2話 宴会 前編
急遽宴会をすることになって、料理を作る女性陣は大忙しだっただろう。
だが、それでも夜が深まる頃には、どうにか宴会の準備は整えられた。
暖炉には火が熾され、会場は明るく暖かかった。
テーブルの上にはスズキの香草蒸しや、潰したばかりの山羊肉のソテーといった料理が並んでいた。
立ち上がる香りに、思わずエイジは口の中に唾液が湧き上がるのを感じる。
随分と豪勢な食事だ。
毎日保存食ばかりで、味気ない食事が続いていた。
最近になってようやく山菜や春野菜を食べるようになったが、冬の間、しっかりとした肉を食べることができなかった。スープに浸さなければ歯がたたないような固いパンの毎日だったのだ。
来客故の豪華な夕食に、これだけは呼ばれて嬉しい事だなと思う。
今回お呼ばれしなかった人たちには、いつかお返ししなければならないだろう。
一人ひとりのコップにワインが注がれ、一部の酒好きにはウイスキーが渡る。
エイジはなみなみと注がれたワインの香りを嗅ぎながら、周りを見渡した。
ナツィオーニからやってきた五人は、フランコの左隣にひとかたまりとなって座っている。
五人の内訳は、男が四人、女が一人だった。
右側はボーナが座り、一番の上座になっていた。
その中で一際大きな男が目に入った。
村で一番大きなフィリッポと並ぶほどの巨体だ。
ライオンのような剛毛と女性の腰ほどもある太い二の腕が特徴だった。
少なくともタニアさんの腰よりも太いな……。
一体どういう人だろうか。
目付きが悪いのが気になった。欲望を隠そうともしない。
その目はジロジロと遠慮なく、周りを見下ろすような視線を向けている。
エイジと目が合った。
視線を外さないでいると、軽く睨みつけられる。獣のような威嚇だった。
仲良くしようというつもりはないようだな。
それとも最初に上下関係を築いておきたいのか。
自分なら信頼といった良好な関係性を築く方を選ぶだろう。
エイジには最初から威圧してくるその男の考えが理解できなかった。
「さて、それでは皆に飲み物も渡った所で、そろそろ歓迎の宴を始めるとしよう」
会場の上座で、ボーナが合図を行う。
大男を含めた皆がコップを持ち上げた。
「新しく我らの村にやってきた五人に、乾杯」
「乾杯」「乾杯」「乾杯」
それぞれの胸中を別にして、息の合わさった動作でそれぞれのコップがぶつけ合わされ、硬質な音を建てた。
「エイジさん、飲み過ぎたらダメですよ」
「分かってますよ。私は弱いから口につけるだけにしておきます。ここで酔ったら威厳もなにもないですからね」
タニアのお腹はほんの少しふっくらとしてきたこの頃だ。
妊娠がわかってからは完全に断酒している。
二人して水を飲むことにした。
皿に盛りつけられた山羊肉をフォークで挿す。
真っ赤なソースに彩られたソテーは、噛みしめると柔らかかった。
おそらくはまだ仔山羊の段階で、食材になったのだろう。
臭みも少なく、美味しい。
「あ、この山羊のソテー美味い。これワインソースだ」
「こっちは山菜のチーズ炒めですよ」
「これ、タニアさんが作ったんですか?」
「ジェーンさんと二人で大変だったんですよ」
「美味しいですよ」
「頑張ったかいがありました。あ、ほっぺにソースがついてますよ」
指先で頬のソースが取られ、その指が口元に移動する。
ペロリ、と真っ赤な舌がソースを舐めとった。
「はしたないですよ」
「ごめんなさい」
にこりと邪気もなく笑われては、それ以上怒ることもできない。
気恥ずかしさを感じ、エイジは周囲の状況に目を走らせた。
ボーナとフランコが隣り合わせになったまま、静かに杯を傾けている。
舐めるようにして飲んでいる様子から、深く酔うつもりはないようだった。
時折穏やかな声で言葉を交わしているが、目が笑っていない。
二人してピリピリと肌がひりつくような緊張感を漂わせていた。
マイクやフィリッポといった男衆は慌てながらも、見つからないようゆっくりと距離をとるぐらいだ。
ナツィオーニからやってきた五人は、それぞれ食事に舌鼓を打っていた。
まだ積極的に交わろうという様子はないが、酔いが回れば少しずつ言葉を交わせるようになるだろう。
そう判断した時だった。
一人の男がウイスキーをぐいっとあおり、長息の後、聞き逃せないことを言い放った。
「へえ、山奥のチンケな村だと思ったら、なかなか飯はウマイじゃないか」
「おい、どこがチンケだと」
ライオン頭の大男の発言に噛み付いたのは、マイクだった。
最初は相手の対応次第で楽しく飲もうとしていたようだが、村を馬鹿にされて我慢できないのだろう。
宴会場の空気が一瞬で変わった。
「ふん、思ったことを言ったまでだ。図星を指されて気に障ったか」
「てめえ、他所者が偉そうなことを言いやがっ……ぐっ!」
「あまりカリカリするな。弱いんだからよ」
飛びかかりそうな距離まで近づいたマイクの首をグッと掴んだかと思うと持ち上げた。
信じられない膂力だった。
片腕で、しかも腕を伸ばした状態で一人の男を持ち上げている。
首を掴まれて苦しいのだろう。
マイクは顔を歪めながら男に鋭い蹴りを放ったが、ビクともしなかった。
男は涼しげな顔で立っている。
エイジは慌てて立ち上がり駆け寄った。
どうしてフランコは止めようとしないんだ。
管理するつもりのない徴税史に苛立ちながら、男の横に立つ。
「止めろ、手を離すんだ!」
「おいおい、喧嘩を売ってきたのはこいつだぜ?」
「煽っておいてどの口が言うんだ!」
「お前も反抗的だな。俺は領主の息子だぞ?」
「それがどうした。この村に送られてきたのならこの村の掟には従ってもらう!」
「ダンテ」
「チッ、分かったよ」
フランコの制止の声に舌打ちしてダンテが手を離すと、マイクがドサリと床に落ちた。
首を絞められた状態で吊り上げられていたため、顔が青白く、貧血状態に陥っている。
首が手の形に真っ赤になっていて、痛々しげだった。
それでもその目だけは鋭く、まゆを逆立ててダンテを睨みつけていた。
エイジもまた、普段の温厚な姿からは考えられないほど鋭い視線で、ダンテを見た。
こんな男が、これから村に来るのか。
今のままのさばらせておく訳にはいかない。
少なくとも、今のような横暴を許していたら、どんな問題が起こるか分かったものではない。
「お前、名前は?」
「まずは自分から名乗るものだ」
「ふん、俺はダンテ。未来の領主になる男だ」
「私の名前はエイジ。これから君たちに鍛冶を教えるものだ」
「お前も生意気だ、な。――敬い、頭を下げろ!」
無理やり頭を押さえつけようとダンテが手を振り下ろす。
強力な張り手だ。
恐らくまともに喰らえばエイジはひとたまりもないだろう。
――瞬間。
エイジは即座に動いていた。
左手で手首を掴み、右手を脇の下に差し込む。
体を小さく折りたたむ。足が地面を蹴り、全身を跳ね上げる。
綺麗な背負投だった。
ダンテの巨体が猛烈な勢いで宙に浮き上がった。
美しい弧を描きダンテは床に叩きつけられた。
とてつもなく大きな衝撃音とともに、床がミシミシと軋み、会場が揺れる。
ダンテはとっさの事で受け身が取れなかったのだろう、すぐには動けないようだった。
背中から強打したことで、咳き込んでいた。
初めての体験だったのか、目を白黒とさせて驚愕していた。
エイジはダンテを見下ろした。
油断は一切していない。次に襲い掛かられれば、即座に対応できるよう構えていた。
その上で、言う。
「喧嘩を売る相手を選んでくださいよ。私はあなたに教える立場です。例えあなたがどんな立場であろうと、教えを請う以上、その横柄な態度を許すことはできません」
「き、貴様……!」
「フランコさん、彼にはお帰り願ってはいかがですか? 協力する気のない人にいてもらっても、迷惑になるだけです」
一瞬だけ首を回し、上座に座っていたフランコに目を向ける。
だがフランコは、このような事態を前にしても、首を横に振った。
「いや、彼にはよく言っておこう。皆さんせっかくの宴会を台無しにして申し訳ない。私とダンテは一度中座させていただきます。皆さんはぜひ交流を深めてください」
「フランコっ!」
「お黙りなさい!」
鋭い叱責の声だった。
それまで図太い神経で大きな態度をとっていたダンテも、さすがに自分の失態に気付いたのか、分かったよ、と頷いた。
そんな態度も取れるのか。エイジはフランコの意外な一面を見た気がした。
有能ではあるが、こういった荒事には向いていないように考えていた。
だが、そうとも限らないのかもしれない。
ダンテは投げつけられた影響から早くも回復したようだった。
軽い足取りで立ちが上がると、フランコがダンテを連れて、会場を出る。
扉の前まで来ると、ダンテが立ち止まった。
振り向き、エイジを睨みつける。
「おい、貴様。俺に勝ったと思うなよ」
「勝ち負けじゃありませんよ」
恐ろしいまでの殺気だった。
背筋が薄ら寒くなるほどの威圧感だ。狼と対峙した時の恐怖が湧き上がってきた。
恐らく、次に今の投げ技は通用しないだろうな、と思った。
後編に続きます。




