2話 出産の準備 1
エイジはピエトロに作業を任せると、待たせていたダンテとカタリーナを棚に呼び寄せた。
普段出来上がった製作物に触れない二人は、この場所に入ること自体、殆どない経験だ。
そのため、きょろきょろとあたりを見渡して、物珍しそうな視線を投げかけていた。
エイジは棚に置いた箱から鏃を取り出して、二人に見せた。
一つはエイジ自身が作ったもの。
もう一方は、十個ほどの鏃。
エイジの作ではなく、ピエトロの初めてから今への遍歴が分かる作品集だ。
エイジが合計十一個の鏃を、机の上に並べた。
さて、この仕事について結構な時間が経ったけれど、二人に違いが分かるだろうか。
少し期待しながら、エイジは問いかけた。
「二人には、これから鏃などを作ってもらうわけですが、まずその前に、私が作ったものと、これまでピエトロが作ってきたものを見せましょう。どれが私のものか、分かりますか?」
「ま、これだろうなあ」
「私もこれだと思います」
「そうですね、正解です。そう思った根拠は何でしょう?」
「形がきれいだからな」
「なんだか引き締まって見えますぅ」
ものの良し悪しというのは、大体は外見から推察できる。
特に実用性を求めた道具は、その傾向が強い。
エイジは鏃を手に取り、触る。
ひんやりとした感触が伝わってくる。
エイジが作った鏃は、先になるほど薄く、そして滑らかに細く、鋭角に尖っていく。
ピエトロが作ったものは、それに比べるとやや鈍らな印象を受けてしまう。
刃を避けて指でなぞっていけば、その表面の滑らかさも、微妙にしてハッキリとした違いがあった。
外見上のパッとした違いだけでなく、手触りや色合いといった細かい観察点を教える。
「これがピエトロが最初に作った鏃。そして、作り続ける内に、徐々に上手になっていっているのが分かりますか?」
「はは。これとかヘッタクソだなあ」
「ダンテ、君の作品も残していくから、今の君みたいに、いつか来る後輩に笑われることがないように」
「うげっ。マジかよ……」
まったく、人を笑ったって成長できないんだぞ。
ダンテが苦々しく顔を歪めたのを見て、エイジとカタリーナが笑った。
弟子たちに仕事の割り振りを決めた後は、エイジは鍛冶場を一旦離れた。
向かう先は、フェルナンドの仕事場だ。
相変わらず挽きたての木の香りがぷんと漂っていて、自然と心が落ち着く。
きれいに切り落とされた木や、鉋掛けをされた材木を見ると、フェルナンドが確実に大工としての技量を高めていることが分かる。
私も弟子たちばかりに任せている訳にはいかないな。
エイジが仕事場の入り口に立っていると、トーマスが迎えてくれた。
背の低いフェルナンドと違い、トーマスはエイジが少し見上げるほどに背が高い。
この村ではフィリッポ、ダンテに次ぐ高さだろう。
「お久しぶりですね、エイジさん」
「トーマスくんも元気でやっていた?」
「ええ。口うるさい親方がいないんで伸び伸びと仕事させてもらいましたよ。あ、これ内緒でお願いしますね」
背の高さと反して、トーマスはまだまだ発言が子供っぽい。
トーマスに連れられて、フェルナンドのもとに案内してもらう。
フェルナンドがエイジに気付いて、気持よく迎えてくれた。
全身木の粉や鉋屑だらけで、どれだけ忙しく動いているかがよく分かった。
「仕事の進み具合はどうですか?」
「トーマスがよくやってくれてたが、やっぱり僕じゃなきゃ出来ない仕事が溜まってる。君のところは?」
「似たようなものです。今回の営業でしばらく仕事漬けですよ」
「お互い大変だな」
今村で一番忙しいのが、エイジとフェルナンドだろう。
本来の仕事に加え、外交という二足の草鞋を履いた状態だ。
冬ごもりで身動きがとれなくなるまでの間に、なんとかある程度の算段をつけたい所だ。
それだけに、エイジはこれからの話が心苦しかった。
「モストリ村から大工さんが来るまでに、仕事を頼んでいいですか?」
「内容によるね。どんな仕事だい?」
「うちの家を改装して欲しいんです。正確に言うと、居住空間と家畜部屋を完全に壁で区切って欲しいんです」
「もともと仕切りはあったよな」
「ええ。ただ、その仕切を壁にしたいんですね」
「それならまあ、ちょっと付け足すだけだよね。でも、冬に寒くならないかい?」
「部屋の空間が狭くなるので、ある程度保温効果もあって、相殺されるはずです」
冬ごもりの間、家畜の体温は暖房の役割を果たしてくれる。
衛生的な面を抜きにすれば、薪の量を減らせて非常に経済的なのだ。
だが、エイジの家の場合、不衛生なことは、致命的な問題が起きる可能性がある。
「もうすぐ出産でしょう?」
「それが何か?」
「何がって……ああ、そうか」
エイジは産褥熱について、簡単に説明した。
出産時は非常に免疫が弱まり、感染症などによる母体や赤子の危険が高まること。
特に清潔度合いが大きな問題になり、家畜と一緒の生活は感染率を上昇させること。
そのためにも、出産専用の場所、助産院を建てた方がいい、ということ。
「本当にそんな方法で出産時に死ぬのを助けられるのかい?」
「完全とは言いませんよ。でも、今よりは確実に良くなる。それは断言できます」
「ならやるべきだろうね」
今現在、二人の子どもを成人まで育てるのに、平均六人ほどの出産が行われている。
出産は母親にとっても、非常に負担が大きい一大イベントだ。
何人も子を産めば、よほど体がしっかりしていないと、様々な痛みに悩まされることになる。
食糧問題が解決されつつある今、幼児期を乗り越えれば、かなりの出生率の向上が見られるはずだ。
そのような問題が背景にあるため、フェルナンドはエイジの提案を真剣に聞いていた。
「助産院を建てることが出来ればいいんですが、帰ってきたばかりで、家を建てる余裕はありますか?」
「タニアちゃんが出産する予定はいつぐらいかな?」
「この冬の前になると思います」
「それは不可能だよ。あと数ヶ月しかないじゃないか」
「ですよね。だからこそ、家に壁が欲しいんです。タニアさんは他の女性よりも少し初産が遅いわけですから、より安全に産んでもらいたい」
「……分かった。まだ時間があるし、今の用事が済んだら、家の方も何とかするよ」
「よろしくお願いします」
「ただ、これって君の家だけの問題じゃなくなったな。今年は誰が妊娠していたっけ……」
フェルナンドが村人の名前を挙げていく。
エイジにはあまり会わない人の名前もあった。
「全部の家も出来そうですか?」
「うーん、下働きを増やすように頼んでみるかな。どっちにしろ、今後子どもが増えるっていうんなら、長い目で見たら大工が絶対に必要になるからね」
ある程度の子どもが死ぬからこそ、家の数が一定で済むのだ。
大家族が増えたら、その分家も増やす必要があるだろう。
そうなれば、嫌でも家を建てる必要がある。
「私からも村長にかけ合ってみますよ」
「だいたい仕事を増やしているのは、エイジ君絡みだからね」
「仰るとおりです」
そう言われては、認めるほかない。
計画立案するエイジも大変だが、フォローしてくれているフェルナンドはそれ以上に苦労が絶えないだろう。
エイジはタニアを除いて、もっとも苦労をかけている目の前の男に、感謝とともに軽く頭を下げた。




