19話 名前
「ええっ!? 私とダンテ君が結婚ですか!?」
「一体どうして!? 私フランコさんにはエイジさんと結婚するって話を聞いてたんですけど。それだけでも混乱してしまってたのに、何がどうなってるんですか?」
「話の流れで、カタリーナさんの話はどうなるんだ、ってなったときに、ダンテが自分から言い出したんですよ」
「はぁ……ダンテ君がねぇ……」
「なんだよ……文句あるのか……?」
村に帰ってエイジがしたのは、カタリーナへの説明だった。
予想とまるで違っていたからだろうか。
カタリーナの驚きようは、非常に大きなものだった
「カタリーナさんは、ダンテのことはどう思っているんですか?」
「ダンテ君ですか? う~ん。ま、まあ一緒にいて気は楽ですけど。領主様の息子ですからねえ。同じ職場の同僚としてなら付き合いやすくっていい男の子だと思いますけど、結婚かぁ……」
「ダンテ、残念だったな。あれだけ格好良かったけど、難しいみたいだぞ」
「ちっ、そんなんじゃねーよ」
「あ、別に嫌なわけじゃないよ?」
「だって、良かったじゃないか、ダンテ」
「……紛らわしいこと言ってるんじゃねーよ」
ううん、ダンテの反応が面白い。
これはついからかいたくなるのも分かる。
いちいち反応がダイレクトで、振り回されているのが分かってしまうのだ。
ダンテの表情は悔しそうで、そのくせ耳は赤くなっている。
きっと、照れてしまっているのだろう。
「私とダンテと、その家族に問題はありません。後はカタリーナさんの判断次第です」
「そうですかぁ……ねぇ、ダンテ君?」
「なんだよ」
「私でいいの?」
「…………お前じゃなきゃダメなんだよ」
ダンテのプロポーズは、とても男らしかった。
カタリーナへの説明と謝罪を終えて、ようやく人心地ついたエイジは、自宅に帰りゆっくりとしていた。
傍らに座るタニアの微笑が、心を休めてくれる。
「お疲れさまでした、エイジさん」
「いやあ、一時はどうなることかと思いましたけど、作戦通りにいって良かったです」
「私もダンテの反応、見たかったな」
「あれは見ものでしたよ」
「あー、でも私も安心しました。エイジさんは魅力的な人だから、このままだとカタリーナさんだけで絶対に終わらなかっただろうし、三人、四人って増えていくと思うと、不安になってたんですよ」
「私はそんな魅力的な人間じゃないですよ」
エイジは否定すると、タニアは意地になったように、強く首を横に振った。
身を乗り出し、強い口調で言う。
「いーえ、エイジさんはとっても魅力的です。こればっかりは私は譲りませんよ。……だって、こんなにも誰かを好きになったことなんて、初めてなんですから」
「タ、タニアさん……」
「恥ずかしいですね。……でも、本当です。こうして一緒にいるだけで、胸がぽかぽかして、とくとくして……。幸せだなって思うんです」
タニアが優しい微笑を浮かべて、その美しさに、エイジはしばし見とれた。
そのタニアのお腹は今大きく膨らんでいて、出産予想日まで、後ほんの数日といったところだった。
さすがにお腹が大きくなりすぎて、タニアは外出も満足に出来そうにない状態だ。
エイジが毛布を肩にかけてあげると、タニアはその下で丸くなった。
「タニアさんのお腹にいるのは、男の子でしょうか、女の子でしょうかねえ」
「どうでしょう。私は男の子だと良いなって思ってますけど」
「そうなんですか?」
「ええ。やっぱり世継ぎは早く欲しいじゃないですか」
「私はどちらでも構いませんけどね。タニアさんと子どもが元気に産まれてくれるのが一番です」
出産時の産褥死は非常に多いらしい。
不衛生な環境や、出産道具がないためだそうだが、何とか二人とも無事であって欲しかった。
エイジが施薬院を改修して出産場所の確保に奔走したのは、タニアの出産という完全に個人的な理由だった。
そうでなければ、ここまで緊急度の高い問題だと扱っていなかっただろう。
今も毎日の清掃と消毒を欠かさないように、強くお願いしている。
「名前はもう考えましたか?」
「いえ、それがなかなかいい物を思いつかなくて。やっぱりこういうとき、生まれたところが違うというのは不便ですね」
「エイジさんが子どものためを思ってつけた名前だったら、多少変でも良いんじゃないですか?」
「それでも考えるのが、親心ってものですよ」
村の人々の名前も、実際のところいい加減な物が多かった。
人口がそこまで多くないからなのだろうか。
名前による個人の識別をそれほど重要視していないのだ。
日本でも太郎や花子などという名前が多かったのも、同じ理由かもしれない。
職業名が、そのまま姓名になる場合もある。
鍛冶屋の息子はスミス、その孫ならスミスジュニア、といった具合だ。
「男の子ならリベルト、女の子ならヴェリタなんてどうかな、と考えてます」
「自由と真実ですか。良いと思います。きっと、将来自分の名前の由来を知って喜ぶんじゃないでしょうか」
「そうなって欲しいものです」
「エイジさん」
「何ですか?」
「私、いまとっても幸せです」
タニアが優しい笑みでお腹を撫でる。
もう片方の手をエイジは握り、真剣な目でタニアを見つめた。
絶対に。
絶対に失いたくない。
「エイジさん?」
「…………いえ、何でもありません」
変に口に出してしまうと本当になりそうで、エイジは自分の心配を言うことができなかった。
そして数日後、待望していたその日がやってきた。
エイジはその日もいつもどおり、ピエトロやダンテ、カタリーナたちと鍛冶仕事に精を出していた。
冬篭りを前に、最後の追い込みだ。
自然と作業に集中し、製作速度も上がる。
エイジはそれとは別に、一つ作りたいものが有ったため、より時間に追われていた。
知らせを持ってきたのは、マイクだった。
息を切らし駆け込むようにして鍛冶場にやってくると、玄関口でしばらく息を整えた。
「そんなに慌ててどうしたんですか? 新手の健康法?」
「ばかっ、そんなんじゃねーよ! エイジ、早く仕事切り上げろ。タニアちゃんが産気づいた」
「えっ、本当ですか?」
「ああ。だから急げ」
「ちょっ、ちょっとだけ待ってください」
鉄を鍛えているときに、急に止めることはできない。
そんなことをすれば貴重な鉄が無駄になってしまう。
エイジは手早く作業を中断していくと、弟子たちを前に、言葉少なく指示を与えた。
「今日の作業はこれで終わり。戸締まりと、火の後始末は絶対に気を付けること。ピエトロが責任をもって、最後まで確認してくれ。悪いが私は先に帰る」
「分かりました。無事に産まれるといいですね」
「大丈夫さ。どうせ後で心配するだけ損だったって言うんだよ」
「本当に、元気な子が生まれてほしいねぇ」
それぞれの言葉を背に受けて、エイジは鍛冶場を飛び出した。
青雲を駆ける 2巻が6月29日に発売される運びとなりました。
書籍版独自のストーリー展開になり、タニアとのイベントを加筆したり、青雲らしい薀蓄も盛りだくさんになっております。
応援くださっている皆さまに、心より感謝申し上げます。




