10話 突然の来訪と、重婚疑惑
次の日の昼に、出立することになった。
ボーナの家から帰ったエイジは、フランコとのやりとりをタニアに伝える。
タニアは黙って話を聞いていたが、その表情からは感情を伺うことはできなかった。
家を出てばかりの現状、気まずい思いをしていたエイジだが、タニアが頷き、ほっとした。
「仕方ありませんね。断りようがなかったでしょうし」
「そうですね。無理な要求でもありませんし、期限も切られています。出かけている間、タニアさんには迷惑がかかりますが、無理しないでくださいね」
「大丈夫です。でもエイジさんも、もう少し危機管理の意識を持たないとダメですよ? いつどんなことが原因で、発覚するか分からないんですし」
「う……反省しています」
本当に危ないところだった。
なんとか切り抜けることが出来たが、次も同じように上手くいく保証はどこにもない。
普段から備えをしておく必要があるだろう。
エイジがうなだれていると、扉をドンドン、と叩く音がした。
すでに日が暮れている。
普段こんな時間帯に来客はない。
それだけに、誰が来たのか、皆目検討もつかなかった。
「誰でしょうね」
「さあ、でも大事な用件じゃないでしょうか」
体を起こそうとするタニアを手で制して、エイジが立ち上がった。
扉を開ける前に、誰なのか確認する。
「はい、どなたですか?」
「私です、エイジさん」
声で分かった。カタリーナだ。
だが、いつものふわっとしたような、柔らかな雰囲気が感じられない。
どちらかと言えば、緊迫したような、彼女らしくない声の調子だ。
一体どうしたんだろうか。
エイジは怪訝に思いながら、扉を開いた。
「夜分遅くにすみません」
「どうしたんですか、カタリーナさん」
「実は、エイジさんとタニアさんに、どうしても伝えないといけないことがあって」
「何でしょうか」
とりあえず入ってください、とエイジがカタリーナに入るよう促す。
カタリーナが厳しい顔つきのまま家に入ると、エイジは扉を閉め、しっかりと閂を掛けた。
大事な話ならば、万一にも誰かに聞かれては困る。
椅子を勧め、三人で円座になる。
さて、本当に何の用事だろうか。
この時期に突然やってくる辺り、フランコ絡みなのは間違いないだろう。
「エイジさんは、明日ナツィオーニに向かわれるんですよね?」
「ええ。私だけじゃなくて、カタリーナさんやダンテといった、ナツィオーニから来た人たちも一緒に行くことになっているはずですよ」
「私は断りました。ここに残ったほうが、良いと思って」
「どうしてですか? ご家族とか、あちらにいるのでは?」
「父が一人いますが……問題ありません」
「どうしてですか? 一年ぶりに会ってあげたほうが喜ぶでしょう」
「私が理由あって帰ってこないと知ったほうが、父は喜ぶでしょうから」
カタリーナの表情がどんどんと張り詰めていく。
そして、まぶたの端に、どんどんと涙が堪り、つ、と流れ落ちた。
すると、堰が決壊したように、次々と涙が溢れ、声もなく肩をしゃくりあげる。
エイジとタニアは顔を見合わせた。
これはただ事ではない。一体何があったのか。
すぐにでも話を聞きたいところだが、カタリーナは話を出来る状態ではない。
「落ち着くのを待ちましょう、エイジさん」
「それが良さそうです」
肩を震わせるカタリーナに、白湯を持ってきて、飲ませ落ち着くのを待つ。
その間、ずっとタニアがカタリーナの背中を撫でてやっていた。
しばらく時間が経った。
カタリーナもやがて落ち着き始めたのか、ゆっくりと頭を下げた。
「すみません、落ち着きました」
「何よりです。それで、どうしたんですか? どうやらかなり嫌なことがあったみたいですが」
「少し待ってください」
カタリーナが目の前で落ち着こうと、何度も深呼吸する。
そして、顔をあげると、必死の表情になって言った。
「今回エイジさんがナツィオーニに呼ばれたのは、新しい道具の説明のためじゃないんです。エイジさんを都合よく自分の一門にしようという策です」
「一門にとはどういうことです? タニアさんは分かります?」
「普通に考えれば、一族のものと結婚するんでしょうが、ナツィオーニの領主の子は確か全員男のはずです」
「はい、タニアさんの言うとおりです。だから、ナツィオーニは新しく、養子を迎えようとしています。……それが、私です」
「カタリーナさんが?」
エイジの問いに、カタリーナが頷いた。
そして、深い溜息をつく。
「フランコさんに言われました。この島の平和のため、君の将来のため、そしてエイジさんの将来のためにも、養子になったほうが良いって」
「えーっとですね、ちょっと待って下さいね」
エイジが話を遮り、少し考える。
カタリーナが、ナツィオーニの養子になる。
エイジに一門となるよう、ナツィオーニから縁談の話が持ちかかる。
つまり、私とカタリーナが結婚する?
「ちょ、ちょっと待って下さいよ。私はもう、既婚者ですよ。タニアさんという妻がいるんです。それは無理があるんじゃないですか?」
「いえ、重婚は別に絶対的に禁止されてるわけじゃありませんから。現にナツィオーニも、妻が二人いました」
「そういえば、モストリ村のピエロ村長は三人の妻がいましたね……」
しかし、これはどうなんだろう。
カタリーナはタニアとは違う美人だ。
明るい性格で、一緒にいれば楽しいだろうことは間違いない。
とはいえ、エイジ自身が、結婚を望んでいるわけではない。
エイジはこれまでの生活で、すでにタニアとともにいれば充分だと思っていた。
「エイジさん……私を貰ってくれますかぁ?」
「う、うう……」
カタリーナが弱ったように、上目遣いになる。
なんだか守ってあげたくなる気弱な表情。
目がうるうるとしていて、断ったら心折れてしまいそうだ。
だが、二人の妻を迎える?
タニアさんがどんな反応をするか。
以前の騒動を思い出して、想像するだに恐ろしかった。
そもそも、これはナツィオーニから言い出した話だ。
だから、即答できない。
「エイジさん、そんなに心配しなくて大丈夫ですよ」
「た、タニアさん何のことですか?」
「ほら、顔がこわばってますよ。リラックス、リラックス」
「あはは……、タニアさん申し訳ありません」
意外にも、タニアは今回の話に対して、怒っていなかった。
それどころか恐怖に震えるエイジを優しく気遣う始末だ。
これは一体どういうことだろうか。
エイジが不思議に思っているのを察したのだろう。
タニアがエイジの顔を見て、微笑んだ。
「だって、今回はエイジさんが浮気したわけじゃないじゃないですか。これってエイジさんに一つも非がないですよね。さすがにそんな人に嫉妬して怒るほど、私は出来てないわけじゃありませんから。だから、今回エイジさんがもし結婚することになっても、私は怒らないです」
それに、と前置きして、タニアの目がギラついた。
青筋が立ち、表情が一変する。
「本当に腹立たしいのは、カタリーナさんでもなく、画策したナツィオーニの面々でしょう?」
「ひっ!」
「ひぃっ! え、えいじさん……たにあさんがこわいです」
カタリーナと肩を抱き合う。
二人とも震えていた。怒ったタニアさん、本当に怖い。
怒髪が天に衝きそうなタニアは、テーブルをバンバンと叩くと、手のひらを前に突き出して、吠えた。
「私、これまでずっと我慢してきました。エイジさんに無理難題を押し付けても、顔を立てるべきだ、我慢するべきだって思ってました。でも! ……もう我慢しません。よりによって、私の幸せの邪魔をしようというのなら、全力でお相手します! ナツィオーニの領主がなんだって言うんですか。二十を過ぎて行き遅れ、ようやく手に入れた女の喜び、邪魔するなら女神様だって容赦しません!」
これは怒らせてはいけない人を怒らせてしまった。
エイジはただただ震えていると、カタリーナも同じ気持ちだったのだろう。
タニアがカタリーナを見ると、ひっと喉を絞るような声を出した。
きっと、そこに般若の顔を見たに違いない。
「カタリーナさん、おめでとうございます。もし領主の言うとおりになったとしても、私は本当に、忌憚なく、あなたを祝福しますよ。これから大変だと思いますけど、一緒に盛り立てていきましょうね」
タニアが本当に、カタリーナに思う所なかった、ということに気づいたとき、タニアは少し拗ねたが、仕方がないとエイジは思った。
おかげさまで、11月29日、出版することが出来ました。
心よりお礼申し上げます。
ブックマークや評価をいただくこともちょこちょこと増えて、ますます頑張らねばならぬと思っています。
少しでも面白いものを作れるよう頑張りますので、これからもよろしくお願いします。




