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青雲を駆ける  作者: 肥前文俊
第6章 備え

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16話 謁見 後編

 フランコの表情が、瞬く間に変化していく。

 目や口を見開いた驚愕から、わなわなと震えだす。

 顔が一瞬赤くなったかと思うと、青ざめていく。

 抱えた感情は怒りだろうか。

 フランコの視線は鋭く、突き刺さるようだった。


 緊張により、エイジの体にも似たような変化が起きていた。

 手足は冷え、胃のあたりがきゅーっと締め付けられる。

 頭はぼんやりとして現実感がない。

 そのくせ、心臓の音はうるさいぐらいに鳴り響く。


 これまでならば、冷や汗をダラダラとかきながら弱気な考えがいくつも頭のなかで踊っていただろう。

 だが、今は不思議とそんな状態が心地良い。

 これまでのどんな緊張の場面とも違う。

 覚悟を決めたからだろうか?

 駄目になったならば、もうどうにでもなれ、と思っているからかもしれない。


「すまんが、良く聞こえなかった。もう一度申してみよ」

「お断りします、と申し上げました」


 エイジの再度の返答に、フランコはそれこそ怒りを発している。


「馬鹿なっ! 領主の一族に迎え入れられるというのだぞ。本気で言っているのか!? それとも、我らを馬鹿にしているつもりか」

「いいえ、そうではありません。非常に名誉なことだと思っております。……ナツィオーニ様、私から提案がございます。ぜひ聞き届けてはいけませんか?」

「良かろう。話すだけ話すといい」

「ナツィオーニ様!?」


 ナツィオーニの楽しそうな表情と、フランコの焦った表情の対比が面白い。

 ナツィオーニはフランコに手で落ち着くように諭した。

 フランコが顔を手で押さえ、しばらく表情を隠す。

 そして手を除いたとき、無表情で、冷静な姿がそこにある。

 感情の切り替えの早さは、一流の人間の証だろう。

 フランコが丁寧に頭を下げる。


「申し訳ありません。落ち着きました」

「構わん。お前は普段は計算高いくせに、時に妙なところで落ち着きを失うことがあるからな。良いか、フランコ」

「はい」

「この男の目を見ろ。俺は戦場で何人もこんな目をした人間を見てきたぞ。フランコ、お前も見たことがあるだろう?」

「いえ、私はナツィオーニ様の命で、輜重部隊で食料を集めるのに走り回っていましたから」

「そうだったか?」

「はい。私が前線に立てば、すぐさま命を失っていたでしょう」


 楽しげな二人の会話には入っていけない。

 しかし、フランコの文官としての仕事振りは、昔から変わっていないらしい。

 ただでさえ食料が少ないのだ。

 戦働きのための食料集めは、非常に大変だっただろう。


「こういう目をした男は注意が必要だ。覚悟を決めている。どこかの子供が構って欲しくて駄々をこねているのとはまるで違うぞ。自分の発言の結果、どんなに困った事態が起ころうと承知している人間の提案だ。承諾するかは別にして、提案を聞いてやる必要はある」

「分かりました。そこまで言うならば……。エイジ、申してみよ」

「はい」

「おっと、少し待て」


 なんとか交渉の場に立つことは出来た。

 あとはどうにかして提案を飲ませよう、と構えたエイジに、ナツィオーニが待ったをかける。

 一体なんだ、とエイジがナツィオーニを見やると、領主は楽しそうに指を立てた。


「提案を聞くとはいったが、その価値がなければそれまでだ。フランコと討論しろ。もしたった1つでも論破されれば、お前の提案はそこで終わりだ」

「それは面白いですね。ふふん、エイジよ、分かったな?」

「……分かりました」


 フランコとの討論か。

 これまでの交渉はあまり上手くいっていないのだ。

 出来る限り、一つ一つ発言に気を付け、隙を見せないようにしないとな。

 一度息を吸って、エイジは自身の考えを述べ始めた。


「ナツィオーニ様の一族として迎え入れられるという事に対し、とても光栄に思っています。その上で私が望むのは、同じ一族として迎えるならば、直接私を養子にしていただけないかということです」

「それでは対外的にはなんの意味もない。見も知らぬ男を一人養子にしたところで、だれも関心など湧かんぞ」

「そうでしょうか。領主様が技術を大切にし、人々の暮らしの発展を望んでいるという事は伝わるでしょう。また、そのためならば、身許を気にせず、幅広く人材を活用することも伝わるはずです」

「それでは人を呼べん。領主の養女と結婚し、それを披露目とするからこそ、価値があるのだ」

「たしかに、その発言には一理あります。ですので、私はある女性との結婚の披露宴を挙げたいと思っています」

「分からんな。それならばカタリーナで何の問題がある。その相手は誰だ?」


 不思議がるフランコに対し、エイジは重々承知の上だと頷いた。

 そして、おそらくはこの場の誰もが想像しない人物を、口に挙げた。

 頼む、上手くいってくれ。


「私が式の相手として望むのは、シエナ村の村長の孫、タニアです」

「……タニア? タニアだと!? 冗談を言うな。お前たちは(・・・・・)もはや夫婦ではないか・・・・・・・・・・・!」


 よし、食いついてきた。

 興味を覚えさせただけでも、充分だ。

 これから利を一つ一つ説いていけば、けっして理解されないことはないだろう。


「そうです。たしかに、私とタニアは指輪を交換し、夫婦の誓いを立てました。しかし、村長の孫の結婚だというのに、やったことはそれだけです」

「誓いを立てただけだと? 普通はありえんな」

「対外的には、誰にも知られていないようなものです。これには訳があります」

「つまり、どういうことだ」

「それは、私が身許の分からない男であったことと、タニアが村長の孫であったためです。村の出や、他の村の村長の一族ならともかく、不詳の男を大々的に嫁がせるわけにはいきませんでした。ですが、私がナツィオーニ様の養子となったならば、話は変わってきます」


 身許の分からなかった怪しい男の背後に、ナツィオーニが立つことで、村長の孫という相手とも、格が吊り合うようになる。


 これで大手を振って、式を挙げることが出来る。

 せっかく結婚できたのに、周りに祝福してもらえないというのは辛かった。

 タニアが不満を口にしないことも、エイジは気になっていた。

 妻の式を豪華に挙げることも、また男の甲斐性の一つだろう。

 フランコは理解したように一度は頷いたが、しかし首を傾げた。


「しかし、他の村にはもう夫婦であることは知られているのではないか? それでは披露宴を行ったところでインパクトがあるとは思えぬ」

「正式に認められるようになった。それもナツィオーニ様が技術を大切にし、一族に迎え入れるような寛大なお心のおかげだ、といえば、印象も変わってくるでしょう。いかがでしょうか?」


 エイジの発言を受けて、フランコが考え始める。

 この提案の妥当性を考慮しているのだろう。


 それとは別に、ナツィオーニはどう思っているのか。

 エイジの提案を一体どのように受け止めているのだろうか。

 にやにやと笑う風貌からは、まるで判断が付かなかった。

 とにかく、今はフランコの発言に注意しなくてはならない。

 失敗が許されない戦いだ。


「俺は今のところは筋が通っていると思うぞ。フランコ、他にはないか?」

「ございます。エイジ、タニアは現在妊娠しているのではないか。披露宴を挙げるにしても、腹が大きい状態では外聞が悪い。未婚状態で体を重ねていたと受け止められる」

「今日言って明日準備が整うわけではありません。準備をし、人を呼び、実際集まるまでは時間がかかるでしょう。その間には、タニアは子を産んでいます」

「出産は博打のようなものだ。下手をすれば母子ともども死ぬことになる。披露宴に呼ぼうとして、何かあればどうする」

「そのような配慮のない発言にお答えすることは出来ません。あまりにも不吉です。……またそのことに限らず、不測に何かあればそれを伝えれば良いではないですか」


 失礼な言葉に、ついエイジが口調をあらげてしまう。

 だが、偽らざる本心だった。

 縁起の悪いことをいうもんじゃあない。


「くくっ、フランコどうした。苦戦しているではないか」

「なるほど。確かによく考えてきているようです。では、カタリーナはどうする。彼女にはすでに話を通している。一体彼女に対してはどうやって責任をとってやるつもりだ?」


 エイジは一瞬虚を突かれた。

 村やタニアの事については、どんな質問にも答えられるはずだという自負がある。

 それだけボーナやタニアとも相談し、対策を練ってきた。

 だが、カタリーナについては考えていなかった。


 カタリーナには悪いが、エイジにとって彼女の存在は、あくまで他人だ。

 可愛い弟子ではあるが、自身や家族であるタニアほど親身になって考えられない。

 このような交渉ごとでは、なおさらだ。

 それが冷たい、と言われればそれまでだが、エイジとて人の身だ。

 そこまで考える余裕はなかった。


 言葉に詰まったのをみて、フランコが会心の笑みを浮かべる。

 まずいな。

 早く答えを考えつかないと、どんな判断が下されるか分からない。


 ……そうだ、そもそもの発端はこちらじゃない。

 これはフランコの責任じゃないか。


「これは異な事をおっしゃります。そもそも、私たちに対してもまず打診していただければ、このような事態にはなりませんでした。その責任の所在を私たちに求めるのは、お門違いと言うものです。提案したフランコ様がどうにかするべきことでしょう」

「私の責任だというのか」

「そうです。そもそも、褒美とは言え、結婚というような重大事を、どうして断りもなく進めようとしているのか、理解に苦しみます」

「くくくっ……ふはははは!」


 突然のナツィオーニの大笑に、全員がびくりと身を震わせて、一体何事かと見やる。

 ナツィオーニは膝を叩き、せき込みながら、涙目となっている。

 言葉に詰まりながら、フランコに話しかける。


「珍しくお前の完敗ではないか。フランコ、お前は確かに、島の発展計画や徴税に関して右に出る者はいない管理能力がある。だが、以前から言うように、人を見る目はないな」

「そうでしょうか……いえ、そうですね。たしかに、比べれば不得手としています」

「自覚しているならば良い。一番たちが悪いのが、無能な働き手だからな」


 フランコが含羞の色を浮かべた。

 ナツィオーニはフランコに構わず、エイジに向かう。


「褒美とは、このように与えるんだ。エイジ」

「はい、なんでしょうか」

「今後、どの村長から縁談を申し込まれようとも、存分に断ると良い。俺の名を使え、許す」

「あ、ありがたき幸せ……!」


 思わず、背中が歓喜に震えた。

 この一言がどれだけ欲しかったか。

 これで目的は達成できた。

 今回の賭けは、勝ちだ!


 褒美はそれだけで済まなかった。

 ナツィオーニは無造作に物を投げつけた。

 エイジが慌ててそれを受け止める。


「これを使え」

「これは?」

「宝物庫の鍵だ。この中から好きなものを三つ選んで、持ち出して良い。それだけタニアとかいう女にこだわるのだ、妻が可愛かろう。装飾品でも見繕うと良い」

「ありがたき幸せです」


 エイジは心から感謝の気持ちで頭を下げた。


「他に提案はあるか?」

「いえ、ございません」

「よし、ならば後はカタリーナの問題を解決するぞ。どこぞ嫁ぎ先は知らぬか」

「私は顔が狭く……申し訳ない」


 村の誰か未婚者がいないか、と考えてみたが、エイジが深い付き合いをしているのは、村の幹部衆が中心で、そうなると妻帯者ばかりになる。

 一番弟子のピエトロでは年が釣り合わず、そもそも婚約者がいる。

 この二年弱で、付き合いを広めてこなかったことを恥じた。


 エイジが考えに沈んでいた時、意外な人物が声を上げた。


「もうカタリーナには話を通してしまったんだろう。俺様が面倒を見てやるよ」

「ダンテ……」

「か、勘違いするんじゃねーぞ。俺様はどうだっていいんだ。ただ、領主の一族として、言い出したことに責任を持つ必要があってだな」

「く、くはは……! あの未熟者のバカ息子が、まさか責任だとはな……! おい」

「なんだよ……」

「惚れたか」

「くっ……!」


 ダンテが顔を赤く染めて、恥じ入っている。

 しかし、そうか。

 まさかダンテが……。そう言えば軽口を叩き合う姿をよく見たっけ。


「ダンテが結婚するなら、カタリーナは話通り一族の一人となるわけですし、体面上は問題ありませんね。あとは彼女が了承するかどうかの話です」

「うむ。これで万事解決か。後ほど二人だけで話すぞ、用意しておけ。義父と養子として、私的な話もある」

「分かりました」

「よし、では俺からは話は以上だ。奥さん、元気な子が産めると良いな」

「ありがとうございます。また出産が上手くいけば、挨拶に参りましょう」

「そのときは披露宴の打ち合わせになるだろうよ」


 風格に負けないほどの男だな。

 少し思い違いをしていたようだ。

 これならば、反乱を起こすまでもなかったかもしれない。


「ああ、そうだエイジ」

「はい? なんでしょうか」

「お前さんに一つ聞いておきたかったんだが……」


 ほっとして、全身に疲労感と脱力感を覚えながら退室しようとした時、背後からナツィオーニの声がかかった。

 足を止めて、振り返る。

 そこには満面の笑みを浮かべた、鬼がいた。


「今回の提案、通らなかったら、どうするつもりだったんだ?」

「さて、どうでしょうか。きっと聞き入れてくれるに違いないと思っていたので、考えもしませんでした」

「もう済んだことだ。話しちまいな」

「もう済んだことです。必要ないでしょう」


 睨み合うようになりながら、お互い笑みを浮かべてきわめて平静に対応する。

 けっして、内心を知られるわけにはいかない。

 反乱の計画があったことなど、知られれば話がご破算になるばかりでなく、処刑されかねない。

 エイジは張りつけた表情の下で、緊張の極みにあった。


「まあ、いいさ。これから養子になる相手だ。仲良くやろうや。これからは鍛冶師としてではなく、領主の一族として仕事を頼むことも多々あるだろうから、しっかりやってくれよ」

「分かりました。微力ながらお力になりましょう」


 やれやれ、伊達に長年領主をやっていない。

 評判なんて少しもあてにならないな。

 エイジは頭を下げて、その場を辞退した。

いつも感想や評価ありがとうございます。

全てに目を通し、お力を頂いています。


次回、ナツィオーニとの個人面談になります。

ナツィオーニってこんな性格だっけ? と思われている皆さん、大丈夫です。

無茶ぶりは次回に!

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