13話 カタリーナの父
そこは、ナツィオーニの町の外れにあった。
石造りで出来た町並みは、外れでも変わらない。
丁寧に組まれた石造りの家は頑丈そうで、シエナ村の隙間風が入ってきそうな木造りの家とは大違いだ。
だが、手入れはされていないのか、家の周りからはどことなく寂しい気配が漂っていた。
エイジが家の前に経ったのを確認して、ダンテが言った。
「ここがカタリーナの家だよ」
「ありがとう、ダンテ。最初に言ったと思うけれど、ここに来ていることは内緒にしていてくれよ」
「わあったよ。約束したんだ、口は堅いほうさ」
ぶっきらぼうに言うが、わざわざ口外しないことを約束したら、人目につかないように案内してくれた。
決して気が使えないわけではないのだ。
帰りはこっちだぞ、と言って歩み去るダンテの後ろ姿を認めた後、エイジは扉を叩いた。
しばらく無言があり、うっすらと扉が開いた。
部屋の中は薄暗い。家の持ち主の心象風景を表しているようだ。
無精髭を生やした男が、そこに立っていた。
濁って生気を感じられない瞳。疲れてかさかさになった頬の皮膚。
これが、あの天真爛漫なカタリーナの父親の姿だというのだろうか。
エイジは知らず、心に深い衝撃を受けていた。
しっかりしろ。大切な話をしにきたんだろう。
エイジは自分に活を入れて、できるだけにこやかな表情を心がける。
「……はい」
「カタリーナさんの、お父様で間違えありませんか?」
「ええ。娘がどうかしましたか」
「彼女の今後に関する重要なお話があります。中にお入りしても?」
「……お入りください」
男は家に招き入れるのを躊躇していたようだが、それでも覚悟を決めたように、扉を開けた。
途端、男の片腕があらぬ方向を向いていることに気付いた。
折れたまま、適切な治療を受けれなかったのだろう。
肘から先が本来あるべき場所よりも外にねじれて、それが見たものに強い違和感を感じさせる。
足もどこか悪いのか、片足を引きずり、体を大きく揺らし、傾けながら歩いていた。
その怪我が一体何を原因にしたものなのかは分からない。
だが、一番考えられるのは、戦によるものだろう。
戦が終わっても、こうしてその傷跡は残り続ける。
それとも大工仕事の事故や、高所から転落したりしたのだろうか。
骨が折れて、それがそのまま治癒してしまったとしても、人は生きていかなくてはならない。
どれだけそれが負担になっても、日々は続いていく。
もちろん人それぞれ、さまざまな事情はある。
見えない所で誰もが苦労はしている。
だが、この男が生きていくのは、それだけ大変だろうなとエイジは思った。
「お座りください。この体では、大したおもてなしも出来ませんが」
「いえ、気遣い無用です」
「で、どのような話でしょうか? なにやら娘に関する話のようですが」
「その前に、名乗っておきましょう。私はシエナ村のエイジと申します。カタリーナさんは、私の職場である鍛冶場で、弟子という形で現在働いて頂いています」
「あ、ああ」
エイジが礼をしたところ、男は狼狽したようだった。
まいったな、と言いながら、軽く頭を振る。
そして居住まいを正すと、礼をした。
「申し訳ない、少し平静を失っていたようでした。私はステファノといいます。そうですか、娘があなたの所で。お世話になっています。娘がご迷惑をお掛けしていませんか?」
「いえ、とても真面目に良くやってくれています。日々助けてもらっています」
「そうですか……。安心しました。あの子は今この町へ?」
「いえ、彼女はわけがあって、村に残っています。今日はその理由をお話に来ました」
「帰っては来ませんか。……お聞かせください」
苦悶の表情を浮かべながら、ステファノは頷いた。
エイジは、カタリーナの事情について話した。
彼女が領主の命を受けて、どうやら養子となり、エイジのもとに嫁ごうとしているということを。
ステファノはじっと話に耳を傾けていた。
その表情は、話を聞くに連れ、じょじょに強張っていく。
「そうですか……。それはおそらく、私を守るためでしょう」
「守る、ですか?」
「ええ。私はこの体ですから、まっとうには働けません。そのため、娘が領主の世話になって、税を免除して頂いているのです」
何らかの理由で。まともに働けないならば、それを保護する必要はある。
だが、この生きていくのが辛い世界では、何らかの代償が必要になるようだった。
現代日本のように、障害認定や、生活保護を受けさせられるだけの、組織に余裕が無いからだろう。
世知辛い話だ。
「それで私のもとにも志願して弟子入りしたのですかね」
「恐らくはそうでしょう」
「それでステファノさんは、今回の話をどのようにお考えですか?」
エイジの問いに、ステファノはしばらく何も答えなかった。
一体どうしたんだろうか……?
ステファノの目が、ゆっくりと沈んでいく。
深海を思わせる、光の届かない、暗い瞳だった。
「私には、自分の考えを述べるなどと、そんな偉そうなことは出来ません。あの娘が選んだというのならば、私はそれを受け入れるだけです」
「そんな……どうしてそんな事を仰られるんですか」
「私はあの娘のお陰でどうにか生きていける人間です。自分の身の世話もできない者が、どうして意見など言えましょうか。エイジさん、あなたは大変良い人のようです。もし、あの娘に至らない所があれば、どうか支えてやってくれませんか。お願いします」
深々と頭を下げられて、エイジは言葉を失った。
目の前の光景は、エイジからすればあまりにも異常だった。
どうして親が我が子の結婚、それも政治的に利用されているような場面に対して、何も言えないようなことがまかり通るのか。
「ステファノさんの意見はわかりました」
「分かっていただけましたか」
「ええ。ですから、仕方がありません。私の意見だけお伝えしておきます」
「それは一体?」
「私はすでに妻帯した身です。さらにカタリーナさんと婚姻を結ぶつもりはありません。今日は領主に断りに来たんです」
「そ、そうですか……しかし、それが通りますか?」
「通るか通らないかではありません。通します」
エイジは気迫を込めて言った。
そうだ。
領主の狙い通りになどしてたまるか。良いように使われるのは懲り懲りだ。
「あなたは非常に意思が強い人のようだ……。でなければ領主の命を受けて、それを断るなどとても出来ません」
「カタリーナさんの身の振り方を、出来ればステファノさんから聞きたかったのですが、それもどうやら難しそうですね」
「……私には、力になれなさそうです」
この身が、せめて十全であったなら。
囁くように、そんな呟きが聞こえた気がした。
「分かりました。悪いようにならないよう、少し考えます」
「申し訳ない。あの娘は父親思いの本当にいい子なんです。どうか助けてやってください」
「彼女は私の弟子ですからね。一度面倒を見た以上、無責任なことはしませんよ」
「ありがとうございます」
深々と頭を下げられて、エイジは最早何も言うことはできなかった。
本当ならば、ステファノに協力してもらって、結婚を回避させる発言をしてもらうつもりだったが、それも叶いそうにない。
エイジはこれ以上ステファノの負担にならないよう、その場を辞去することにした。
エイジが家を去ることを告げると、ステファノは動きづらそうに、出口まで案内してくれた。
ゆっくりと、扉が閉まる。
なんだかな。
エイジは少し虚しさを感じていた。
期待していたステファノの反応と、現実とが大きく違ったからだ。
彼が娘を助けるためならば、どのようなことでも協力してくれるのではないか、とエイジは思っていた。
そして、もし協力してくれるならば、シエナ村に移住させるなりして、なんとか面倒を見ようと思っていたのだ。
だが、結果はそうはならなかった。
仕方がないな、と思い、その場を去ろうとしたエイジは、ふと扉越しに小さな声を聞いた。
「カタリーナ、すまん……すまん……! 不甲斐ない父を、許してくれ……!」
漏れ聞こえてくる、押し殺した声に、僅かに混ざる嗚咽に。
エイジは聞こえなかったように、背を向けてその場を後にした。
手は拳を握っていた。
絶対に何とかしてみせると、誓いだけを胸に秘めた。
長らくお待たせしております。




