11話 出立、いざナツィオーニ
話が済んで、カタリーナが家から帰る。
しばらくエイジとタニアは無言だった。
カタリーナの気配の余韻のようなものが、部屋からなくなってはじめて、エイジが口を開いた。
その視線は、扉の向こう側に向かっていた。
「さて、カタリーナさんは帰りましたかね」
「ええ。もう大丈夫だと思います、エイジさん」
頷き合って、これからの会話の安全性を確認する。
ここから先、他人に聞かれていい話ではなかった。
エイジは、自分の中の疑問を確認し、再構築するために質問する。
「どう思いますか?」
「言ってることは本当じゃないですか?」
「つまり、フランコ辺りからの情報だということですね」
「ええ」
なるほど。これは厄介なことになった。
カタリーナ一人の意見ならば良い、と思った。
自分の立場に固執したカタリーナが、少しでも自分の幸せを願い、嘘八百を並べたならば、どれだけ今後気が楽だっただろう。
まあ、そんな可能性は、もともととてつもなく低いものだとは、思っていたけれど。
だが、話した内容が事実だとするならば、また別の困った事実が浮き彫りになる。
「今回のことで分かったことがあります」
「なんですか?」
「フランコさんはおそらく、私が武器を作ったことを知っています」
「……本当ですか? 一体どうして」
「いえ、ね。去り際の一言がずっと胸に残っていたんですよ」
フランコは言っていた。
『何か疚しいところがあるのかと、つい疑ってしまうね』と。
その言葉は追求しきれなかった負け犬の遠吠えでもなんでもなく、ただ事実を口にしただけだったのだろう。
エイジはその時の様子を思い出すと、背筋がぞっと粟立つのを感じた。
「あれは多分、ほとんど確信していたんだと思います」
「でも、そのとき強く追求しなかったんですね」
「後で一門に入れるなら、不祥事なんて無い方が良いですからね。そして、おそらくその情報源は――」
思い浮かべたのは、同じ顔だっただろう。
同じタイミングで頷きあった。
「カタリーナさんですね。それでエイジさんは、全面的に肯定していたんですね?」
「ええ。反対しても、そもそもカタリーナさんには何の権限もないでしょう。それに話を少しだけ聞いて、すぐに口出ししてたら、相手の意見の真意が見抜けませんからね」
「エイジさんも交渉が上手くなりましたね」
「おかげさまで。でも、タニアさんが怒らないかヒヤヒヤしましたよ」
「私だって違和感ぐらい感じますよ」
だって、あまりにも普段と言ってることが違うんですもん。
そのように言われて、エイジは苦笑するしかなかった。
タニアさんから見て、私はどんなふうに思われているんだろうか。
自分の立ち位置には、あまり自信がない。
ただ、夫婦となって、そこそこ硬い信頼は築けているはずだ、という確信はある。
「しかし、今回のこの策ってなんの意味があるんですか?」
「そうですね……。考えられるのは、この村の反抗を抑えるという役割。エイジさんを一門として、取り込む布石。協力させるきっかけづくり。対外的には、優秀ならば自分たちの町以外でも、抜擢するというアピールから、シエナ村に関係する交易先の反乱防止。その後の波及効果を考えれば、ほんとうに色々ありますよね。憎らしいくらい良い手だと思います」
すらすらと口から出て、並べられる理由の数々。
よくもまあ、この短時間でこれほど情報を整理できるものだと感心してしまう。
エイジではこのような考えには至らない。
せいぜいが一つや二つ、挙げられることが出来るだろうか。
やはり、この能力は村長候補として育てられてきたことによるのだろうか。
そして、並び立てられる利点は非常に多い。
問題は一つ。
「私にとっての問題は、その相手がエイジさんでなければってことですよねぇ」
「タニアさん、私だってゴメンですよ」
「本当かしら。そういって、まんざらでもなかったんじゃないですか?」
エイジは必死に首を横に振って、否定した。
たしかに想像はした。
だが、その想像の未来に、タニアとカタリーナ両方が笑っている姿は、思い浮かばなかった。
どちらかが、いや下手をすれば両方が不幸になるだけの未来だ。
エイジの必死な姿を見て、タニアがクスクスと笑い始める。
恥ずかしかった。顔から火を噴く思いとは、このことだ。
分かっていてからかわれているな。
話を変えたいけれど、どうすればいいだろう。
エイジは疑問に思っていることを、質問した。
「カタリーナさんがスパイになった理由、何だと思いますか?」
「帰らなかった理由からも、家族絡みなんでしょうねえってくらいです」
「思いつく辺りでは?」
「うん……たとえば、戦で手足が不自由になって、満足に税を支払えない立場で、保護を受けているとか」
「それで最初からカタリーナさんがこっちへの出向組に組み入れられたということですか?」
「分かりませんけど、一番怪しいのは」
「なんだか、弱みにつけこんでいるようで、あまり気分のいい話じゃないですね」
「カタリーナさんは、私たちにとっては加害者側だけど、立場としては被害者でもありますね」
何とかならないだろうか。
エイジは自分の考えが甘いと思っていても、それが大した労力でないなら、カタリーナも救いたい。
だが、だからといって、重婚もゴメンだ。
「この話、受ける必要がありますかね?」
エイジの質問に、タニアが押し黙った。
悶えるような、苦しい表情を一瞬浮かべ、腹の中に何かを飲み込むような顔をした後、タニアが頷いた。
「受けざるをえないでしょうね」
「メンツですか?」
「ええ。領主の側から婚姻を薦めておいて、断られるなんて、許せるわけがありませんから」
「そうですよね……。つまり、メンツさえ保てれば……」
「エイジさん?」
エイジは今、一つの考えにとらわれていた。
タニアの声も、今やエイジのもとには届いていない。
すべてが逆転するような答えが、すぐそこまで来ているのを感じている。
結婚……宥和政策……一門……養子……。
「……タニアさん! これならどうですか!?」
「な、なんですか?」
突如叫び声を上げたエイジに、タニアが驚く。
だが、エイジには気遣っている余裕はなかった。
今すぐにこの考えを聞き、意見が欲しかった。
「つまりですね。――――とするんです」
「ええっ、それってちょっと無理がありません?」
「でも、利点も多いはずです。それになにより、ナツィオーニのメンツは守られます」
「それはたしかにそうですけど……」
「ダメで元々です。これが断られたからって、失うものがないんですから、やってみても良いと思いませんか?」
「そう、ですね……。たしかに、その点だけ目をつむれば、悪い話ではないはずです。分かりました。吉報を待ってます」
「今の家族を守るためですからね。タニアさんが応援してくれるなら、勇気百倍です」
エイジはにっと笑みを浮かべて、力こぶを見せた。
大丈夫だ。きっとうまくいく。
タニアが目を瞬いて驚く。
その姿を抱きしめ、大丈夫だ、と何度も自分に言い聞かせた。
次の日、エイジがボーナの家に着いた時、すでに準備が整っていた。
人力車には、山のように麦が積まれている。
その他毛皮や羊毛など、税のたぐいは台ごとに分けられ、とにかく多量だった。
その内一台は、エイジが作った道具や、石鹸のたぐいだった。
一部の荷車は牛が牽くことになっていたが、あとは人が引いていくことになる。
納税に赴くシエナ村の人員の先頭に、フランコが馬とともにあった。
「来たか」
「お待たせしたみたいですね。申し訳ない」
「いや、構わない。もともと急な出発だったのだ。準備もあっただろう」
フランコが言うように、急に一週間も留守にするとなれば、準備も忙しないものになった。
服の着替え、水や食料などの用意もいる。
道中では野宿も行うようだった。
「おっす、親方、俺の隣に座れよ」
「牛車か。どうしてダンテは座ってるんだ?」
「俺様はまあ、領主の息子だからな。特別待遇よ」
「で、私が座る理由は?」
「納税のためっていうより、親父の召喚命令に従うだけだから、別に一緒に押さなくて構わないんだってよ」
「ふむ……」
エイジは話に納得して、牛車に乗り込んだ。
村の他の面々にすれば、あまり気分の良い話ではないだろうが、ここで無理に断っても、今度は領主たちの心象が良くない。
休憩時には率先して動くようにしようと、エイジは思った。
カタリーナの姿はなく、どうやら本当にこの村に残るらしい。
一年ぶりに実家に帰り、親に顔を見せることもしないとなれば、これはいよいよ、かなりの理由がありそうだ。
このナツィオーニ行きで、その問題が少しでも解決できればいいな、と思う。
「では、これより向かうが、忘れ物はないな?」
フランコが税の荷物を一つ一つ丁寧に確認していく。
「では、出発する!」
フランコの一声で、ゆっくりと一行は進行を始めた。
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