表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
青雲を駆ける  作者: 肥前文俊
第6章 備え

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

83/131

7話 フランコの視察

 蔵があった。

 辺りには木々が立ち並び、視界が悪い。

 おそらく、この場所を知らなければ、誰にも見つけることは出来ないだろう、とエイジは思った。


 そこは豊穣の女神が眠る森の中だった。

 底なし沼であり、一度足を踏み入れたが最後、生きては帰れない場所だ。

 それだけに、村人はもちろん、この場所を知るものは、畏敬と恐怖から誰一人この場所には足を踏み入れない。

 蔵は沼を回りこむようにして、奥に建っていた。

 特別な小道を知らなければ、村の主要道路からは決して目につかない場所だ。

 何かを隠すには最適な場所だろう。


 その蔵には、多量の麦が収められていた。

 七月半ばに収穫を終え、脱穀を済ませたばかりの麦だ。

 本来ならフランコの視察の際に目に収まるはずものだった。

 つまり、脱税の証拠が、この蔵には収められていることになる。


 ついに、千歯扱きを村に発表してしまった。

 一日も早く脱穀を済ますには、どうしても必要だったのだ。


 見つかれば重罪であり、ボーナはもちろん、村の幹部衆は助からないだろう。

 おそらくはエイジ自身も。

 それだけに、この場にいる者は森への出入りを含めて、細心の注意を払っていた。

 その筆頭が、ベルナルドとジョルジョだ。


「これで、全部か? 詰め忘れはねーな」

「大丈夫だ。しっかし、まさかこれほど麦が保管できるとはなあ。思いもよらなかったべ」

「んだんだ。まったく、エイジ様様だ。『女神の御遣い』ちゅーのも、本当じゃねーべか?」

「止めてくださいよ、私はそんな大したものじゃないですって」

「その謙遜するところもかっこええべ」

「んだ、ジョルジョなら、今頃ふんぞり返りすぎて頭で地面に穴掘ってるころだ」

「どんな態度ですか、それは。ほら、二人とも静かにしてください。万が一にも気付かれたらどうするんですか」

「おお。しー、だな」


 ベルナルドとジョルジョが、周囲を見渡して、蔵の扉を閉める。

 エイジがしっかりと錠前を閉じて、鍵がかかったか確認する。


 四輪農法を実践して、本来ならば若干収穫量が落ちるはずだったのだが、今年、村では異例の大豊作が起きた。

 その理由は、やはり様々な農業技術的な革新が行われた結果だった。


 種植の技術がまともに行われたこと。

 水撒きが徹底されたこと。

 木酢液による天然農薬が使われたこと。

 明渠と暗渠が設けられたこと。

 雑草取りを徹底したこと

 そして犁の導入により、天地返しがまともに出来るようになったこと、などなど。


 以前のように、適当に種を撒いて、その後放置するような、原始的で気楽な農法ではなくなってしまった。

 大地に対して愛を注ぐような、丁寧な農法が必要になってしまった。

 成果が出る前に、まず苦労するわけだから、文句もあった。

 それまでの彼らは、見返りの少ない、代わりに手間の少ない営みをしていたのだ。

 気長で、忍耐強い、そんな農民の姿とは少し違う。


 エイジが自分たちの自由な時間を阻害している、という声もあった。

 だが収穫前、圧倒的な黄金色に輝く麦の地平線を前に、誰もが見惚れた。

 収穫高はなんと四倍にまで膨れ上がった。

 一粒の種籾から、十粒ほどの麦が採れるのだ。


 人は結果が出れば、いやおうなく認めるものだ。

 いつからか、エイジは豊穣の女神が遣いの一人ではないか、という声が上がった。

 とはいえ、これらの効果が認められたのは、エイジの指導を試験的に導入した、新しい農地に限ってのとことだ。

 自分の畑でもやっておけば良かった、と皆が思ったことだろう。

 ジョルジョやベルナルドは、エイジと付き合いも深いため、良い思いをした一握りに入る。

 そして、来年度からは、村で全面的に導入されるだろう。


 ナツィオーニの税は、主に作付面積に対して、おおよその収穫高を見込んだ上で決められる。

 フランコがやってくるのは、地理的な関係上、最後になる。

 それは収穫後の時期であり、こうして隠し蔵に収めるには最適だった。


「さ、帰るべ」

「またな。エイジさん、おめさんも帰りは気をつけてな。それとタニアちゃんによろしく」

「もうすぐ出産だろ? 大切にすんべ」

「ええ。早めに帰ります」


 女神の森から、二人は北に、エイジは南に。

 エイジは家の方向が逆になる。

 森のなかをまっすぐ南に下れば、採掘場につながる細い小路に到達するだろう。

 そこから戻れば、採掘場の帰りだろうと、怪しまれず戻れるはずだ。





 帰って、夕方。

 身重になって、安静にすることが多くなったタニアに代わり、その日はエイジが炊事場に立っていた。

 タニアは椅子に座り、お腹を抱えながら、優しい笑みを浮かべてエイジを見つめていた。

 エイジは今日の報告をタニアにする。


「そんなことがあったんですね」

「これなら、ちょっとした不作のときの備えにもなりますし、心強いです」

「あそこなら大丈夫でしょうけど、子どもたちが万が一立ち入らないように、少し注意がけを強めた方がいいと思いますよ」

「ああ、それは大切ですね。それとなく注意するように言っておきましょう」

「あんまり直接言うと、かえって怪しいですからね」


 エイジは最近、少しずつタニアに相談するようになっていた。

 これがなかなか的確な助言をくれるんだよなあ。

 以前、ボーナがタニアに相談しろ、と言っていたのは、伊達ではなかったらしい。


「タニアさんに相談して良かったです」

「いつでも頼ってくださいね。お腹が大きいから、こうして話を聞くぐらいしか今はできないけど」

「十分ですよ」


 タニアは村人に対して深い知識があり、それぞれの性格に合わせて対応してくれる。

 ときには、本人ではなく妻を使え、ということもあった。

 エイジの気づかない視点を補ってくれるタニアの存在は、心強かった。


「いい匂いがしますね。今日はなんですか?」

「今日はですね。パエリアです」

「ぱえりあ?」

「ええ。前から作りたいって言ってたお米料理ですよ。最初はやっぱりおにぎりとか食べたかったんですが、土鍋で作るのに水の分量調整が不安だから妥協しました。おこめおこめおこめー」


 エイジが鼻歌を歌いながら、火加減を調整する。

 ただし具材に魚介類が少ない。

 用意出来たのはエビと干しダラだけだ。


 たまねぎやにんにく、サフランなどは用意出来たのだ。

 味付けが問題になるが、材料としては及第点だろう

 ぐつぐつと煮立った鍋から、白ワインの匂いが、部屋中に漂っていた。


「前から食べたがってましたもんねえ」

「ええ。ようやくです。これが終わったら、次はおにぎりにチャーハンに。やりたいことがありすぎて困りますね」

「ふふふ。――あっ」

「ど、どうしましたか?」

「今、お腹が蹴られました」

「ご飯が食べたかったのかな?」

「食いしん坊さんに育ちそうですね」


 エイジが手を離して、タニアのそばに寄る。

 膨れたお腹に手を当てると、そこに自分の子がいる。


「男の子でしょうか、女の子でしょうか。タニアさんはどっちだと思います?」

「私はどっちでも。元気に生まれてくれたら、それだけで十分です」

「私もですよ」


 これから子どもが生まれて、夜泣きに悩まされながら、村を発展させて。

 自分は鍛冶師として結果を出して。

 そのためにも、出産の準備を進めないといけない。

 エイジは未来を想った。

 子どもは男の子だろうか、女の子だろうか。

 男の子ならば、家を継いでもらいたい。

 女の子ならば、タニアに似て美人になるだろう。



 この幸せを守りたいな、と心から思った。

 心から、願ったのだ。





 そして、数日が経ち。

 エイジは今、緊張に手汗を握っていた。

 隣にはナツィオーニから来た徴税吏のフランコが立っている。

 まったく、一体なんだって、私が案内しないといけないんだ。

 エイジは内心で愚痴をこぼした。


 朝一番にやってきたフランコは、他でもないエイジに、村内の案内を命じた。

 フランコが言うには、エイジが村内の発展に大きく関わっている以上、新しい施設などの内容を説明して欲しい、ということだった。

 だが、実際に建物を建てたのはフェルナンドだし、出来上がったものはそれぞれの住人が使っているのだ。

 エイジ自身が使っているわけではない。


 そのように説明したのだが、あくまでフランコはエイジの案内を要求した。

 あるいは何か目的があるのかもしれなかった。


「ここが現在新しく開いた農場です」

「ふむ。すべてを麦にしているわけではないのだな」

「ええ。麦を作付けしているのは全体の四分の一程度です。残りは白詰草クローバーに大麦、蕪を作付けしています」

「意味はあるのか? ないなら小麦の作付けを増やすべきだが」

「あると思っていますよ。フランコさんも、同じ場所に小麦を連続で育てたら、不作になっていくのは知っていますよね?」

「ああ。そのために、一年間畑を休める必要があるな」


 これまでの小麦畑は、二田圃性だった。二圃式とも言う。

 これは個人で畑を運営するには都合が良かった。

 自分の持っている農地を半分づつ耕せば良いからだ。

 三圃式農業や、四輪農法は、管理が必要になる。

 エイジの新しく導入したこの方法が受け入れられ難いのは、共同作業という面も大きかったのだ。


「この方法を導入すれば、収穫高を減らさず、他の収穫物を得られる可能性があるんです。そうすれば、家畜の量を増やすことが出来るかもしれません」

「できるかも、か」


 フランコが呟いた。

 そうだ、まだ確定ではない。

 あくまでも結果が出てからの話だ。

 エイジが答えないでいると、フランコはしばらく黙った後、頷いた。


「まあ、小麦の作付面積に対しての税としては変わらない。新しく切り開いた面積については、ちゃんと報告しているんだな?」

「それは間違いないはずです」

「まあ、見たところ問題なさそうだ。それに、他の畑は変わらないようだな」

「まだ何の結果も出ていませんからね」


 新しく開拓した面積や、小麦の作付けした面積は、領主に報告する義務がある。

 フランコの視察はその報告の確認も兼ねていた。

 過小報告する領民が多いからだ。


 村人たちの、税への対策はそれだけに留まらない。

 積み荷の中の麦の質は、可能な限り低いものを収めようとするのが普通だし、時には麦以外の大麦などを混ぜあわせるケースなども見られる。

 それだけ税というよりも、領主の統治に反発を覚えている領民が多いという証拠だ。


「さて、最後は君の職場だな」

「特に代わり映えのないところですよ」

「ふむ、そうだろうか?」

「あくまで工房の一つですからね。出来るものは様々ですが、工房としての設備は単純なものですよ」

「まあ、この一年でどのような物が出来たのか。実は楽しみにしていたんだ。税を納める関係もある、仕事だ、見させてもらうぞ」

「どうぞ……」


 エイジとフランコは、鍛冶場にまで鍛冶場にまで移動した。

 ダンテやカタリーナといった、ナツィオーニの町からやってきた弟子たちが、懐かしそうにフランコに集まる。

 彼らの顔には、他の村人から感じられる嫌悪感は見られない。

 畏れはあっても、嫌われていないのは、自領に対しては善政を敷いているからだろうか。

 久しぶりの話は後にして、今は鍛冶場の視察を優先するようだった。

 これでは仕事にならないだろうと、ダンテたちを帰らせる。


 ふ、と。

 この中で見られて不味い物はなかっただろうか。

 そんな考えが思い浮かんだ。


 ――槍だ。


 槍先を作った。

 あれは明らかに武器だから、これまで武器を作らないと言っていた言葉を反故にしたことになる。

 見つかれば税として納めさせられることになりかねないし、そうなれば、シエナ村だけが鉄製の武器を持つという優位性が崩れてしまう。


 ……不味い。

 まだフランコが来ないと思っていたから、納品箱に入ったままだ。

 いや、そもそも、鍛冶場の中までは見ないだろうと思っていたし、またやってきたのならばすぐに直せると思っていた。

 急に視察の手伝いを命じられなければ、すぐにそうして対策を取っていただろう。

 これを狙ってか。

 エイジはフランコの顔を盗み見た。

 フランコの表情は、何らかの確信を持っているようだった。


 このまま一緒に入れば、見つかってしまう可能性が高い。

 しかし、半端なところに片付ければ、かえって怪しく気を引いてしまう。

 どうすれば良い。

 ほんの一瞬悩んで。

 エイジは決断した。


「さて、フランコさん。突然ですが、中に入らないでください」

「なんだと? 入らなければ監査が出来ないではないか」

「足を止めて。今すぐ。無理に侵入すれば、こちらも強制的に排除します」

「バカな。君は本気で言っているのか?」


 時間がなければ、無理矢理でも作ればいい。

 フランコは突然の言葉に、怒気を露わにした。

 ここで、退く訳にはいかなかった。

先日、気づけば1000万PVを超えていました。

読者の方々に感謝を。

あと、これから活動報告に書籍化の続報を記しておきます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ヒーロー文庫から6/30に6巻が発売決定!
出版後即重版、ありがたいことに、既刊もすべてが売り切れ続出の報告を頂いております!

新刊案内はこちらから!

青雲を駆ける6巻書影
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ