十話 五つのミニチュア
打ち始めというからには、鉄を打たなければ始まらない。
炭に充分な火が回ったのを確認し、用意してあった鉄材を炉にくべる。
それらは炭素量の少ない、いわゆる軟鉄、地鉄と呼ばれるものだ。
「親方、今日は何を作るつもりなんですか?」
「毎年この日に作るものは決まっているんだ。剣と鋸、鎌、鉈、鍬の五つ。これのミニチュアを軟鉄だけで作る」
「それって役に立たないんじゃあ」
「そうだね。使うことは出来ないよ」
「もったいなくないですか?」
「そうかもしれないけど、意味が無いわけじゃないよ」
エイジは鍛冶場の入り口に置かれた、鉄のイスを見た。
それは客用に設置されていて、訪れた客をそこに座らせ、それ以上中に入らせないようにする意味と、製品の良さを誇っている。
ゆるやかな曲線を多用した鉄イスは、出来上がったあとも加工が加えられ、今は革が張られている。
近代的なフォルムになっていて、見た目と機能を兼ねそろえた逸品だ。
「打ち始めに作ったミニチュアは鍛冶場の門前に飾るんだ。イスもミニチュアも、自分たちの腕を見せる宣伝の一つになるんだよ」
「なるほど」
「いくらいいモノを作ってもね。見せ方が良くないと、本当の良さというのは分かってくれないことが多いんだ……。それに作るミニチュアは全て鍛冶場に縁の深いものばかりだからね。関係性の点からも、欠かせない儀式かな」
「打ち始めに作るってことは、これって毎年作るんですか?」
「うん。最初は門前に。そのあとは横に並べていくんだ。年々出来が変わったりしてね、作り手の腕前が分かったりして、それだけでも判断材料になったりするんだよ」
もっとも、現時点で自分たちしか鉄を扱えない現状、良い商品を作る以上の宣伝はないだろう。
それが分かった上で作るのは、純粋に先祖代々伝わってきた慣習を大切にしようという思いからだ。
近代的な勉強を誰よりもしたエイジが、祖先の教えを大切にするのは、いまだ最新技術でも到達不可能な、人の分野が残っているからだ。
「さあ、作ろうか」
「今年最初の鎚振りですね」
「久しぶりだからって、動きが悪かったら承知しないからね」
「うへぇ。ガンバリマス」
「なに、鍛接も刃もないんだ。難しくないし、時間もそんなにかからないよ」
エイジが天井から下がっている紐を引っ張る。
水の流れる音と、ギギギと木の軋む音、歯車の音が渾然となって鍛冶場に満ちる。
水車が回り、歯車が動き鞴に風が送られる。
切り分けられた炭が赤々と燃え始める。
「いつもどおり、鉄の温度をよく見ておくように」
「はい! 俺、この風が送られて火がぼうっと、赤くなる瞬間が好きなんです」
「私も好きだよ。多分、鍛冶師はみんなこの炎を見て、心を落ち着かせていると思う」
「炎を見ることが鍛冶師の技の秘訣ですね」
「良い物づくりには秘訣がある。今日はいい機会だからそれも教えてあげよう」
「それって何ですか? めっちゃ気になります」
「作ろうと意識しないこと」
「作ろうとしなかったら、出来ないんじゃ?」
一日も早く腕を磨きたいのだろう。
目をキラキラと輝かせて言葉を待っていたピエトロの表情には、一転して疑問が浮かんでいる。
鉄材の温度変化を注意深く見ながら、言葉を考える。
独特な感覚を、一体どう表現すれば一番うまく伝わるだろうか。
「伸ばすのが疲れるからって熱くすると、炭素が抜けて固さが抜けてしまうよね?」
「はい。パチパチって火花が散ると、炭素が抜けてる証拠です」
「よくできました」
「えへへ。ありがとっす」
「固く作ろうと、温度を低くすれば、いつまでたっても伸びず、背中や肩が痛いだけだ。鉄には適した温度がある。鉄の望む温度があるんだ」
「鉄の望む温度……」
「すると楽に、いいものが出来る。炭素量によって、望む温度は違うのが難しいところだ。それぞれの鉄の望む温度にしてあげる。夕日のような赤では低すぎる。かといってレモンのように黄色くなると高すぎる。一番はみかんのような色。ちょうど今ぐらいにね」
鉄材が熱されて光を放っている。
オレンジかみかんかという、微妙な橙色に光を放っている。
雪の降る日のような薄暗い鍛冶場は、鉄の赤めた色が見やすくていい。
高温になった鉄材を火バサミで掴んで、金敷に移動する。
鎚で小さく叩いていく。
親方が持つ小鎚は演奏における指揮棒のようなものだ。
押せ、引っぱれ。
早く打て、強く打て、ここは細かく慎重に――弟子の先手には言葉ではなく鎚で合図する。
鉄を打ち続ける大きな音が邪魔になる。言葉では遅く頼りなさすぎる。
だから叩く鎚にすべての意図を込める。
エイジが縦に伸ばすように叩けば、ピエトロはその方向に振る。
叩きが足りないと判断したら、そこに叩けと合図する。
エイジが指図し、ピエトロが忠実に叩く。
軽快に、リズムよく――。
鉄の奏でる音は時に高く時に低く、まるで一つの楽曲を奏でるかのように。
鉄が冷えてくれば作業は止まり、また炉に入れて風を送る。
そのしばらくの間だけ、息をつくことが出来る。鍛冶はこの繰り返しだ。
「鎚も同じだよ。腕で振って叩いている間は、まだいい物はできないんだ。鎚が手の延長になって、鉄の感触が直に分かって、手じゃなくて鎚が勝手に振っている……そんな感覚になれば、大したものだよ」
「そうなるためにはどうすれば良いんですか?」
「沢山作ること。常に鉄について考えること」
「一生懸命ガンバルってことですね」
「うーん。惜しいけどちょっと違う」
「それって――」
「色が変わってきた。はい、作業再開」
言葉を遮ってふたたび金敷に鉄材を載せる。
鉄は温度管理が一番重要だ。
会話よりも何よりも、鉄が望む温度で叩いてやる。
そういう意味で鍛冶は忙しい。
こちらの都合ではなく、鉄の都合で仕事が動くから。
鉄は伸ばされ、大まかながらも剣の形になってきた。
あくまでミニチュアだから、大きなサイズのものを作る時に比べ、出来上がるのは非常に早い。
再び炉に鉄を収める。
その瞬間を待っていたように、ピエトロが言葉を再開した。
「頑張る以外にどうすればいいんですか?」
「鎚の一振り一振りに、ちゃんと意味を考えているかってこと。どうしてこの叩き方を指示されているか、考えたことはあるかい?」
「いえ……」
「微妙に温度が冷めてきた時に、鎚に返ってくる反動の変化をしっかりと感じ取ったことは?」
「ないです」
「まあ、それで普通だよ。私もそうだったから」
エイジも昔、似たような教えを受けた。
最初から考え方までしっかりしていたら、それは天才と呼ばれる存在だ。
「次からは、そういうのも感じてみると良いよ。鉄が立てる音の変化、反動の変化、研いだ時のかかりの硬軟。全部意味があって、それをどれだけ意識して取り組むかで、全部変わってくる」
「分かりました。やってみます」
至らないところを指摘されて、へそを曲げない奴は成長する。
自分はどうだっただろうか、とエイジは考えて、苦笑を浮かべる。
大学での勉強が鍛冶場では何の役にも立たないことが多々あった。
鋼材のメーカーが指示する焼き入れの手順を無視して作ることなどザラだ。
知識と現実の間で挟まれて随分と苦労したが、それでも親方の言うことは絶対だ。
なにせ、親方は自分よりも良い物を作る。
悔しかったら腕で抜くしかない。
それなりに満足が行くものを作れるようになったら、父親は自由に作らせてくれた。
自分で学んできた知識を、目の前の現象とリンクさせる。
最初は上手くいかない。現実と理論と、噛みあうように工夫していく。
――やるじゃねえか。
その一言がどれだけ誇らしかったか。
「出来たね。お疲れ様、疲れただろう」
「いえ。大丈夫です」
「無理しなくていいさ。最初から最後まで大鎚振れたの、初めてだろう?」
ピエトロが疲れた腕を振り、額から流れ落ちる汗を拭っていると、外から大きな鶏の鳴き声が聞こえてきた。
正午の合図だ。
雄鶏は一日三回、明朝と昼、夕方に鳴き、村の時計になっている。
縄張り争いか、魅力争いの一つなのだろう、一羽が鳴いたら次々と他の雄が鳴き出すのだ。
「いいタイミングだ。昼食を取ってしばらく休憩にしよう。もうすぐお昼も持ってきてくれるだろうし」
「分かりました」
今日は鍛冶場に出ることを伝えているから、タニアが弁当か材料を持って、鍛冶場に訪れるはずだった。
汗を拭き、体についた炭を綺麗にしていると、タニアの姿が玄関にあった。
手には籠を持っている。
「エイジさん、お昼持ってきましたよ」
「いつもありがとう。今日は何?」
「エイジさんが教えてくれたピザとかいうの」
「お、良いね。タニアさんの分も一緒なんでしょ、一緒に食べようよ」
「ご一緒しますね」
「嬉しそうですね」
「だって、お昼まで一緒に食べるって、随分と久しぶりじゃないですか」
「冬場に入ってからはずっと別でしたからねえ」
タイミングよく火事場に訪れたタニアは、籠からパンとチーズ、サラミに刻まれたタマネギを取り出すと、てきぱきと動き出し、フライパンに収めた。
鞴を動かして炭火を強く焚く。
鍛冶場の炉を使ってちょっとした焼き魚なんかを作るのは、現代の鍛冶師でもするちょっとした役得だ。
炭で焼いた食事は、ガスとは比較にならないほど美味しい。
そして鍛冶場では空気の乾燥防止のため、常にヤカンを炉の上に吊っている。
だからお茶はいつだって熱々が飲める。
エイジは茶の準備をし、タニアはフライパンを眺めながら、ピザが出来上がるのを待つ。
やがてパンの焼ける匂いと、チーズやサラミのいい匂いが混ざり合ってプンと漂ってくる。
「ああ……いい匂いっすね」
「ピエトロはだめだぞ。これは私とタニアさんのお昼なんだから」
「こんな匂いさせておいて殺生ですよ……」
器用にお腹を鳴らしてみせると、ピエトロはがっくりといった様子で目に見えて落ち込んだ。
はぁ、と落ち込んだ姿は、耳と尻尾を垂らす犬のようで、愛嬌がある。
といっても、別に意地悪をしているわけではない。
「まあ、ピエトロもすぐにお昼を届けてくれるだろう。……おっ、噂をすれば」
「彼女が来てくれたわよ」
「あいつはただの幼馴染で彼女なんかじゃ……」
こんにちはと大きな声で挨拶が聞こえた。
ひょっこりと玄関から姿を見せたのは、可愛らしい少女だ。
その姿を見た途端、ピエトロの背中が一瞬震えた。
「ピエトロくん、おべんと持ってきたよ」
「おう。ありがと」
「いっしょに食べよーね」
「ほら、サラちゃん、こっちのイスに座りなさいな」
ピエトロの隣のイスをタニアが叩き、サラが大きく頷くと、イスに座る。
サラとピエトロは親同士が決めた半許嫁の間柄にあたる。ちなみに父親は農夫のベルナルドだ。
あまりに相性が悪かったり、他に好いた者がいるならば、変更もされるが、その心配は恐らくない。
憮然とした表情をしているピエトロだが、よくよく観察してみると、不満というよりも照れくささによるものだと分かる。
弁当箱を開くと、中からは堅パンに干しブドウとクルミといった乾物が揃っている。
肉や卵がないのは、今日の献立の加減だろう。
エイジは初めての冬だったが、春から秋に比べ、冬の厳しさは歴然としたものがあった。
雪が積もることで狩りも頻度が下がり、村に行き渡るタンパク質の量が明らかに減少した。
冬の手前に作った多量のチーズやヨーグルト、干し肉やハム、ベーコンといった保存食や、収穫後ためていた麦が日に日に貯蔵庫から姿を消していくのだ。
家畜の増加を見込める畜舎の完成が待ち遠しかった。
「エイジさん、出来ましたよ。あーん」
「子どもたちの前で照れるな」
「あーん」
「あの、タニアさん?」
「……」
「あ、あーん。ほ、はふいな。ほふほふ」
「味の方は、ど、どうですか?」
不安そうに見上げてくる目が、キョトキョトと泳いでいた。
「美味しいですよ」
「ああ、良かった……!」
口の中でチーズがトロリととろける。
濃厚な味わいは、市販のチーズとは比べ物にならないほどにまろやかで、しかも味がしっかりとしている。
火の通ったタマネギはほんの少しのピリッとした刺激と、甘みがあり、オリーブオイルの滑らかさが加わってかなり美味しい。
色々とレシピを教えられてからも、毎日少しずつの創意工夫を欠かさないタニアだ。
いい嫁さんもらったよな。
恥ずかしさと嬉しさのお返しを込めて、エイジがピザを一枚取ると、あーん、とやり返す。
口が小さく開けられて、ピザの先だけをそっと咥える。
「ね、美味しいでしょ?」
「……恥ずかしくて味がわかりません」
「じゃあ、もう一度やってみよう」
「恥ずかしいです」
「大丈夫。一度やったんだから、一度も二度も変わらないよ」
「エ、エイジさん、イイ表情しすぎですっ!」
「そうかな。そうかもしれない。自分でも今の自分の状態がよく分からない」
目元が恥ずかしそうに細められていて、ついその表情が見たくて何度もピザを勧める。
イヤイヤするように首を横に振るが、許さなかった。
恥ずかしがる表情がタマラナイんだ。
一切れしっかりと最後まで食べさせる。
ううう、と嘘泣きで悲しみを表現するタニアの姿を見ながら、エイジは落ち着いて茶を飲む。
堪能した……。
リスみたいにはむはむと食べる姿はとてもかわいらしかった。
隣で同じように食事をしていたはずのピエトロとサラの手が止まっている。
「なあサラ」
「なにピエトロくん」
「新婚かもしれないけど、ふつー、子どもの横であんなにイチャつくか?」
「うらやましいの? わたしたちもやろうよ。はい、あーん!」
「違うから! そうじゃなくて、なんてゆーか親方のこれまでの尊敬とか、ぜんぶぶち壊しだってこと」
「仕事ができたらじゅうぶんだと、わたしは思うよ」
「そうなのかな……」
「そう思ったほうがシアワセだよ?」
「うぅ……俺は何を信じれば」
「それより、食べてくれないの? はい、あーん」
「お、おう」
親方の尊厳に思い悩む真面目な弟子の苦悩も、サラにはお構いなしだ。
子ども特有の本質を突いた発言に、ピエトロはより苦悩の質を深めてしまう。
その隙に繰り出した十やそこらとは思えない狙いすましたような上目遣いに、ピエトロは否応もなく受け入れるしかなかった。
親鳥が雛に餌を与えるように、次々と弁当の中身を与えていく。
吐き気を催すような甘い空間が、鉄臭い鍛冶場に広がっていた。
――その後、完成したミニチュアは無事玄関に飾られた。
それは無機質を感じさせる鉄の製品とは思えないほど、温かく、そして独り身を苛つかせる不思議な特性を持っていたという。
自分で書いていて痛切に思う。リア充爆発しろ!




