一四話 塩作り 後編
非常に大きな水槽に、集められた砂が敷き詰められていく。
そしてラウがその砂に、海水をかけていった。
ラウの体はとても鍛えられていて、全身に脂肪のかけらもない。
重たい砂も、重たい海水も次々と移動していく。
水槽の下部には細い管があって、かかった海水はそこから流れていくようだった。
「集めた砂から、塩の成分を取り出す作業だよ。流れていく水に砂が混じらないように、水槽の底には様々なものが敷き詰められている」
「これを何度も繰り返すんですか?」
「一度で全てが流れるわけではないからね」
ラウの説明を聞きながら、目線を先に移す。
その先には大きな水槽があり、そこには確かに海水が流れているのが分かった。
ラウは説明に徹しようとしているのか、作業の途中だが、場所を移動した。
エイジたちも作業に合わせていつまでも見ているわけにも行かない。
ありがたいことだと、その後ろをついていく。
「一度水槽に海水を貯めることで、小さなゴミが底に溜まるんだ。だから、実際に製塩に使われるのは、この上澄みだけになるんだ」
驚いたことに、水槽には弁と管が備えつけられていて、その先には銅鍋があった。
弁を開くと同時に自然と海水が流れ出る仕組みだ。
言ってしまえば、高低差を利用した水道装置だ。
鍋の下にはすでに薪が組まれていて、いつでも焚ける状態になっている。
ここでは何でも作業の半自動化が進められている。
負けていられないな、とエイジは思った。
水車動力を利用して、シエナ村でももっと効率を高める必要があるだろう。
そのためには、大工の数を増やしたり、もっと生産活動に従事する人間を増やす必要があるだろう。
ラウはエイジの内心の決意を知る由もなく、鍋を指さし、説明を続ける。
「溜まった海水は、次に火にかけられます。水の無くなった鍋の底には、びっしりと塩が出来ている。最後はそれを掻き集めて終わりだ」
「とても大きい鍋ですね。上げ下ろしは?」
「大変だよ。最後に鍋を下ろす作業だけは大人三人がかりで行うんだ」
「少しでも軽量化したいところですよね?」
「それはもちろん。でも、出来るんですか?」
疑問を浮かべるラウに、エイジが力強く頷く。
「同じ強度ならば、鉄のほうが銅よりも薄く出来る分、軽くなりますよ」
「それが本当なら大助かりだ」
「良ければ次回の交易の際に持ってきましょう。流石にこのサイズの道具は持ってこなかった」
「そりゃそうだろうね」
「サイズを後で測っておきましょうか。ただ、少しサイズが大きいので、割高になってしまいますが……」
「作業が楽になるなら、その分多く塩を作れるでしょう。構わないと思いますよ」
「おい、ラウ。勝手に決めるんじゃ――」
「よろしくお願いする。ほんとうに大変なんだ」
口を挟んだ長老の言葉を遮って、ラウが嬉しそうに頷く。
実際に動きまわっているのは長老よりもラウだから、作業が楽になると聞いて嬉しかったのだろう。
彼を責めることは出来ない。
長老は仕方がない、とばかりに溜息を吐いたが、だからといって取り消すようなことはしなかった。
よしよし、これでシャベルと鍋でかなりの儲けになるぞ。
ほくそえむエイジに、ラウが移動して、小皿を持ってきた。
その上には、小さな塩の山が盛られている。
天然塩だからだろうか。大きさは不均等で、粒子がやや大きく感じられた。
「そして、こちらが実際に作られた塩です。少しだけ舐めてみて?」
「では遠慮無く。うん……塩辛い……けど、なんだか少し甘みもあるような気もします。同じ塩のはずなのに、いつも食べている塩より、美味しい?」
「でしょ? うちでは塩にランクがあるんだ。上塩と普通塩。この塩で料理を作れば何でも美味しくなる。エイジさんの村はここから最も遠いんですよね?」
「そうなります」
「多分、この塩が交易で遠くに流れることはないと思う。もともと、あまり村の外に出さないし、美味しいから皆手放さないから」
「じゃあ直接来てよかったですね」
「そうだね。ただ、この塩は特別製なので、少々割高になります……」
そう返してきたか。
エイジは苦笑を浮かべた。
だが、塩の良し悪しは料理の味に大きく関わってくる。
ただでさえ、素材自体の旨味は品種改良が施されていない分、現代よりもかなり劣る。
上等の塩はできれば抑えておきたかった。
悩みどころだ。普通の塩でも十分に需要は満たせる。
贅沢品を交易の天秤に乗せるべきか?
「なかなかお上手なようだ」
「ご購入いただけますか?」
「フェルナンドさん、良いですか?」
「多少なら、ね」
「そうですね、少しだけ。そうしましょう。お願いします」
「毎度あり」
がっしりと握手を交わす。
塩は大きな壺と小さな壺の二種類に納められて、船まで用意してくれることになった。
こちらはシャベル。次回は鍋も。
相手は塩と干し魚にオリーブオイル。この製塩所の見学だけを考えれば、十分な成果だろう。
長老のエドがほっとしているのが印象的だった。
砂浜に戻ってきたエイジは、そこでフランがすでに泳がず、帰りを待っていることに気付いた。
砂山ができていて、立派な砂の彫刻が出来ている。
ずいぶんと手先が器用なようだ。
その隣には桶が置かれていて、海水のはられた桶には数多くの貝が入っていた。
エイジが中を確認する。
普段アサリやサザエならみたことがあるが、あまり貝には詳しくない。
「これは……? どうしたんです?」
「採ってきた! ムール貝だ。海の底にいっぱいいるんだぞ。こうやって、足でヒョイって掴んで、掘り返してやったらすぐに採れる」
「きれいな砂浜ですからね。この横のは?」
「それはマテ貝だ! 美味いぞ。むしゃむしゃ食える」
「これは……牡蠣ですね、それにアサリもある」
「それはオバちゃんと交換したぞ。エイジ、貝は好きか?」
「ええ、大好きですよ」
「そうか……よかった。後で食え!」
フランが桶をずいっとエイジに手渡す。
波打った水がわずかに桶から溢れた。
無邪気なフランの笑顔に、交渉に疲れた心が洗われるようだ。
この貝もありがたくいただくことにしよう。
エイジの顔に自然と微笑が浮かぶ。
夜、ワイン蒸しやバターソテーなど、貝料理が中心に並んだ。
その他にはニシンの蒸し料理。
基本的にこの島で刺し身や焼き魚はあまり食されないらしい。
乾物として加工するか、蒸し料理がほとんどだ。
唯一の例外は生ニシンの酢漬けぐらいだろうか。
だが、この村の特産は、海鮮料理だけではなかった。
長老のエドが自慢気に、少し胸を張った。
「うちのオリーブの味はいかがですか?」
「最高です。新鮮なオリーブオイルですね。フェルナンドさんはどうですか?」
「飲める油だ」
「その表現、売り言葉にピッタリですね」
「あなた方は時期が良い。ちょうどオリーブが実をつけて、収穫したばかりだ」
オリーブのピクルス、オリーブオイルと塩、レモンのような柑橘類と干し葡萄のドレッシングを使ったサラダなど、単純な味付けだが、かなり美味しい料理が並んでいる。
エイジが知ったのは、油が本当に新鮮だと、大量にかかっていても少しも胸焼けしないということだ。
普段味気のない食事が多いから、この旅はかなり魅力的だ。
心なしか、エイジ自身も、フェルナンドも少しふっくらとしてきたはずだ。
「オリーブオイルも、この村の特産ですか」
「そうじゃ。うちの村は塩とオリーブオイル、そして干し魚なんかを交易に使っておる」
「畑がなくてもなんとかなるのは、そのおかげですね?」
「そうじゃ。食べ物がなければ人は生きていけない。だが、塩がなくても、人は生きていけないからの」
「今度はうちから皮革だけじゃなくて、食物を持ってきましょう。そら豆やケール、人参に玉ねぎ、どれも最高です」
「どれもオリーブオイルによく合う」
オリーブオイルとワインは交易の主役だ。
むかしギリシャ人はこの二つを使って交易を行い、地中海領域に数多くの都市を作った。
他では生産できない品だったから、どこよりも多く食料品を得ることが出来た。
その結果、農民よりも職人や官僚を増やすことが出来たのだ。
だがエイジの目は、それら主役だけではなく、端の方に置かれた粥に目が行った。
白い粥は、普段の大麦の粥とは色合いが違う。
食べてみると、乳臭い味が邪魔をして、はっきりと粥の原料がわからない。
だが、確実に麦ではなかった。
これは何?
まさか、と思うものがあった。
――米だ。
「ところですごく気になるんですが、この粥、なんです?」
「見たのは初めてかい?」
「いえ、とても見覚えがありすぎて、見間違いじゃないかと」
「これは島の南側でしか取れない野菜の一種だよ。乳に漬けてわずかに炊いて食べる。まあ、あまり美味いものじゃないかもしれんがの」
「炊く前のものを見せてもらえませんか?」
「それは構わんが……不思議なことを言いなさるの」
エドが持ってきたのは、確かに米だった。
残念ながらジャポニカ米ではなく、インディカ米だが、そんなことはどうでもいい、とエイジは思った。
食べたくて仕方がなかった米が、目の前にある。
「この米は、手に入りますか? いえ、交易として欲しいのではなく。個人的に」
「個人的に? ますます不思議だ。量はどれくらい」
「ざっと、そう……100キロほど」
「100キロじゃと!? 分からん、お主の考えはまるで理解できん」
「まあまあ。私が個人的に好きなだけなんです」
「一体この食べ物に何が隠されている?」
「美味しい調理法が」
「バカ言うな。こんなものが美味いわけがない」
エイジの言葉が本心故に、よけいにエドには理解できなかったのだろう。
米はけっして人気のある食物ではなかった。
粥にされたり、サラダのような扱いをされたりといった不人気ぐあいだ。
だが、少なくともエイジにとっては違う。
インディカ米でもチャーハンやピラフは美味しいだろう。
リゾットはどうだろう。
おにぎりはさすがに合わないか。
次々と米料理が頭に思い浮かんで、帰るのが楽しみになる。
この旅路で一番の収穫はこれだ、とエイジは心から思った。
お久しぶりです。
ひと月近くも開いてしまい申し訳ないです。
うーん、今回で終わらせようと思ったけど、書きたいシーンを書くと、終わらなかった。
分量オーバーなので、明日に回します。




