「捉われた者」
その日はあいにくと雨だった。
もともと日の光が当たらないこの部屋はいつにもまして暗かった。
まだ3月の終わりだというのにシャツが汗ばみ体に張り付いている。
気温のせいではないのはすぐにわかった。
春のしかも雨の日の朝に汗ばんだ体はとても寒く感じた。
夢を見た。
1年前の悪夢を。
仲間を、彼女を救えなかったあの光景を。
鮮明に、そして残酷に。
決して忘れないための呪いのように。
意識だけをあの刻に回帰させる。
俺が俺に課した呪い。
悪夢を見るたびに俺の罪悪感はリセットされる。
決して慣れないように。
気だるい体を引きずって、俺は汗を流すために風呂へと向かった。
俺こと鍵刻 司が通う国立魔法大学付属高校は、静岡県の富士市にある。
霊峰と呼ばれるだけあって、富士山の近くはマナが濃く、日本唯一の魔法科高校ということで、魔法適性のあるものは皆ここに入学する。
学科は、魔法科、 魔工科、魔召科に分けられ、簡単に、魔法科は個人か多人数で行う人間による理外術式魔法、魔工科は魔法使いが行使する魔法の強化装置などの魔法補助機器の研究。そして魔召科は魔界と呼ばれる別空間から魔物を召喚し、魔物によって理外術式魔法を展開させる。
魔工科は、起動に際して起動させるだけの、そして魔召科は魔物を召喚し、魔物をこちらの世界につなぎとめ魔法を行使させるだけのマナ、魔力と呼ばれるものがあれば誰でもできる。
正確には魔工科には設計や製造などの知識が必要だし、魔召科は別世界の生き物をつなぎとめておくだけの、相当量のマナが必要になってくるのだが、それを差し置いても、魔法科の異端性には及ばない。
人の身でありながら、世界が定めた理に干渉し、捻じ枉げ、自らが理を書き換える。
適性があり、学校に入学できても、この科にはいれるものは少ない。
そして入ったものは例外無く将来の軍略兵器扱いとなる。
そんな化け物の巣窟に俺は在籍している。
今現在、学校は春季休暇中だが、あと数日で再開されることになっている。
「はぁ。」
と、ため息をつきながら、俺は服を着替え部屋を出た。
休暇中とはいえ、生徒が全員帰郷しているわけではないらしい。
男子寮一階のエントランスでは、数人の生徒が笑いながら話していた。
しかし
「おい、あいつだぜ。」
俺が視界に入ると同時に、笑い声が消え、どうじに視線が鋭くなる。
敵視しているわけではないのは、雰囲気からも、経験からもわかる。
怖いのだろう、それか不気味だと思われてるかだ。
「ああ、死神だ…。」
最早慣れたその言葉に何の感慨もわかない。
いや、当然のことを言われたからか。
すぐに寮を出た俺には、それ以上の言葉は届いてこなかった。
雨の中を傘をささずに進む。
この近辺にいる人間は皆そうしている。
系統外魔法「纏」
その名のとおりマナを体に纏わせレインコートがわりにしている。
本当は防御の基本魔法なのだが、よく言えば応用、悪く言えば無駄遣い。
「くだらない。」
どんな魔法でも、使い方によって、意味が変わってくる。(魔法に限ったことではないが)
人の役に、立っているように見える。
そう、見えるだけだ。
魔法の本質は別にあるというのに。
魔法が栄えている現代で、しかも魔法を学ぶために作られたこの空間に、魔法に関わらない物は少ない。
だからこんな日常的な物ですら俺は、目を背けたくなる。
苛立つ自分もその恩恵を受けていることがまた苛立ちをましていく。
富士山の麓を買い取り作られたこの空間には、規約に定められた魔法使い以外出入りはできない。そのため、学校の他に、ショッピングモールや娯楽施設なども共有施設スペースが完備されている。
帰郷しない生徒は、ほとんどがここで時間を潰していた。
できるだけ目立たないように、共有施設スペースを抜けると、そこには墓地が広がっており一番置くまで進むと、ひときわ異彩を放つ石碑が建っていた。
殉職した魔法使いたちの「名もなき慰霊碑」を前に俺は手を合わせた。
ここに眠っているのは、通常の魔法使いではない。
ここに眠っているのは、固有魔法所有者だけだ。来る途中にあった墓には一人一人の遺灰が入っているが、この慰霊碑は固有魔法を敵国に奪取させないために、遺灰すら残さず消された魔法使いたちのために建てられている。
故に眠っているという表現すら間違っている。
しかし何かしらの形がなければ、救われない人もいる。
俺自身もこれに、救われている面がある。
ここに眠るのは軍人だけじゃない。
若くして才能を開花させ、固有魔法を手に入れた学生もここにいる。
名前すら記されてはいないが…。
俺も、いつかはこの場所に入ることになる。
だから…
「もう少し、待っててくれな。奏。」
「奏って、もしかして蒼井 奏のことですか?」
唐突に声が耳に届く。
周囲への警戒が散漫になっていたことに気づくがもう遅かった。
声をかけてきたのは、まだ幼さの残る顔立ちをした、少女だった。
制服の色は青だから三年の、いや、一年か。
自分がまだ、二年になるという自覚がなかったせいか、勘違いしそうになる。
「その制服の色は二年の人ですよね?」
こちらの動揺など御構い無しに、少女は質問を続ける。
「そうだけど、君は?」
やっと出た言葉はそれだけだった。
「あ、失礼しました!私今年から国立魔法大学付属高校に通います、蒼井 理加って言います。去年在籍していた、蒼井 奏の妹です。」
その言葉に、俺は精神魔法でもかけられたんじゃないかと錯覚した。