第十二話 朝の一杯
寝る時に一悶着あるかと思ったら、二人とも満腹になって食欲が満たされると次は睡眠欲と言わんばかりに結構あっさりと寝付いてしまったことはこちらとしても大いに助かった。
もっとも寝るならそれぞれのベッドが有るのだしそっちで寝て欲しかったが。二人とも部屋に戻って椅子に座ったままいつの間にか寝ていたので俺が運ぶ羽目になったのである。
まあ今の肉体なら人一人運ぶくらい大した労力じゃないので構わないのだけれど。
そうして迎えた翌日、俺の目覚まし時計となったのは、
「えっ!」
という悲鳴に似た驚愕の声だった。
若干寝ぼけた意識のままその声がした方に顔を向けると、そこには上半身を起こして自分の顔や体を触って焦っている様子のソラがいた。
「ど、どうして私はベッドで寝ているのです? ……そ、そうだ。確か昨日は変な人に買われてその後は」
「たらふく晩飯を食った所為かそっちの椅子で眠っちまったから俺がベッドまで運んだんだよ。それと悪かったな、変な人で」
「……」
横から投げかけられたこちらの説明の声にソラはピタッと固まり、そしてゆっくりとこちらに首を向けてくる。
その動きはまるで錆びついたロボットのようにぎこちなかった。
「おはよう、ソラ。よく眠れたか」
ちなみに俺は微妙だった。試しに何も使わずに眠って見たのだが、やはりこちらの世界のベッドは固いこともあって寝にくいのだ。
どうやら「宿屋のベッドだし、もしかしたら寝てみたら意外に合う可能性も」何て考えず、デュークの家でやっていたようにベッドの上だろうと寝袋を広げて寝るべきだったようだ。
だからその程度の事で覚醒したのはソラの所為だけではなかったというのに、事情を知らないソラはそうは思わなかったらしい。
「も、申し訳ありません!」
そんな謝罪の言葉と同時に床にぶつかるような勢いで降りると平伏してみせた。所謂土下座と呼ばれる体勢である。
「いや、別にいいって。てかさっきのも冗談だから気にしないでいいよ。むしろ気にされるとこっちが困るし」
欠伸をしながら本心からどうでもいいと思って答えるとソラはゆっくりと顔を上げてこちらの様子を伺ってくる。まだ体勢を変えない辺りがらしいと言うべきだろうか。既に呼び捨てになっているロゼとは大違いである。
そこで驚いたことにグウという音が部屋の中に響き渡る。まさかと思ったがその音の主は顔を真っ赤にしているし、どうやら間違いないようだ。
「まさかの食いしん坊キャラか……うん、良い意味でギャップがあるな」
所謂萌えとはこういうことを言うのだろう。
「も、申し訳ありません……」
「だから謝るなって。生きてれば誰でも腹は減るんだしさ」
とは言えこの時間だとまだ朝食の準備は出来ていないだろう。
それを贋作の中でも珍しく消すことのない腕時計の時間を確認して俺はその事を悟っていた。驚くべきことにこの世界での日数や時間は向こうと全く同じだったのだ。だからこうして腕時計も特に変化などを考えることなく使えるのだ。
その枕元に置かれた腕時計の時間は午前五時。これでは他の店もやっているとは思えない。
「となればあれの出番か」
他の食材や料理もリストの中にあるが、異世界人のソラがどんな反応するか気になったので俺はそれを選択する。
即ち即席麺、またの名をインスタントラーメンという学生の友を言うべき存在を。
「ソラは火を起こせるって言ってたよな。それって周囲に被害を出さずにここでも出来る?」
「出来ますけど、それで何をすればいいのですか?」
「そう難しい事じゃないよ。今から用意する物を火で熱するだけだから」
木造の家、しかもキッチン等が無い部屋でやるには危険過ぎる行為かもしれないが、そこは楽観的に考えてチャレンジしてみることにした。
良い子の皆は絶対に真似しないように。
どうせだからと自分の分も作ることにした俺は鍋に水を入れてそれをソラに熱してもらう。その時に感動したのが手の触れていない鍋をソラが宙に浮かせてみせたことだ。要するに空中でソラは鍋を火にかけているのである。
「いやー凄いな。これってやっぱり魔法?」
「は、はい。ですがこの程度のことは誰でも出来る事ですので誉められるようなことではありません」
そんなことを言いながらも喜んでいるのがその恥ずかしそうだけれど緩みそうになっている頬と揺れる尻尾で丸判りだったが、そこは察して気付かない振りをしてあげることにした。
多分だが褒められることになれていないような気がするし、変に動揺して失敗されたら困るので。
そうして温まったお湯を鍋のままでは味気ないのでデュークの家であらかじめ作っておいた器に移して、その中にインスタントラーメンを入れる。
「ほい完成」
「確かに良い匂いがしますが、これだけで完成なのですか?」
「本当は上に卵とか野菜とか色々とトッピングするんだけど、今はそれがないからなあ……いや待てよ。こっちの世界の物でも合う食材がどこかにあるか? 卵ぐらいなら簡単に手に入りそうだし」
もっともそれを探るのはまたの機会にして今は食べるとしよう。あんまり待たせると今か今かと期待に目を輝かせて待っているソラが可哀想だし。
「熱いから舌を火傷しないように気を付けろよ」
「わ、分かりました」
箸は無理だろうからと渡したのはこちらの世界にあったフォークに似た道具だ。それを使って俺の指示通りにその麺を口にし、
「おいしい……凄くおいしいですこれ!」
非常に良い笑顔をこちらに向けてくれた。何だか昨日よりも随分と感情を見せてくれるようになったのでなによりである。
その笑顔を見た後に俺も食べてみるが、
「うん、やっぱりいつもと変わらぬインスタントラーメンの味だわな」
誰でも簡単に作れて味が変わらないことがこの商品の売りのはずだからそれでいいのだが、ソラのように絶賛するほどではないのが正直なところだ。
「これは何という名前の料理なのですか?」
「ラーメンだよ。俺の故郷の料理だ。まあその中でもこれは早くて簡単に作れる代わりに味はそれほどとはいかないが」
「これほどおいしいものがそれほどではないなんてイチヤ様の故郷は食が豊かなのですね。それに私とは使っている道具も違います」
「こっちの箸は慣れないと難しいからな。今はそれで我慢しておけ。何故ならこの料理はのんびりしていると麺がスープを吸ってのびるからな」
「のびるとどうなるのですか?」
「端的に言えば不味くなる」
「なるほど、鮮度が重要な料理なのですね」
厳密には違っていたがその説明は後でいいだろう。今するとそっちを聞くことに集中して手が止まりそうだし。
「聞きたい事は後で答えてやるから今はそれを食え。足りなきゃお代わりもある」
こちらが麺を啜る時などにチラッと興味深げにこちらを見るソラだったが、不味くなるという脅しもあってか質問することなくすぐに食べることに集中していた。
(って、そういや初めてソラに名前で呼ばれたな)
様付けではあったが名前を呼ばれたのは初だ。
もっともわざわざ指摘するようなことでもないし、大分話が進んでしまった事もあって俺はスルーすることにした。様付けなんてくすぐったい気もするが、それがソラにとって一番呼びやすいのならそうすればいいと思って。
その後、気に入ったのかスープまで飲み干して何か言いたげなソラの表情を見た俺は、
「……お代わりか?」
「……お願いしてもいいでしょうか?」
か細く今にも消えそうになりながらもはっきりとそう主張した言葉に堪えきれずに笑ってしまう。それでますます顔を赤くするソラには悪かったが堪える事など無理だったのだ。
ましてや「これ食い過ぎると太るぞ」なんてこの状況で言えるわけがない。
「うーん、何かあったの? そんなに笑って」
その笑い声で目が覚めてしまったロゼも加えて俺はもう二杯ラーメンを作ってやるのだった。




