三話 材木
村の開発のために、村民がどのような生活をしていて、どんな道具を作れば良いのか。
そういった調査を始めるにあたってエイジが最初に出向いたのは、フィリッポのところだった。
フィリッポはタニアを除く、エイジの最初にして最大の協力者だ。
彼がいなければ炉を作れなかったし、鉄鉱石を見つける事も出来なかった。
そして、燃料の木材を集める事も大変だっただろう。
それは鍛冶師としての立場を得た今も変わらない。
できる限り力になりたい。
自分の技術も知識も、役に立てるはずだった。
エイジが気合を入れて伐採所に向かって川岸を登っていくと、空気が変わってくるのが分かる。
草の香りから森の香りへと変化し、虫の鳴き声や鳥の鳴き声、獣が茂みをかき分ける音が響く。
道の端には少しずつ草ではなく腐葉土のビロードが続くようになっていた。
坂を登り続けると体温が上がる。
毛皮の外套の下がわずかに汗ばみ、吐く息に白いものが交じる頃、ようやく目的地に着く。
納屋の前に前回と変わらず牛がいた。
大分肌寒い気温だというのに、変わらない様子で草を食んでいる。
つぶらな瞳がエイジを捉えて離さない。
少しも警戒していない。
人懐こい牛だ。
尻尾がぷらんぷらんと振られていた。
……そういえば最近ステーキを食べていないな。
エイジの目に熱々のステーキと牛の姿が重なった。
ビクリ、と牛が震えたのが分かった。
「ごめんごめん。食べるつもりはないよ」
「モー」
ビクビクと震えて後ずさる牛のすぐ前に立ち、エイジは納屋の様子を眺める。
幾つもの木材が納屋の中に桟積みされていた。
その横には枝打ちされた木が横倒しに積まれている。
辺りは木材独特の心地よい香りが漂ってくる。
大きく深呼吸すると、心が落ち着くようだった。
ガサガサッと草をかき分ける足音とともに、大きな物体が近寄ってくる。
最初、あまりの大きさに熊か、と一瞬構えるが、木々の間から見えたのは、鉈を腰に吊るし、斧を担いだフィリッポだった。
さらに腰には荒縄が括られ、その先には木が牽かれている。
「ひ、久しぶり」
「フィリッポさん、お久しぶり。すごい木の量ですね。伐り倒したばかりですか?」
「違う。三日前。それぐらい置いとくと、水気が抜けて軽くなる」
ガサガサ、と音とともに木がすべり、ゴロゴロと転がった。
一人で引っ張ってきたのか……。スゴイ足腰の力だ。
久しぶりに見たフィリッポは、相変わらずの大きさだった。
二メートル近い身長は、近くに立たれると思わず圧倒されてしまう存在感がある。
口元を覆うヒゲがもじゃもじゃと動きながら、フィリッポは口を開く。
「使う量が増えたから、寝かせておく時間が足りない」
「それは私のせいですよね。すみません」
「……いい。大丈夫。その分道具も良くなったから」
「あれから斧の使い心地はどうですか?」
「とてもいい。ただ、斜面を伐るのが少し不便」
「両刃じゃないですからね。今度作ります」
楽しみ、とこたえるフィリッポは、目を細めて笑顔を見せる。
威圧感が嘘のように消える素朴な笑みだった。
ずるいな。
こんな笑顔をされると、どんどん作ってあげたくなってしまうじゃないか。
職人だって人間だ。
常に全力とはいえ、ムラは出来る。
道具を純粋に評価してくれるものは少なく、それだけに、フィリッポの嬉しい反応には応えたくなる。
「今はどうやって木を切った後、加工しているんですかね」
「枝は斧で打って、皮を鎌で剥ぐ」
「木を分けるのは?」
「これ」
フィリッポが実際に動作をして見せる。
手に持っているのは木槌と、青銅の楔だった。
一つの皮を剥いだ丸太の前に立つと、フィリッポが慎重に木を観察する。一瞬にして空気が張り詰めた。
何を見ているんだろうか。
疑問に思うが、声をかけることはできない。フィリッポは全神経を丸太に向けている。
しばらく沈黙が続いた。丸太をくるくると回し、観察を続ける姿を見て、エイジも何を見ているのかようやく予想がついた。
木目を見ているのだ。
いわゆる年輪は全てが等間隔で走っているわけではない。物によってはねじれ偏り、蛇行しながら走っている。
丸太を片足にかけて固定すると、優しく楔を置く。
コンコンコン! 意外と素早い動きで浅く楔が打ち込まれる。
場所を変えて同じように数度、木槌の音が響く。
フィリッポは場所を確認すると、問題がなかったのか頷き、再び木槌を振るう。浅く入った楔を、深く打ち込んでいく。
半ば以上まで打ち込んだ後、フィリッポは丸太から離れた。
「これで一晩寝かせておく。放っておいたら勝手に割れる」
「断面が真っ直ぐ割れるんですか?」
「木によっては割れない」
「そういうのはどうするんですか?」
「できるだけ伐らない。切ってしまった時は短くして、まっすぐ採れるところと、採れないところを分ける」
「なるほど」
長年の熟練の技で、皮のある状態でもあるていど木目を想像できるのだろう。
エイジが丸太に近づいて楔を確認する。
気温差によって膨張した木が収縮することで、ある瞬間にバキリと割れるのだろう。割木工という技術だ。
楔の頭は度重なる殴打に耐え切れず、頭が潰れて角がささくれている。やわらかな青銅製の弊害だろう。
「親父は石を使ってた。俺の代になって、村が頼んで手に入れてくれた」
「石じゃあすぐに割れてしまうでしょうからねえ」
単純な形状で、かつ工程も数少なく済む。
これならすぐに作ることが出来るな。
負担をかけがちなフィリッポへの力添えとしてはやりやすいものだ。
後は鋸が必要だな。
楔を打ち込むものは、フィリッポの言うように木目が真っ直ぐなものに限ったほうが、効率がいいだろう。
だが、この方法は鋸に比べてわずか数分で済む。
木一本に鋸をかけていく時間を考えれば、材質に合わせてやり方を変える柔軟性が必要だろう。
大鋸と呼ばれる道具がある。木を伐り木材にする木挽職人の使う馬鹿でかいノコギリで、大きいものなら刃渡りが一メートルほどにもなる。
柄から刃が曲がり、への字をしている。
刃厚約三ミリ。重さ約四キロ。知らない人間が見れば誰もが驚くような鋸だ。
普通の鋸はフェルナンドに渡していたが、現在ではめったに見ない、もはや忘れられたような道具なだけに、エイジも実際の作業風景を見る今になるまで思い出すことができなかった。
だから見回らないといけないんだな。
ますます仕事風景を見学する意義を感じながら、エイジはフィリッポと道具の打ち合わせを行う。
ふと、フィリッポの視線がエイジから外れた。
一体何を見ているのかと思ったら、坂を下ったところから人が登ってくる。
距離が近づくに連れて、大工のフェルナンドだということが分かった。
「おう、エイジじゃないか」
「フェルナンドさん、珍しい場所で会いましたね」
「君が珍しいんだろう。僕はよく来るよ。ちょうどいい木材を調達するのに、選ばないといけないからね。今日も、君が言っていた畜舎の梁材と柱材になりそうなものを見繕いにきたんだ」
「ちなみにどの木にしようと思っているんですか?」
「オークだよ」
納屋に収められている木材の中でも、とびきり長いものだ。
よほどいい環境で育ったのか、まっすぐに育ったその木材は、とびきり美しい。
スゴイな。神々しささえ感じられるものだ。
エイジの知る時代ならばその希少性から保存されるかもしれない。
「これですか? ……大きいですね」
「ここまで育つのにどれぐらいかかるんだろうな」
「たぶん、三〇〇年ぐらい」
「スゴイですね。フェルナンドさん、このオークをどこに使うんですか?」
「梁だな。柱はそんなに高くなくて良いんだったな?」
「ええ。私の家ぐらいで充分ですよ」
「しかし村中の牛を一箇所に集めるのか……凄くデカイものになるな」
「木が必要なら、早めに言って欲しい」
「実際どれぐらいかかるものなんですか?」
「早くて半年。大体一年ぐらいから、長いと三年ぐらいかかる奴もある」
「大丈夫だよ。作るものに合わせて木を伐るんじゃなくて、僕が木にあった建物を造るからさ」
フェルナンドの言葉に職人の心意気が感じられる。
やや利に聡い男だけど、こういう所は格好いい。
いくら難しい注文をつけても、文句を言いながらだが、しっかりといい仕事を仕上げてくれる。
「それに鋸と鉋があれば、どんな木でもどんと来いだ」
フェルナンドの力強い言葉が、自分の作った道具によるものだと分かって、エイジは嬉しかった。
畜舎計画の第一歩。
梁材が決定した。
日本の木挽職人は全国で約十人。
六〇歳以上ばかりという超高齢職ですが、銘木を無駄にせず切れるのは、現代技術ではなく、この方達だけです。




