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特殊能力  作者: 朝日 湊
3/3

後編

 一日の講義が終わるとすっかり日が傾いていた。三井は友人たちと別れ、アルバイト先に急いだ。今日のシフトでは、講義が終わってからアルバイト開始時間までの間に余裕がない。

 アルバイト先のファミリーレストランに着くと、慌てて更衣室に向かい、制服に着替えてタイムカードを切った。時計を見ると、定刻には間に合ったようだ。

 その日、ファミリーレストランは普段以上に繁盛し、普段以上に忙しくなった。どこかのサークルが活動終わりに団体客としてやってきたようだ。

 三井は目を回しながら働いた。何もこんな時に忙しくしなくてもいいじゃないか。

 見間違いしないよう注意する余裕はなかったが、逆にそれが功を奏したようだ。時々料理のトッピングが変わっていた程度で、特に大きな問題は起きなかった。とはいえ、他のアルバイト店員や店長は首を傾げていた。

 どうやら意識すればするほど深みにはまってしまうようだ。三井は肩の力を抜くことにした。

 アルバイトが終わって三井が店から出ると、すっかり夜が更けていた。曇天のせいで月も出ておらず、空は真っ暗だ。様々な店が並ぶ国道沿いは明るいが、少し裏に入ればぽつぽつと並んだ街灯だけが頼りになる。

 三井は自転車に跨り、地面を蹴った。

 国道沿いにしばらく走り、二つほど交差点を越えたところで信号が変わるのを待つ。と、車が飛び交う道路の中にふらふらと動く影を見つけた。

 ――猫?

 いや、違う、あれはビニール袋かなにかだ。

 しまった、と思った時には遅かった。道路の真ん中にあった影はむくむくと形を変え、黒い猫になった。

 完全に猫の形をとったそれが動き出した瞬間、大きなトラックが影をかき消すように走り去った。

 赤い信号がふっと青色に変わる。それに合わせて車の動きが変化し、三井ははっとなって横断歩道を渡り始めた。ちらりと伺うと、道路には猫のようなものがぐったりと横たわっていた。

 俺は、今、何をしたんだろう。

 頭が混乱していた。あの猫は、俺が作り、俺が殺したようなものではないか。

 いや待て、五分ほどすればあの猫は元のビニール袋に戻るはずだ。生命をもったものではない。

 いやいや、あの瞬間はたしかに猫として動いていた。一瞬とはいえ生命だったのではないのか。

 考えているうちに、大通りから外れ裏道に入っていた。光源が極端に減り、数少ない街灯と民家から漏れてくる明かりだけが頼りだ。

 暗い道では、ものがはっきりと見えない。そんな状況では、ただの薄らぼんやりとした影が人に見えることも珍しくはない。

 三井も例外ではなかった。

 道端に置かれた何かが、座り込んだ人に見える。それが何だったかは見えないままだったが、本当に人だったわけではないだろう。

 アスファルトの上の黒い染みが、先程の猫を連想させ思わずびくりとする。単純な染みだっただろうに。

 ああ、まずい。そう頭では理解できるが、もう遅い。

 自転車を止めてゆっくりと振り返る。

 数メートル後ろに、何事かをぶつぶつと呟く男が道端に座り込んでいる。今さっきハンドルを操作して避けた染みは、倒れて動かない猫になっていた。

 三井は必死で脚を動かした。大腿筋が軋み、ふくらはぎが痛む。それでも急ぐ。早く帰ろう。何を見てしまうかわかったものではない。

 だが、いくら急ごうとも目を閉じて自転車を操縦できるわけがない。視界には様々なものが飛び込んでくる。

 道の上に飛びだした木の枝は、亡者たちの伸ばす白い腕に見える。

 民家の窓から、誰かがこちらを覗いているような気がした。

 路上駐車された車の中で何かが動いたようにも見えた。

 一度でも怖いと思うと、もうだめだ。どうにもならない。全てが恐ろしいものに見えてくる。

 夜中に怖い怖いと思っていたら柳の木を女の幽霊と見間違えたという笑い話があるが、三井にとっては人ごとではなかった。しかも、自分の場合は見間違えたらそれが本物になるのだ。

 何を見ても、確認するのが恐ろしくて振り返ることができない。

 すれ違った車の運転手の顔が見えず、のっぺらぼうのように見えた。

 後ろから激しい衝突音が聞こえる。そうか、顔がなくなったら前見えないよな。

 俺は関係ない、俺のせいじゃない。

 こんなに遠かったっけ、俺の家。

 三井は必死に自転車のペダルを漕ぎ続けた。



 ほうほうの体でアパートに辿りついた。

 駐輪場に自転車を停めて、アパートの外灯にほっとする。明るければまだマシだろう。

 階段を上がり、自分の部屋に向かって廊下を歩く。

 他の部屋の前を通り過ぎる際に、窓に人の顔を見た気がした。いや、あれはきっと内側で布巾かなにかを干していたんだ。そう自分に言い聞かせても、もう遅い。

「ねえ、ねえ、どこへ行くの」

 後ろから女の声が聴こえて振り返る。窓に平らな女の顔が貼りついており、そこから声がする。ぼんやりとしたガラスの向こう、布巾のように白い顔をした女がたしかにこちらを見ている。

 その女と、目が合った。

 ひっ、と声にならない悲鳴を上げ、三井は背を向けて走った。自分の部屋の前に着くと、慌てて鍵を開けて中に入る。

 ここまで来れば大丈夫だ、明かりもあるし、問題はない。

 というより、そもそも見なければいいのだ。目を閉じていれば見間違いを起こすことなんてない。

 さっさと寝てしまおう。明日になったらこの能力は元に戻っているかもしれない。もしかして、全部夢だったのかもしれない。

 三井は洗面台でコンタクトレンズを外し、脱衣所で服を脱いで風呂場に入った。

 頭からシャワーを浴びたところで、しまったなと思った。無防備な状態で目を閉じると、恐怖が心を大きく占有する。

 部屋に入ってから何か見間違いしなかったよな。不安が生まれる。

 後ろからなにか来たりしないよな。不安が大きくなる。

 思わず目を開く。

 目の前の鏡は曇っていて、怖がっているせいなのだろうが、何だか鏡像は自分と違う動きをしているように見える。コンタクトレンズを外していて、よく見えないせいだろう。

 そんなわけないよな、とシャワーを鏡に向ける。濡れて鏡面がはっきりする。

 鏡の中には頭を洗っている自分が映っている。

 いや、ちょっと待て、俺は今シャワーを鏡に向けたところで、両手使って頭洗ってなんていない。

 鏡の向こうの自分がにっこりとこちらに微笑みかけた。

 三井は腰を抜かし、濡れたまま慌てて風呂場を出た。

 風呂場の扉を閉め、鏡が見えないようにする。タオルで荒々しく体を拭き、寝巻に着替える。

 これ以上なにか起こしてたまるものか。

 三井はそのまま電気を消してベッドに倒れ込んだ。そして目を閉じ、布団を被って仰向けになった。

 こうなったら目を閉じて眠ってしまうのが一番だ。



 帰ってからカーテンを閉めるのを忘れていた。向かいのアパートの外灯だろうか、薄明かりが差し込んでいる。

 我慢しようとも思ったが、三井は真っ暗でないと眠れない性質たちである。ただでさえ不安に駆られて眠れないのに、気になって仕方が無い。いやだな、と思いつつ三井は目を開けた。

 直後に、目を開けたことを後悔した。天井の影が、自分に圧し掛かる影に見えた。

 ずしり、と体に重さがかかる。体の上に黒い影がある。

 表を車が通り、ライトが部屋を横切っていく。のしかかった影の手が揺らぎ、まるで首に伸びてくるかのように見えた。

 喉に圧迫感が生まれた。

 苦しい。呼吸が出来ない。

 かはっ、と擦れた声が漏れる。

 振り払おうともがくが、相手は影だ。見間違えたのが人だったら触れられたのに。

 もがいている内に、壁のコルクボードにかかった写真に目が行った。

 薄明かりの中、写真の中の自分や友人たちが、自分の苦しんでいる様子を見て笑っているように見えた。そんなわけないのに。

 ――ああ、そういえば怖い怖いと思っていたら夕飯も食っていなかったな。

 三井の意識はそこで途切れ、念願の暗闇が訪れた。



     ◯



 一週間後、大学生の変死事件が世間を騒がせた。親元を離れた一人暮らしであり、また頻繁に訪ねる恋人などもいなかったため、発見が遅れたという。

 喉に圧迫痕があり、自殺したような痕跡もないことから明らかな他殺であることがわかるが、証拠が一切存在しない。

 抵抗した痕も、指紋も残ってはいない。

 壁のコルクボードに留められた写真に写る笑顔の人々が、不自然な形で亡くなった大学生が倒れていたベッドの方を向いていたことから、オカルト雑誌などでも面白おかしく取り上げられた。

 死亡推定時間の前後、近所で不思議なものを見たという証言や、運転手が「突然前が見えなくなり呼吸もできなくなった」と証言している事故が起きていたこともオカルト的な見解を煽る一因となっていた。

 そうした中、あるテレビ番組が特別な能力を持っていると自称する人物にこの事件の判断を仰いだ。その特殊能力者曰く、

「見えます、見えます。私にはわかります。彼は恐ろしい悪霊に殺されたのです。きっとアパートに着いた自縛霊の仕業に違いありません。このアパートは、すぐにお祓いをすべきです」

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