて引くって何なんだ、この状況は。
「とりあえず落ち着けよ。そして順番に話を整理していこう。そもそもの話、どうしてロゼは俺が娼館に行くことを気に入らないんだ?」
遠慮せずに言うように促すと少しだけ迷った末にロゼはその理由を口にする。
「だ、だって今の私にはそれぐらいでしか役に立てるようなことがないし……」
「別に俺はそういうことを期待してロゼ達を買ったわけじゃないんだがな」
「それでもやっぱり不安になるの! ……そ、それにもしこの後で寵愛されるようになった時に比較されたくないの。私なんて娼館にいる本職相手とは比べ物にならないのはわかってるから」
そこで珍しく顔を赤くして恥ずかしそうにしているロゼは自棄になったかのように言葉を付け足す。
「ああもう、そうよ! 私はイチヤを取られるんじゃないかって嫉妬したの! 悪い!?」
「悪くはないさ。むしろ光栄だな」
恐らくだがこれは単なる恋愛感情だけから来るものではない。
今のロゼにとってたった一度とは言え俺とそういう関係になったということがある種の繋がりとなっているのだと思う。
だからこそそれを守ろうとするし、他に同じような人が現れるのを怖がる。それゆえ、自分が劣っていた場合、見捨てられるのではないかと思って。
後は現状では戦闘の面でソラよりも役に立てないこともあるだろう。だからそれ以外で勝っている部分をソラに奪われたくないのだ。
「で、ソラは? どうして主張を翻したんだ?」
「わ、私だけ寵愛を受けていないなんて不公平だと思うからです。もちろん同じ立場のロゼも一緒なら我慢しますが、その……」
「自分だけ違うのは怖いってところか?」
「……はい」
こっちはこっちでロゼだけとなると自分が劣っているようで不安になると言う。二人ともネガティブに考え過ぎというか心配性にも程があるだろうに。
「改めて確認するが、二人は自分が何を言っているのか分かっていて、覚悟も出来ているんだよな?」
「は、はい」
「も、もちろんよ」
それならば話は早い。
「女性にそこまで言わせて断るようじゃ男が廃るな。分かったよ、これからは娼館にはいかないと約束するし、今回の件については二人の要求に全て従った上で解決しよう」
そう言った俺は煙草を消すと部屋の窓を閉める。
そもそもの話が俺は二人に気を使っていたからこれまで自制心をフルに稼働させて手を出さなかっただけだ。二人から許可が出ているとなれば我慢する必要などないのである。
「え、ちょ」
「ま、まさかこれから……ですか?」
「安心しろ。体力は有り余るほどあるし技術についてはたった今、磨いてきたところだから」
それも天職の学習能力が高まるという補正付きで。
「大丈夫、回数なんてどうでもよくなるようになるからさ」
嫌なら拒否しても構わないと告げても、なんだかんだ言って二人は躊躇いがあっても拒否することはなく、その戦いは日が最も高い位置に昇るまで続いたのだった。




