閑話 守り刀
刀には、いくつかの時節に合わせて贈られる習慣がある。
嫁入りに短刀を持たすのが、かつては一般的な風習としての、その最たるものだろう。
出産に合わせて、子に守り刀を贈るという風習がある。
皇室では【賜剣の儀】と呼ばれ、今も厳然と残るものだ。
古来より、刀とは武器だけにその用途は留まるものではない。
神器として、祭器として、または邪気を祓う霊器としての役割も兼ね揃えている。
それは、刀に邪気を払う力がある、と考えられているためだ。
――我が子の未来にかかる邪悪な運命を払い給え。
そんな想いが篭められている。
だから、エイジはタニアが妊娠したと聞いた時、ごく自然と守り刀を作ろうと思った。
それも、生半可な物ではない。
唯一無二ともいえる、傑作の守り刀を作るつもりだった。
最高の守り刀を作る。
その目的のためには、まず原料からこだわる必要がある。
いかに鍛冶師の腕が良くても、屑鉄ではろくな物を作ることはできない。
現在使用している鉄鉱石はそれなりに良質ではある。
だが、最善を求めるならば不純物の少ない砂鉄から精製する方が良い。
精製前の鉄の含有率が変わるからだ。
川で採る砂鉄からは、およそ七割から八割が純粋な鉄として採ることが出来る。
これは、鉄鉱石を鉱床から削ってできる割合よりも、はるかに高い。
そんな理由もあって、エイジは弟子たちを引き連れ、砂鉄採集を始めることにした。
「よし、今日は砂鉄を採りに行こう!」
「分かりましたっす!」
「ああん? 俺たちが掘ってる奴じゃダメなのかよ」
「あらあら、また珍しいことになりそうですね」
提案するエイジに、快く賛同するピエトロと、疑問を呈するダンテ。
カタリーナは楽しそうに事態の推移を見守っている。
よくもまあ、これだけ特徴的な人間が集まるものだと思う。
エイジはダンテの質問に答えた。
「砂鉄から作ったものは、いい出来になるんだよ。鍛冶師が良い物を作るために努力する、不思議なことじゃないでしょう?」
「かー、めんどくせぇ~」
「じゃあダンテはお留守番っすね。親方、俺とカタリーナでやりましょう」
「おいおい、俺様がいなきゃお前らだけじゃどれだけ時間がかかるか分からねえだろうが。手伝ってやるよ」
口では面倒そうに言いながら、ダンテがいそいそと準備を始める。
口調は相変わらず憎まれ口や不平不満が目立つが、最近行動が可愛らしくなってきたので、エイジは放置することにしている。
最近はピエトロが操縦法を身につけてくれたようでなりよりだ。
エイジが直接指示する負担が減ったことで、仕事がずいぶんとやりやすくなった。
一番弟子として、人の上に立つ力がついてきているのがよく分かった。
また、何かで報いてあげないといけないな。
エイジたち一行は道具を持って、鉄鉱石の採れる山の近くの小川に移動していた。
山頂より川にそって下って行くと、途中から川底に黒い砂が見えてくる。
恐らくこの近くにも鉄鉱石の鉱床があるのだろう。
それが雨水に長年流されて、少しずつ川に堆積しているのだ。
「それでは、みんなに手渡した磁石を取り出してください」
「はいっす」
「これって、鉄とどこが違うんだ。カタリーナは分かるか?」
「そうですねぇ。この磁石同士はくっつきますよ? あとは離れそうになったり。磁石って面白いですねえ」
「良いところに気付いたね。磁石ってのはほとんど原料が鉄で出来てるんだ。作り方も、熱した鉄に衝撃を与えて、水で急激に冷やすだけだから、ほとんど普段の鍛冶仕事と変わらない」
磁石の作り方は、鍛冶で鉄を鍛える方法と酷似している。
また、個人が家庭ででも、釘などの尖った物をコンロで熱し、水につけるだけで磁石は作れるのだ。
もちろんこれは簡易的な作り方で、良い磁石とはいえない。
永久磁石とは違うのだ。
磁力は弱く、徐々に減衰していってしまう。
より強磁性の磁石を作ろうと思ったら、他の原料を混ぜてやる必要があった。
バリウムやストロンチウムを加えたフェライト磁石や、アルミニウム、ニッケル、コバルトを主原料としたアルニコ磁石がある。
また、作った磁石を永久磁石とするには、着磁と呼ばれる作業を通す必要があるが、コイルや電力が無い。
原料と道具――その二つの障害があるため、エイジが減衰すると知りながらも、原始的な磁石の作り方しかできていない。
それでも砂鉄を吸引して、採取することは可能だった。
銅線を作ることは可能だから、今後は永久磁石の製作にも取り組みたい、と考えている。
「それじゃあ、早速始めますよ。みなさん準備をしっかり整えてくださいね」
「うっす!」
「了解。カタリーナ、俺様がバリバリ動くから、あんま無茶すんなよ」
「んふふー、大丈夫ですよー」
エイジが行った砂鉄の採集方法は、とある刀鍛冶に教えてもらった方法だった。
現代日本では日刀保によるたたら製鉄は、生産量が非常に減少していて、気軽に鉄を使うことができない。
そのため、その刀鍛冶の親方は、個人で中部地方や四国地方の砂鉄を採取する方法を行っていた。
「それじゃあ磁石に毛皮は嵌めましたね? このように磁石を川底の黒い砂に近づけると、砂鉄が引き寄せられて、毛皮につきます」
「はい、できました」
「上向きにして磁石を毛皮から外すと、砂鉄が動くようになるから、それを木箱に移しましょう。以上、これの繰り返しです」
「へっ、簡単じゃねーか!」
「それじゃあこの中で誰が一番多く採れるか、勝負ですねえ? ダンテ君がさっき偉そうなことを言ってたましたけど、私だって負けませんからねー」
「へっ、女なんだから無理せず負けとけ」
「競争は大いに結構。一番多かった人には、希望する食料一品をプレゼントしましょう」
エイジの提案に、誰もが心湧き上がった。
空腹に悩まされることはなくなったとはいえ、まだまだ豪勢な食事には程遠い。
お腹いっぱい美味しいものを食べたい、という欲求は弟子たちの心を駆り立てたようだった。
水飛沫を上げて、川へと入っていく。
「よっしゃ、俺様が絶対一番だ! オラ、どけどけ!」
「ふっふーん。ダンテくんにはちょっとムリじゃないかな―。私のほうが手先は器用だからねえ」
「まともに勝負したら、まだ背の低い俺が不利っすね。……最初から砂鉄の多そうな場所に移動するっす……おかずは貰ったっすよ」
「濡れすぎると冷えて風邪ひくから、気を付けてくださいよー」
エイジは一人、焚き火を作る準備を始めることにした。
集まった多量の砂鉄――一部の川底が黒っぽい色から土色に変わった――を持って、鍛冶場に戻る。
砂鉄は乾燥させて水分をとった後、炉で精錬する。
日本古来から続くたたら炉で作ろうかともエイジは考えた。
原料が粘土のため、労力を考えなければ作ることもできたが、およそ三日しか保たない。
炉壁が熱で溶けてしまうのだ。
せっかく耐火レンガを使用した高炉があるのだから、そちらを使用することにした。
生成すると、どろどろに溶けた鉄滓がまず出てくる。
これは不純物が多く使えない。
次に出てくるのが銑鉄だ。
炭素量が鋼よりも多く、硬いが脆い。
鋳鉄として扱うことが出来るが、鍛造は出来ないという特性があった。
そして最後に採れるのが鋼。
古来からの呼称での、ケラだ。
これのもっとも良質なものが、たたら製鉄において、いわゆる玉鋼と呼ばれる部位になる。
その玉鋼に当たる部分を、大事に小分けしていく。
今回、非常に良質な鉄の部分は、全体の約八パーセントほどが採れた。
採取した砂鉄の量がわずか百キロと少量だったが、得られた良質鋼は僅か八キロでしかない。
その希少度が分かるというものだ。
「なんてーか、良い鉄って、すげー貴重なんだな」
「ああ……反射炉や転炉が作れたら、また変わってくるんだけどなぁ……」
「親方が前に言ってた、炉のもっといいやつっすね?」
「そうだよ。よく覚えてたな」
「へへっ……」
たたら製鉄が衰退したのは、明治時代。
製鉄界の産業革命である転炉の出現によって、安価に鋼が製造できるようになったからだ。
歩留まりを一割未満から、五割以上という驚異的な効果によって、鋼の価格破壊が起こった。
日本の製鉄産業は一時壊滅的なダメージを受けたという。
その技術の応用は……今のところ難しい。
特にベッセマー転炉などは、精製炉と燃焼炉の二つの炉を必要とするし、その材料の確保も大変だった。
「さて、それじゃあ作りますかね」
ようやく手に入った鋼材を前に、エイジは小さく力を込めて呟いた。
作るものは決まっている。
どうすれば良いかも知っているし、材料も揃っている。
それだけ条件が整ってなお、小刀の進捗状況は、決してはかばかしくなかった。
エイジが睨むようにして、火土の中を見る。
真っ赤に色づいた炭の中、放り込まれた鋼が飴色に移り変わろうとしている。
本格的に熱が移り切る前に、エイジは鋼を取り出すと、鉄床に置き、慎重に叩き始めた。
コンコンコン、と叩く音は小さく、その力も優しい。
叩かれている鋼は、ごくわずかにしか形を変えていないように見える。
……急ぐ必要はない。
慎重に、慎重にだ。
――超低温鍛鉄。
鋼が脱炭するぎりぎりの温度まで加熱して鍛造する。
そうすることによって、鋼の強度を限界まで保ちながら、形状を整える。
鉄は温度が高いほど柔らかく、加工も楽になる。
つまり、エイジが今行っている超低温鍛鉄は、鍛冶師にとって最も難事といえる技だ。
特に地金と鋼を一つにする鍛接の作業時には、金属がくっつかないという問題が起きやすい。
アイケ、と呼ばれるワケあり品の一つだ。
腕の良い鍛冶職人は恥として表に出さないが、弟子の作品であれば、時折販売されていることもある。
一般人が良質な包丁を安価で手に入れる裏ワザだった。
多くの鍛冶師がアイケを避けて、限界より少しだけ高熱で鍛接を行う。
エイジとて、我が子に贈る小刀でなければ挑戦すらしようとしなかっただろう。
作業時間、込める精神力、もろもろを考えると、あまりにも採算が合わないのだ。
他の一品物の倍の料金を貰っても、まだ採算は取れないだろう。
ただただ、我が子に無事に生まれ、育ってほしいという願い。
それだけがエイジを突き動かしている。
「親方……スゴイっす……」
「あんなチマチマしてるのに、すげえ迫力を感じるぜ……」
「スゴイっていうか……動きが綺麗……」
手元をじっと観察する弟子たちの目も気にならず、エイジは黙々と鎚を振り続ける。
やがて、ほんの少しずつ金属の延べ板が刃金となり、一振りの小刀になる。
三振の小刀を作ったが、アイケを起こさずに完璧にできたのはわずか一振りだけだった。
しかし、作業はそれだけでは終わらない。
エイジはそこから銑掛けを行う。
銑とは、炭素量を多く含んだ『硬い』鉄を使って、鉄を削る道具だ。
木を削る鉋のように、薄く薄く鉄を削っていく。
シャッ、シャッ、シャッ……。
まるで時を刻む秒針のように一定のリズムでエイジの手が動く。
そして、銑掛けによって鉄屑が少しずつ飛んで行く。
「うおっ、なんだこれ……すげー薄く削ってやがる……」
「どうやったらあんなに迷いなく動かせるんすかねぇ……今のままじゃ十年続けても、親方みたいにはなれないっす……」
「職人の集中して取り組む姿って素敵だわぁ……」
「むむ! …………ちくしょう、俺だって……」
「なんか言ったっすか?」
「なんでもねえよ」
作業の合間に、何度もそんな光景が繰り広げられた。
そして、製作開始から、なんと十月が流れた。
すでに子は生まれてしまっている。
それでも、エイジには途中で切り上げて、完成だと言うことはできなかった。
自身が納得出来ないものを、大切な我が子に渡すわけにはいかない。
精魂尽きて、げっそりと頬を痩けさせたエイジは、それでも茎に鏨で銘を切った。
名は《定切》。
人は運命に生きるのではない。
運命を切り開くのだ、と。
定めを切って、自由に生きて欲しい、という願いを込めた。
鍛冶屋の息子としてではなく、村長の一族という立場でもなく、我が子の望む道を歩めるように。
「よっし! できたああ!」
雄叫びを上げて、エイジが小刀を構えた。
陽光を反して、キラリと切っ先が輝く。
眩しいばかりの表面の光沢だった。
「す、凄すぎて見てるだけで震えてくるっす」
「はは、なんだこれ……」
「こんなのが、人の手で作れるんですね……」
気圧されるように、弟子たちが呻いた。
本当に調和の取れた小刀は、自然と威を備えるようになる。
佇まいに風格が感じ取られ、見るものを圧倒する。
特にこれまで、ひたすらエイジの作品を見続けてきたピエトロはショックが大きかったようで、その手足がガクガクと震えていた。
弟子たちが短刀を観察したい、という声を聞いて、しばらく自由にさせた後、エイジは短刀を持って我が子に会いに行くことにした。
我が子を産んで、タニアはしばらくゆっくりと養生していた。
産後の回復は順調で、日に日に体力が戻っているのを感じる。
軽くであればタニアも動き回れるようになっていた。
早く体力が戻ればいいな。
一日も早く回復して、エイジにまた料理を食べてもらうのだ。
一人で暮らさせてしまい、申し訳なく思う。
とはいえ、エイジ自身から強くこの施薬院に泊まるように要請されては、タニアにも断れない。
言葉に甘えて少し体を休めさせてもらおう。
我が子のリベルトは、驚くほどに成長が早い。
毎日乳を吸い、お漏らしをし、泣き、笑う。
毎日のように顔の形が変わり、ある日はタニアに似、ある日はエイジに似ているように思える。
本当に不思議な話だ。
エイジは毎日のように施薬院にやってきては、タニアに暖かな言葉を送り、リベルトを慈しんでいく。
もともと優しい人だとは思っていたが、これほど溺愛するとは予想もしていなかった。
でも、あまり息子に対して「パパでちゅよ~」とか言いながら変顔するのは止めて欲しい。
一度叱ったら強く打ちひしがれていたが、それでもエイジはタニアにとって、格好のいい旦那様であって欲しかった。
さて、その日のタニアは、いつになくうとうととしていた。
まだ体調も本格的でないらしく、暖炉のパチパチと薪の油の弾ける音を子守唄代わりに、夢と現の狭間を行ったり来たりしている。
目は緩み、まぶたは開いては閉じ、船をこぐように……。
ああ……眠たい。
すぅ……と引き込まれるようにして、夢の世界へと旅立つタニアには、玄関の扉が開く音も、訪れを告げる声も聞こえなかった。
ふっと意識が飛びかける。
ものの一分や二分、寝てしまっていただろうか。
気づくと、すぐ近くに人の気配を感じた。
逆光になっていて、顔を見ることはできない。
どこかで見たことがあるな、とぼんやりとした頭で思った。
「この小刀が、君の将来を守りますように……」
眠りから覚めた時、そこに人の気配はなかった。
ただ、鞘に納められ、布袋に包まれた小刀が一振り、リベルトの傍らに置かれていた。
読者様からリベルタは女性名詞になると指摘を受けまして、リベルトに変更になりました。
混乱させてしまい申し訳ないです。
知りたいエピソードや、キャラクターなどありましたら、良かったら教えてくださいね。




