4話 情報収集
エイジが長い金属板に、たがねを使って次々と穴を開けていた。
穴の間隔は一定だ。
大きさは大きな円から、徐々に小さいものへと変化していく。
板はそれなりの厚みがあって、非常に丈夫だった。
金属板は炭素量を多く含んでいるため、硬度がきわめて高い。
その分穴を開けるのには苦労することになる。
たがねで大まかな穴を開けた後、ヤスリで少しずつ穴を調整する必要があったのだが、硬度の高い金属は、簡単には削れず、力を入れすぎれば、微調整が難しくなる。
結局根気よくじっくりとヤスリがけすることになる。
エイジが金属板を手にとって、穴の大きさを厳しい視線で確認していると、ピエトロがやってきて、同じように金属板を眺める。
そして、軽く首を傾げた。
何をしているのか分からなかったのだろう。
「親方、今度は何をやっているんですか?」
「針金を作るんだよ」
「針金と、この板と関係があるんですか?」
「大ありだ。後でピエトロもやってみるかい?」
「やります!」
「親方、私もやっていいですかあ?」
「俺様にもやらせろよな」
エイジとの会話を聞きつけたのだろう。
ダンテやカタリーナたちも寄ってきた。
お前ら自分の仕事はどうした、と言いたいところだが、技術に貪欲なのは良いことだ。
軽く睨みつけるだけに留める。
説明は一度に済ませたほうが、手間がかからなくて良い。
単純作業なら尚更のことだ。
ダンテもカタリーナも、苦笑いを浮かべて焦っていたから、今後は同じようなことはせず、自分の作業に集中するだろう。
「まずはやり方を見せようか。別に特別な技術がいる仕事でもないしね」
「そうなんですか?」
「じゃあ、私でも大丈夫ですね」
「ああ。だが少し力があった方が最初はやりやすいだろうな」
「では俺様の出番だな」
「だれでも出来ないことはないんだ。早速見せよう」
エイジは言って、金属板を水車から延びる軸の手前の柱に取り付けた。
板は螺子でがっちりと固定されて、エイジが確認のために引っ張ったが、ビクともしない。
「俺様の力なら動くんじゃないか」
「確かめてみるかい?」
「おう! ……くっ、む、むむっ……」
「はいそこまで。本気でやって壊れたら大変だから止めておこう」
「……ちっ、仕方ねえな。これぐらいで勘弁してやらあ。言っとくけどまだ全開じゃないからな。はぁ……」
「ほんと、ダンテくんは面白いキャラしてるねぇ」
全力で引っ張っているのだろう。
息を詰めすぎて、ダンテの顔が赤くなったが、それでも固定された金属板は動かなかった。
ダンテの力で大丈夫なのだ。
これなら大抵の作業は問題ないだろう。
ダンテとカタリーナがなにか言い合っていたが、エイジは無視して作業を続ける。
仲の良いことは良きことだ。
お前らそのままくっついてしまえ、と思ったが、口には出さない。
次に持ったのは鋼材だ。
針金にしては太すぎる、という程度までは、水力ハンマーを使って延ばしてある。
「まずはこれを使う。この鋼材を金属板の穴に通す。先だけがぎりぎり通る大きさだね。そして、これをペンチで挟んでーー思いっきり引っ張る!」
エイジが足を踏ん張り、両腕に力を込める。
ギギッ! と音がして、手に強い抵抗を感じる。
鋼材が引き延ばされ、穴から引っぱり出された。
鋼材が無理やり穴を通ることで、先ほどより細く、均一な太さになっていた。
「で、少しだけ先が出たら、後はもう、機械に任せる。これを水車軸の突起に括りつけて、あとは水車を回すんだ」
ごうん、ごうん、と水車が音を立てて回る。
軸が回転し、その強力な力で鋼材が金属板の穴を通って、次々と巻きつけられていく。
古くは鉄穴通し、現在では引きぬき加工や伸線と呼ばれる方法だ。
これを目的の線径になるまで、何回、何十回と繰り返すのだ。
オートメーション化や、表面加工といった技術は進化したが、基本的な原理は変わらない。
水車動力を使うようになる以前の鍛冶師は、全てこれらを人力でやっていたというから、その労力に驚くしかない。
道具がないから仕方がなくやっていたとはいえ、どれだけ根気があるのだろうか。
水車の軸に最初よりも細くなった針金がぐるぐると巻きつけられ、終わったのを確認し、エイジは水車を止めた。
針金を回収し、再び金属板に先を差し込む。
今度の穴は、先ほどの隣にあり、またほんの少し細い。
「とまあ、こんな感じ」
「親方、質問です」
「ピエトロ、なんですか?」
「こんな細い糸、何に使うんですか?」
「ん? ブラジャーのワイヤーかな」
「ああ、タニアさんの……」
「そうそう。良く分かったね。ってなんだい。そのまたか、みたいな表情」
「いやだなあ親方、僕がそんな顔をする訳ないじゃないですか……」
「勘違いしているから訂正しておこう。針金の使い道は、もちろんそれだけじゃないんだよ。ワイヤーは軽量の籠を作ったり、建材になったり、ハンガーになったり、色々な利用法があるんだ。そして何よりも網! これで焼き魚とかがもっと美味しく出来るんだぞ!」
最近なんだか弟子の尊敬が薄れているような気がするな。
前はブラジャーを作ると言ったら目をキラキラと輝かせていたっていうのに。
今後、もう一度尊敬を勝ち取るためにも、良いところを見せないといけないな、とエイジは考える。
ブラジャーでダメなら次はショーツか……?
いや、ますますダメな気がするな。
実際にはブラジャー作りや日常品だけで終わることはない。
針金を使って帷子や有刺鉄線などを作るつもりだが、そのことを口にする訳にはいかない。
何に使うか誤解させたまま、弟子たちに素材を作らせる。
考えなおすと、ずいぶんとあくどい対応だろうか。
自分で自分が嫌になるな、とエイジは思った。
こんな嫌な気分をするのは自分だけでいい。
この技術を知って、せめて今後人に役に立つ物を作ってくれるといいのだが。
エイジが見守る中、弟子たちが我先と実践を始める。
力の差は少ないとはいえ、やはりダンテの力がこのような作業では役立つようだった。
ふと、エイジは思った。
そういえば、この前の気配は誰だったのだろうか。
弟子たちであれば、一言断って堂々と入れば良い。
こそこそと隠れて見る必要はない。
扉や鎧戸から、エイジの作業場までは距離があるから、正確に何を作っているかは確認できないはずなのだ。
未だに気配の主が誰かわからないことが、エイジの胸の中にしこりを残していた。
一仕事終えて、帰路についていた時、エイジを呼び止める声があった。
声の主を確かめると、マイクがいた。
愛犬も一緒だ。犬は人と違って、すぐに大きくなる。
しっかり食べさせてもらっているのか、二頭とも猟犬として申し分ないぐらい、大きな体格だった。
「エイジ。そろそろまた冬備えに家畜をシメるが、脂は前回と一緒でいいのか?」
「量はどうなりそうですか?」
「今年はお前さんの言うとおりに、クローバーや蕪を育てているからな。去年より三割ぐらい少なくなりそうだぞ」
「冬の食料としては大丈夫そうですか?」
これまで、冬に与える飼料が足りないから、仕方がなく家畜を殺し、食料にしてきた。
だが、今年は四輪式農法の効果が出てきつつある。
一冬を越せる家畜がいれば、その分労力として残すことが出来、また繁殖を盛んにすることも出来る。
ところが、長期的な目で見れば家畜は多量に増えるわけだが、最初の二・三年はかえって食料が減ってしまうのだ。
家畜をしめなくなったせいで、冬ごもりの食料が不足するようなら本末転倒だ。
そんな不安を込めたエイジの問いに、マイクは手を横に振ったことで、否定した。
「ああ。その分、干しダラが多量にあるからな。羊を多めにしめておけば、帳尻は合うだろう」
「なるほど。じゃあ、お手数ですが塩析まで済ませてもらえますか?」
「了解。また研ぎはしっかり頼むぞ」
羊はもっとも飼育しやすい家畜の一つだ。
歴史的に見ても、犬に次いで家畜化に成功した生物に挙がる。
マイクが手で包丁を振るような動作をした。
エイジはほっと胸に手をおいて、力強く頷く。
「今年はオリーブ油が大量にありますからね。これは自分たちが独占します。工業用に使いやすい牛脂石鹸は、ナツィオーニや交易用に残しましょう」
「うちの母ちゃんのも頼んだぜ」
「協力してもらってますからね。最高の物をお届けしますよ。相変わらず愛妻家ですね」
「うるせえや」
マイクが照れているのが、微笑ましい。
なんだかんだと言いつつ、常にジェーンのことを考えているのだから、いい人だと思う。
オリーブオイルをメインに、サブに何のオイルを添加するかによって、石鹸の性質は変わる。
有名なアレッポの石鹸や、マルセイユ石鹸も、ベースになるのはオリーブオイルだ。
ピエトロには監督を始め、色々と仕事を振っているから、オーバーワークになる可能性がある。
頑張り屋な性格だが、まだ体も完全に出来上がっていない少年なのだ。
今後は石鹸作りも、村の誰かに任せる、といった対策を考えないといけないだろう。
ひとまずは、オリーブオイルを使った石鹸作りは自分の手で行おう。
昼の間は弟子たち全員が制作を行えば、火炉を使う余裕もなくなる。
エイジは朝と夕方に物を作り、昼の間は石鹸作りに精を出せばいいだろう。
次の計画を考えているエイジに、遠くから呼ぶ声がかかる。
野太い男の声だ。
遠目では誰だろうか、はっきりとしないが、馬車に乗っているようだった。
以前に聞いた覚えのある声だ。
声の主が近づいてくることで、誰なのかはっきりした。
行商人のジャンだ。
石鹸で一儲けしたことは懐かしい。
そうか、あれから一年が経つのか。
「エイジ君、頼まれてたものを持ってきたぞ」
ジャンがニヤッと笑いながら、馬車を止めた。




