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特殊能力  作者: 朝日 湊
2/3

中編

 廊下に出てみると、先程講義を抜け出した一団が廊下に座り込んでいた。それを通りがかりの生徒たちが好奇と嫌悪の視線をもって取り巻いているような状態であった。

 大声で喚いていたのはこいつだろう、疲れ切って茫然としている長髪の男が半円の中心に座り込んでいる。

 いや、男ではない。服装が男物というだけだ。丸みを帯びた体のラインと時々聴こえる小さな独り言の声で、三井はそれが女だとわかった。

 女はぶつぶつ言っていたと思うと、ふらりと立ち上がり一目散に男子トイレに入っていった。

 ギャラリーは三井を含め呆気に取られた。女に一瞬遅れて、連れらしき男二人が追いかけるようにして男子トイレに入っていった。

 数秒後、女が一際大きな声で叫び声を上げた。他の男二人も驚いたような声を上げている。

 なにごとかと男子トイレを覗き込むと、女が洗面台の鏡の前で上着を脱いで立っていた。しきりに自分の胸を触りながら真っ青な顔をしている。そして、恐る恐るベルトを緩め、ちらりとジーンズの中を覗き込み、そのまま膝から崩れ落ちた。

 女の隣にいる男たちはぽかんと口を開けてその様子を見ている。

 三井も呆気に取られてその光景を見ていた。言うまでもなく女の服装は先程講義を抜けていった長髪男のそれであり、顔つきもどことなく面影がある。

 三井は今朝の書面を悪戯と言い切ることが出来なくなった。



     ◯



 講義を抜けたその足で、友人たちと食堂に向かった。歩きながら交わす雑談の内容は、もちろん先程目撃した事件についてだ。

 しばらくだんまりを決め込んでいた三井だったが、ふと思い立ったように口を開いた。

「あのさ、実は俺、あいつが教室出ていく時に、男だったあいつのことを女に見間違えたんだよね」

 場の空気が一瞬凍りついた。皆の脚が止まる。

「いや、まさか、ないない。笑えないって」

 お調子者の加藤がそう言いながら笑ったことで、凍てついた空気は溶解した。

 三井自身、自分とは関係ないと思いたいことではあったが、男が女になっていたのだ。異常事態には違いない。それがもし、自分のせいで起きた事件だったとしたら。三井は黙っていることができなかった。

「なあ、講義中に教科書借りたよな。あれもさ、自分の教科書の文字を見間違えたと思ったら間違えた通りの文字になっててさ。確認したくて借りたんだ」

 そう言いながら三井は自分の教科書を鞄から取り出し、問題のページを開いて見せた。

「見ろよ、ここ。自分のと見比べてみてくれ」

 言われた友人たちが自分の教科書を取り出し、三井の指さす箇所と見比べる。

「……違うな」

「俺も違う」

「俺もだ」

 結果、三井のものだけが〝経済〟となっていた。確認してみたところ、教科書は全て同時期に印刷された物で、そもそも思い返せば皆で一緒に学内の生協で買ったものである。ひとつだけ誤字があるというのはおかしい。

「三井、食堂で飯食いながら詳しく話してくれよ」

 三井は青い顔で頷いた。脚を進め、食堂へ向かう。



 温かいものを腹に収めている内に、三井は血色を取り戻した。そのタイミングを見計らって、斉藤が切り出した。

「三井、書面の内容、もう一回詳しく聞かせてもらえるか」

 三井は温かいお茶をぐいっと飲み干すと、書面の内容を話し始めた。書面はじっくりと読んだので、内容はよく覚えている。



「ってことは、あの女の子……で、いいのか? あいつにしろ、教科書にしろ、時間が経ったら元に戻るんだな?」

 話を聞き終えた中野に尋ねられ、三井は「だと思う」と答えた。確証はなかった。

「はーいはーい、肌色の服を着た女の子を裸だと見間違えたら、本当に裸になるってことですよねー? 宝くじの当せん番号一桁違いを大当たりに見間違えたら大当たりになるんですよねー?」

 加藤が高く手を挙げ、わくわくとした様子で捲し立てた。本当にポジティブな奴だな、と三井は感心した。しかし、指摘すべきことはしておこう。

「意図的にそんなことはできないだろう。宝くじにしたって、都合よくその番号だけ見間違えたりできないし、だいたい時間が経ったら元に戻るだろ」

 加藤は唇を尖らせて「ケチー」と言いながら手を下げた。ケチとはなんだ、ケチとは。

 でも、この能力が本物だったとしたら、何かうまく使えるかもしれないな。少しはポジティブなところを見習ってもいいかもしれない。

「とりあえずさ」

 今度は斉藤が手を挙げた。三井は手の平で先を促した。

「実際に見ないと信じられないよな、やっぱ。非現実的過ぎるもん」

 友人たちが首肯した。それはそうだろう。と三井も頷く。自分だってまだ信じられない。

「実験しよう」

 そう言って中野がノートに文字を書き始めた。書き終わると、そのノートを三井以外に見せて「よく覚えておいてくれ」と確認させる。皆が頷くと、三井にノートを手渡した。

「今、携帯で適当なサイトを開いて、そのページのURLを書き写した。二列あるけど、下の列は上の列と一文字だけ変えてある。間違いを探してみろ、十秒な」

 中野はそう言って腕時計に視線を落とした。なんだかよくわからないが、慌てて間違い探しを始める。

 しかし、焦った状態で細かい文字列を見ていると頭が混乱してくる。「1(イチ)」なのか「l(エル)」なのか、「0(ゼロ)」なのか「O(オー)」なのか。視界の中心にない文字は尚のことわからない。「2276」が「2776」に見えたりもする。

 混乱している内に、よく見ると一文字どころではなくいたるところが間違っていることに気付いた。

「はい十秒」

 中野がさっとノートを取り上げ、文字を確認する。見る見るうちに眉間に皺が寄り、目を擦ってもう一度確認した。

「ちょっとお前らも確認してくれ」

 中野は首を傾げながらノートを友人たちに手渡した。

「俺はこの『b』を『d』に変えただけだったよな?」

 不可解そうにノートを覗き込む友人たちに、中野が続けてそう言った。その言葉に友人たちは頷いてみせる。

「でも、これさ……」

 加藤が言い淀みながらノートの文字列を指差す。中野は黙って頷き、加藤からノートを受け取り、三井に手渡した。

「いや、俺も自分でわかったから」

 三井はそう言ってノートを中野に返した。中野は「そうか」と言ってそれを手元に置いた。

「信じがたいけど、信じた方がいいんだろうな」

 中野の言う通りだ、信じがたいが、信じざるを得ないだろう。実際に、見間違いが現実になってしまった。

「あとはどの程度の時間で戻るか、だな」

 中野がそう言いながらノートを開き直す。言われて三井ははっとした。そうか、この現象が事実かどうかだけでなく戻るまでの時間も確認しておかなければならないのだ。



 その後、中野の意見を中心にして実験を行った結果、基本的には五分程度で元に戻ることが判明した。

 ただし、見間違いを起こして変化したものを三井が見続けている間は元に戻らないようだ。三井が視覚で認識している通りに現実が変わるので、見間違って変化したものを見続けている限り〝誤認状態のまま〟、つまり見間違い続けていると言える。というのが理屈だと考えられた。

「つまり、このノートの文字を俺がずっと見続けていたら、五分経ってもノートの文字は元に戻らない」

 三井がそう整理すると、中野は頷き、続きを引き取った。

「しかも、誤認し続けている時間が長くなるわけだから、元に戻るまでの時間も恐らく長くなる」

 この実験結果を得た代償に、三井はその日の講義を一人で受けることになった。というのも、友人一同が「お前の視界に入って何かあったら怖い」という至極真っ当な理由から三井を避けた為だ。

 自分たちと異なるものは、本能的に怖いのだろうと思う。それは三井にも理解はできる。

 そもそもこの能力は誰が与えたのか、書面は誰が送って来たのか。謎が不安感を更に煽ったのだろう。加藤は「神様じゃねえの」などと嘯いていたが。

 避けていたとはいえ、友人たちも完全に放置するのも気が退けたのか、講義中は三井のすぐ後ろの席に座っていた。

 講義の間、三井はできる限り見間違いをしないよう必死に目の前の教科書にのみ集中していた。帰ったら、この能力の何か有効な使い方を考えてみよう。帰るまでは、問題が起きないように気をつけていなければならない。

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