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青雲を駆ける  作者: 肥前文俊
第6章 備え

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閑話1 ワイン造り

 シエナ村でのワイン造りは、非常に重要な産業の一つだ。

 秋になってブドウ畑に実がなり始めると、村人たちはそわそわとし始める。

 特に酒好きなフェルナンドなどは、川沿いに広がるブドウを見て、よだれを垂らさんばかりな状態だった。


 ブドウ畑には不思議な光景が広がっていた。

 若枝はまっすぐ伸びていない。

 手が届く高さで無限、もしくは8の字を束ねられていて、その枝に添ってブドウが身をつけている。

 これならば地面に立った状態で摘むことが出来るし、管理がしやすい。

 生活の知恵というものだろうな、とエイジは感心した。


 そのブドウ畑になったブドウを、素早く摘んでは籠に入れているフェルナンドが、実に嬉しそうにエイジに話しかけた。

 ワインに変わる日のことを思うと、自然とモチベーションも上がるのか、その動きは精彩だ。


「いやあ、楽しみだなあエイジ君。っと、エイジ君はあまりお酒は得意じゃなかったっけ」

「そうですね。あえて飲みたいとは普段思いませんねえ」

「まったくもったいないことだよ」

「フェルナンドさんは飲み過ぎですよ。健康のために断酒とかするつもりは?」

「僕に死ねっていうのかい!?」

「いえ、長く楽しむためなんですが……」


 本当の酒飲みに一日でも酒を止めさせるなんて、どれだけ説得が難しいか。

 エイジは諦めて、ブドウ摘みの作業を手伝う。

 枝切り鋏を使って、根本で房ごと切り落とす。

 紫に熟れたブドウは、そのまま口に含んでも甘くて美味しかった。


「甘く育ってよかったな。今年は雨が多かったから少し不安だったんだが」

「雨と甘さに関係があるんですか?」

「ああ。暑くて雨が少ないと、農作物には困るけど、ブドウは優れた実がなるんだ」

「へえ、初耳です。よく知っていますね」

「ああ。そういう年はブドウ酒の当たり年って言われてる」


 建築に関してだけじゃなく、ワインについても知識は豊富なのだろうか。

 籠が一杯になると、牛車に載せていく。

 荷台は大きく、籠が十個入る。

 籠にブドウが収まり揃うと、牛車を発進させる。

 向かう先は毎年このためだけに使われるブドウ酒工場だ。




「へえ、こんな所があったんですね」

「去年は君は工房を作ったり、試作したりで忙しかったからな。知らないのも無理は無い」

「石造りって珍しいですね」

「ああ、全部果汁をムダにしないためさ」


 エイジは部屋を見渡した。

 石畳がびっしりと詰まっている。

 隅には沢山のブドウが入った籠が並べられていた。


 部屋の中央には大きな漏斗形の台と、その漏斗の下に非常に大きな木桶があった。

 漏斗台の中には、採りたてのブドウが放り込まれることになる。

 ただし、一つずつ房から実を外し、軸が入らないようにする必要があった。

 この軸が入ると苦味やエグ味の素になり、ワインの品質が落ちてしまうのだ。


 エイジが部屋を確認していると、あることに気付いて、それに目を引き寄せられた。

 口が自然と開き、自然と名が呼んで出た。


「タニアさん、何をしているんですか!?」

「ブドウ絞りです。こうやって踏んで……うんしょっ、一杯絞るんですよ」

「……身重なんだからムリしないでくださいよ、本当に」

「まるっきりじっとしているのも、足腰が弱って良くないんですよ。それにもうすぐ私は終わりますから」

「ええ。そうしてください」

「ふふふ、ん……っ、はぁっ、心配症な旦那さんですねえっ」


 巨大なザルの上を、村の男女が足で踏んでいく。

 潰れた実から汁が滴り、下に受けている大きな桶に集まっていく。

 赤紫色の、ブドウジュースの出来上がりだ。


 足踏みをずっと続けるのはかなりの重労働なのだろう。

 タニアの全身に汗が吹き出し、顔が上気してかなり色っぽい。

 心なしか目も潤み、時折切なそうな吐息を漏らすのも、官能的だった。

 汗で服装が張り付いたせいで、豊かな胸元が強調され、足踏みの度にプルプルと震え、目に毒だ。


 この光景を去年は見落としていたのか……む、無念!


 甘ったるい匂いがあたりに充満している。

 その匂いに釣られたのか、ブーン、という羽音とともに、蜂があたりに飛び交っていた。

 蜂に刺されるのを避けるため、長袖長ズボンを着用していて、余計に暑さの原因になっているようだった。

 ハエたたきの木板版のようなものを持ったジェーンが、次々と蜂を叩き落としていた。


 タニアが作業を終えて、エイジの隣に並んで見学に回る。


「桶にブドウの汁がいっぱいになりましたね」

「これを後は樽に詰めていくんですよ」

「それで終わりですか?」

「いえいえ、実は樽に入れる葡萄のジュースは、全体の八割ぐらいなんです。そして実は、まだもう一つ作業があります。……ふふっ」

「どうかしましたか?」


 突如としてタニアが笑い出したため、エイジは怪訝な表情を浮かべて、問いただした。

 タニアはすみません、と謝りながらも、笑いを収めようとしない。


「いつもは私がエイジさんにいろいろ教わっているのに、今日は逆の立場になっているのが新鮮で、それが嬉しくって」

「なるほど」

「私でもエイジさんのお役に立てるんだな、と思うと自然と笑いが出てきちゃいました」

「いつでも、凄く助かってますよ」

「本当ですか? だとしたらすっごく嬉しいです。さあ、次の場所に移動しますよ」


 晴れやかな笑みを浮かべて、タニアがエイジの手を引く。

 それは、隣の部屋にあった。

 壁から大きな柱が突き出していて、その端にはロープが掛けられていた。

 ロープの先には巨大な石が結ばれていて、今は段の上に置かれている。


 特徴的なのは、その石の大きさだ。

 果たしてどれぐらいの重みがあるのか。数百キロには達しそうだ。

 柱の下には出っ張りがあって、その下には金網のような「受け」が存在している。


「これは――」

「絞りきれていなかったブドウの皮とかに残ったジュースを、最後の一滴まで絞る設備ですよ」

「圧搾機ですか。へえ凄い大掛かりな装置だな」


 エイジは興味深く、圧搾機を確かめる。

 現代の圧搾機ならば、ネジが必ず使用されているようなものだが、その痕跡は見当たらない。

 ローマ時代にはネジ式圧搾機は存在していたというから、この装置はそれ以前のものだ。


 余談ではあるが、近代に新機構のネジ式圧搾機が登場するが、その違いはわずかに、鋼鉄製のネジを使用するかどうかでしかなかった。

 千年以上の時を、同じ道具が使われ続けていたのだ。


 踏み潰されたブドウの皮などは、水につけてふやかされる。

 組織を柔らかくして、成分の抽出をしやすくするためだ。

 ふやけた皮は台に置かれ、村の男達の手で、重りが台から降ろされていく。


 ギギギィ……と木が軋みを立てて曲がりはじめた。

 同時に台の隙間からは汁が溢れだし、受け皿にこぼれ落ちていく。

 まだこれほどまでに水気や成分にあふれていたのか、というような大量の液が絞れた。


「これを先ほどのブドウジュースの入った樽の中に入れて、混ぜて終わりですよ」

「そうだったんですね。いやあ、勉強になりました」

「樽の中でブドウジュースが自然とワインに変わっていくんですよ」

「不思議な現象ですよねえ」


 作業をしていた男たちが、石を再び段の上へと移動させると、台の上に残った搾りかすを回収する。

 カラカラに乾いたそれは、冬の間の燃料になる。

 すべてが無駄にならないようになっていた。




 見学を終えたエイジとタニアは、場所をわずかに移動して、腰を落ち着けた。

 エイジが二つの青銅杯を持って、その内一つをタニアに渡す。

 搾りたてのブドウジュースと、数年前に入れたワインだった。


「はい、タニアさんはブドウジュースね」

「えー、私もワインが飲みたいんですけど―」

「ダメです。今妊娠中でしょう? お腹の子に悪影響があったらどうするんですか」

「はーい、我慢します……」


 唇をとがらせるタニアの姿を、エイジは微笑ましく見守る。

 何も知らせずワイン造りの手伝いをしていたりと、危なっかしい所もあるが、基本的にはエイジの意見を尊重してくれているし、なにより子ども第一だと言えば、大抵のことは素直に我慢してくれる。

 お腹の子を楽しみにしているのは、タニアも同じだろう。

 いい妻を貰ったと思う。


「タニアさん」

「はい、なんですか、エイジさん」

「この去年のワインの樽、一つ分けてもらいませんか?」

「いいですけど……、エイジさんがワインを欲しがるのって、珍しいですね」

「ワインは月日を重ねるごとに、熟成されて味わい深くなるんだそうです」

「最初はあまり美味しくありませんもんね」

「ええ。月日の積み重ねが、深みを増すんですね」

「それがどうかしましたか?」


 小首を傾げるタニアの表情は、不思議そうで、まるで子どものようだった。


「これって、夫婦の仲も一緒だと思いませんか?」

「夫婦の仲ですか?」

「月日を重ねる内に、新婚当初の新鮮味や華やかさがなくなってきて、毎日の繰り返しになる場合も、あります。でも、月日を重ねて、お互いの考えることが少しずつ分かって、より深い愛情をかけることも出来るはずだと思うんです」

「それでワインですか?」

「そうです。私達が結婚した年のワインの樽を一つ持っていたら、年が改まって、こうしてワイン造りを始める時季になったら、今日のこの言葉を思い出せるんじゃないかなって」

「いいですよ」


 タニアが了承したのを聞いて、エイジはホッとした。

 だが、タニアの言葉はそれだけで終わらなかった。

 エイジの前に手をかざすと、親指を曲げて、四本の指が残る。


「でもどうせなら、一樽じゃなくて、四つぐらい貰いましょう。それで、十年に一つ、開けるんです」

「じゃあ最後の一つを開けるときは四十年後ですか。凄いヴィンテージものですね。その頃には私達、結構なお爺さんとお婆さんですよ」

「だから、エイジさんが無事で長生きしてくれなきゃ、ダメですよ?」

「タニアさんもね」


 目と目で微笑み合って。

 エイジとタニアは、どちらともなく、杯を持ち上げると、お互いのそれを重ねあわせた。


 ――キン、と涼やかな音を立てて、二つの液体がわずかに揺れた。


 きっと、辛いことや悲しいこともあるだろう。

 だが、この人と一緒なら、きっと乗り越えていける。


 エイジは心から、そう信じることが出来た。


今年も半分が終わりましたね。


前半に一冊出せてよかった。

今年中にもう一冊出せるでしょうか。

……頑張ります。

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