表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
青雲を駆ける  作者: 肥前文俊
第6章 備え

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

97/131

21話 出産2 第6章完

 ずしりと、完全に力の抜けた腕は、とても重くて――


 思わずエイジは取り落としてしまいそうになった。


「タニアさん……? ちょ、ちょっと?」


 恐る恐る声をかけるが、タニアに反応はない。

 まぶたを閉じ、ぴくりとも動かなかった。


 ……ま、まさか。いや、そんなバカな。

 今まで力強く腕を握っていたじゃないか。


 だが、その手は今完全に脱力しきって、エイジの手に重みを与えている。


 悪い予感が膨らむ。

 出産時、子どもが元気でも母親に問題が出るケースも多いと聞く。

 最悪の事態を想像して、エイジの顔から血の気が引いた。


 思えば、言葉の節々にタニアが不安を感じていたことは分かっていた。

 何か予感があったのかもしれない。


 こうなることが分かっていたら、タニアがどれだけ望んでも、子どもを作ろうだなんて言わなかったのに……。

 知らず、目尻に涙が溜まる。

 視界がぼやけて、はっきりと物が見えなくなる。


 出会ってからわずか二年にもならない、けれど濃密な毎日の記憶が、次々と湧き上がってきた。

 怒ったり、悲しんだり。

 どの記憶も、タニアは感情いっぱいで、隠し事一つなくぶつけてきた。

 今となってはエイジの人生に欠かせない、大切な日常だ。


 タニアさん……。ごめん。

 私がもっとしっかりしていれば……。


「ほら、タニアちゃん疲れて寝てるんだから、あんたも嬉し泣きしてないでさっさと家帰んな」

「…………はい? 寝て!? 寝てるんですか?」

「そりゃ、何時間も出産で痛みに耐えて、全身に力入れて、疲れりゃ寝るだろうさ」

「それはそうですが…………。はぁ……」


 良かった……。



 体から力が抜け、ずるずると沈み込むのを感じる。

 重たい手は、ただ眠って脱力しただけで、今もしっかりと温もりを保っていた。

 一人で勝手に早合点して、損した。

 いや、早合点ですんで本当に良かった。


 ほんの僅かに上下する胸の動きを確認して、エイジはため息を一つ。

 本当に心配をかける人だ。

 視線に気づいたのかどうか、タニアが口元をうにうにと動かして、エヘヘとだらしなく笑った。

 なんだか気楽そうな表情に、理由もなく腹立たしくなって、頬を指でつつく。


 顔が歪んで変顔になり、どことなく不快そうだ。

 少しスッキリ。


 本当にご苦労様でした。


「今日はありがとうございました。これからしばらく、タニアとリベルトをよろしくお願いします」

「任せときなさい。これまでここで何人も生まれ育ってるんだ。二人とも元気に出られるようにするからね」

「はい」


 タニアだけでなく、出産の間中動き回っていた薬師の方にも、丁寧に礼を言って、エイジはその場を後にした。

 薬師の自信に溢れた言葉が頼もしかった。




 リベルトが生まれてすぐ、エイジはボーナの下へと向かっていた。

 時刻はすでに夜。

 あたりは真っ暗で、吹き付ける風は冷たかったが、無事の出産を伝えるのは、早いほうが良いだろう。

 ボーナも立ち会いこそしなかったが、初の曾孫ひまごの出産に、外見はともかく内心はやきもきしていたはずだった。


 村長の家には明かりが灯っていた。

 どうやら夜になっても眠らず、報告を待っていたらしい。

 エイジが扉を叩くと、すぐに開かれた。


「おう、待っておったぞ。寒かったじゃろう、ささ、中に入れ」

「失礼します」

「……で、どうじゃった?」

「無事生まれました。タニアも、子どもも」

「そうか……」


 不安そうに聞いてきた後、ボーナが崩折れるように、身を屈めた。

 膝に手をつき、ほっとした表情で、なんとか立ちこらえる。

 エイジからすれば初めてのことでも、ボーナからすれば、二度目の結婚、そしてタニア初めての出産だ。

 それだけ期待と不安も大きかったのだろう。

 席に案内されて、暖かい湯を出してもらい、暖を取る。

 体の芯がじわっと温もり、知らずエイジの体が身震いした。


「男の子か、女の子かぇ?」

「男の子です。名前はリベルトと名付けました」

自由リベルトか……」

「ええ。子どもには好きなことをさせてやりたいと思います」

「そうするには、そう出来る世の中を作らにゃならんな」

「ですねえ。今のままだと難しいですか?」

「難しいも何も、明日食べる飯の種にもときに事欠く有り様じゃ」

「そうですよね」


 エイジ自身が様々な知識を取り入れて、卵を始め食料品の改善は始まりつつある。

 四輪農法も一部の農地では採用され始めて、確実に収穫高は増えてきている。

 今年はシメることになる家畜の数も減るだろう。


「ナツィオーニではご苦労じゃったな」

「結局養子になることになりました」

「当初の計画どおりじゃろ。よく要求を飲ませた。で、お主の見たところナツィオーニはどうじゃった?」

「それがよく分からないんです」

「どういうことかぇ?」


 ボーナの不思議そうな表情に、エイジは説明する。


「皆さんから聞いた前評判と、実際に言葉を交わした印象とが、一致しないというか……。皆さんの中には、ナツィオーニ本人と会話したことはあるんですか?」

「ワシはある。だが、他の者はそうではないな。みな、この村に来るフランコとの接触がほとんどだろう」

「ですので、その分何処かで誤解があるんじゃないかと思うんですね」


 うーむ、とボーナが唸ったかと思うと、ゆっくりと考え始めた。

 エイジは黙って言葉の続きを待つ。


「エイジの言いたいことは分かった。ナツィオーニへの反感は、あくまでフランコに対するものであるということじゃな?」

「そうです」

「じゃが、フランコを使い、政策を推し進めているのも、税を取り立てているのもナツィオーニであることは変わらん」

「それは……そうですね」

「人を使う立場にある以上、使っている人間が自分自身として見られる責任を負うはずじゃよ」


 今度はエイジが唸る番だった。

 たしかに、人の上に立つ以上、その覚悟と責任はあってしかるべきものだ。

 であるならば、ナツィオーニが誤解を受けているのは、自分自身の判断ミスや、官僚の育成ミスということになるのだろうか。

 しかし、自分自身が理解できるように努めることも同じぐらい重要だと、エイジは思った。

 ただの村人ならば、責任を官僚側に求めても構わない。

 だが、エイジは村の幹部の一員だし、ボーナは村長だ。

 知らなかった、誤解だったで戦を始めてしまってはいけないだろう。


「しかし、税の多い取り立ては、災害や飢饉の際に放出するための備蓄であるそうです。そのことを知らずに反乱を企ててしまった場合、少しの誤解から大きな被害が出ることになりませんか?」

「ふむ、エイジの懸念ももっともじゃ。急な判断で決めることではない。反乱を始め、ナツィオーニとの対応は熟慮を重ねて決めたほうが良いわぇ。……ただし、いつでも動けるようにはしておく必要がある」

「つまり、武器や食料の備蓄、防衛施設の建設は続けるということですか?」

「うむ。フランコの視察などで突っ込まれないように、獣避けなどから始めるのが良いじゃろう」

「冬が越せたら、披露宴もありますしね」

「お前さんの披露宴はまともに用意できんかったからのぅ。大勢に祝ってもらえるとええ」


 しみじみと、ボーナが言った。

 本心からそう思ってくれているのだろう。


「式を挙げてから時間が経ってるせいで、不思議な感じがしますけどね」

「なに、それでも祝ってもらえれば嬉しいものじゃよ。さあ、そろそろお帰り。ワシも明日はタニアとリベルトの顔を見に行くことにしよう」

「喜ぶと思います」


 ボーナが明かりを持って、エイジを玄関まで送ってくれる。

 暗い夜道、明かりがぼんやりと足元を照らす。


 タニアのいない自宅は、広くて静かで、少し寂しかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ヒーロー文庫から6/30に6巻が発売決定!
出版後即重版、ありがたいことに、既刊もすべてが売り切れ続出の報告を頂いております!

新刊案内はこちらから!

青雲を駆ける6巻書影
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ