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青雲を駆ける  作者: 肥前文俊
第二章 農耕 交易編
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6話 行商人

 行商人の馬車は村の中央、村長の家の前に止まっていた。

 村長の家が特別大きいのは、外部から来た人間を迎えるためのものでもあるらしい。

 家の横に、村で飼っているものよりも一回りは大きい馬が、木に繋がれ、桶の水をガブガブと飲んでいた。

 近寄るエイジに気づくと、真っ直ぐな瞳を向けてくる。

 黒々とした目は大きく輝いていたが、圧迫感があった。

 エイジはこの村に来てからも、馬に触れ合ったことがなかった。

 果たしてこのまま近寄って大丈夫なんだろうか、と不安に感じる。


「あまり不用意に近づくと、蹴られるよ」


 エイジに声をかけたのは、大きな男だった。

 背は高くないが、全身が筋肉で太い。

 顔は四角く、髪が赤みのかかった茶、剛毛というに相応しく、短く刈り上げられた毛先が天に向かって尖っている。

 全体的に1つ1つのパーツが大きいのに、目だけが小さく笑うと筋のように細くなる。

 前腕と左の額にうっすらと切り傷があった。

 エイジが村で見たことがない顔だから、その男が行商人だということはすぐに解った。


「初めて見る顔だね。なにか欲しいものでもあるのかな?」

「色々と相談してみたいものがありまして」

「相談か、いいよ。詳しく聞かせてくれるかい」


 話してみると、言葉使いが軟らかく、声色はさらに優しかった。

 だが、優しいだけの人ならば、額に傷を作ることはないだろう。

 外見に相応しい凶暴性を見せることもあるはずだった。

 どのように話を切り出そうか、とエイジは考える。

 石鹸を最初から持ち出すのは、愚策かもしれない。

 村の外の情報を手に入れたかったが、石鹸の良さに気づいたら夢中になって流れる可能性がある。


「先に自己紹介をさせていただきます。この村で鍛冶師を始めた、エイジといいます」

「ご丁寧にありがとう。俺はジャン。見ての通りこの馬車で行商人をやってる。この村が急に鍬とかを買わなくなったのは、兄ちゃんのせいだったんだな」

「まだまだ未熟で、せっかく作ったのも殆ど修理が必要になりましたが」

「なに。それは経験でなんとかなるだろ。そういう奴がいるっていうことが大切だと、俺は思うぜ。だから鉄なんて脆いもんに挑戦せず、ちゃんと青銅を使っておきな」


 青銅ではなく、鉄を扱っているという事に気付かれているのは、冷や汗が出るぐらいの衝撃だったが、ジャンはエイジの未熟という発言を信じたようだった。

 うんうん、と深く頷くと、失敗は成長の糧だと、アドバイスをくれるぐらいだった。


「それでですね、私はこの村に来て間がないので、周囲の様子とかがあまり分からないんですが、ジャンさんは行商で、どれぐらいの村を回っているんですか?」

「俺か。俺はこの島の村には全部回っている――」

「島、島なんですか?」

「ん? ああ。俺は村には何泊かするが、ぐるっと1周するのに大体3ヶ月ぐらいかかるが、それぐらいでまわれるくらいの島だぞ」

「……回ってる村の数はどれぐらいですか?」

「30ぐらいかな?」

「この村はどれぐらいの規模ですか?」

「やや大きいぐらいだな。小さいところだと50人ぐらいでやりくりしてる集落もあるぞ」

「大きいところだと?」

「一番大きい領主の村だと、400人ぐらいかな」


 ジャンの言葉が重なるに連れて、エイジは自分の予想が現実と大きく離れていくのを感じた。

 この村は陸続きになっていて他の国と交易がある、そんな地理をエイジは考えていた。

 道路の舗装がされていないから、1日に一体どれだけ移動できるのか、単純には測れないが、無茶苦茶に広い島ではないだろう。そして人口はかなり少ないのが分かる。

 エイジのいる村の人口が約250人。それが平均より多いならば、200人前後。30の村があっても、わずか6000人だ。

 頭がクラクラとして、視界に星が混ざる。

 自然と息が詰まった。


「おい、大丈夫か? 酷い顔色だぞ」

「いえ、大丈夫です」


 指摘されて我に返る。

 むりやり深呼吸して、気を落ち着かせる。

 急激な発展は絶対に望めないとはいえ、自身の技術が大きな問題になる可能性も下がったはずだ。

 外部に漏れる可能性は減るから、島で技術を独占すればいい。

 積極的にポジティブな思考へと切り替える。

 状況を受け入れて一生を過ごすならば、考え方次第では充分に好条件だ。


「村のフェルナンデスさんが、海向こうから人が来ると言っていましたが、どこかの国と交易をしているんですね?」

「うん……? いや、この地にそんな相手はいないぞ。それは流れ人だな。海に流されてきた奴の事だろう。そもそも海を見渡しても、他の島とかは見えないからなあ」

「そうなんですか……孤島か」

「おう、そうゆうことだ。で、村の間をつなぐのが、俺の仕事ってわけだ」


 ジャンが自分の腕をパシンと叩く。歯を見せる満面の笑みは、仕事への誇りだろう。

 確かに、海路の交易が無い以上、行商人の役割は非常に大きい。


「とりあえず知りたいことは分かりました。ありがとうございます」

「構わねえよ。で、なにか買うものは決まったか?」

「ああ、そうでしたね。食用油と布はありますか?」

「油はマカダミアオイルがあるぞ。布は目が細かくて上質だ。何と交換する」

「布を見せてもらっていいですか?」

「おう。ちょっと待ってろ」


 ジャンが村長の家に入ると、布を手に持って、出てきた。

 言うだけあって丁寧に作られているのが分かる。

 だが、水洗いしかされていないためか、小さな汚れがある。

 エイジは石鹸の入った壺を取り出す。


「なんだそれは」

「石鹸といいます」

「白くて……ヌルっとしてるな。何に使うんだ?」

「汚れを落とします。この布、少し汚れていますよね」

「まあな。きっちりと洗ってもらっちゃいるが、道中で埃がついたりも、やっぱりする」

「一枚だけ貸して頂いても?」

「ああ。そりゃ構わないが」

「こうして水に浸した後、布に石鹸を塗りつけて擦ると。……どうです?」

「こ、こりゃあ! 汚れの落ち方が全然違うじゃねえか。な、何だコレは!」

「石鹸です」

「名前はさっき聞いたよ! どうやって作るんだ! コレだけしかないのか!?」


 ジャンが驚きながら、エイジに詰め寄る。

 手に持った布の一方は、綺麗に汚れが落ちている。

 もう一方は普通の汚れは落ちているが、油分を含む汚れはそのままだった。


「作り方は言えませんよ。量は龜に10個以上ありますね。ただ、常時は作れません」

「何か季節が関係する材料なんだな?」

「……まあ、そういう事です」


 全く未知のものに触れて驚きながらも、会話から一瞬にして鋭い推察をしてくる。

 エイジはあまり余計なことは言えないな、と言葉を選ぶ。


「でも、この石鹸のスゴイところはそれだけじゃ無いんですけどね」

「何だ!?」

「これで頻繁に服や体を洗うようになると、シラミが減ります。ダニやノミは家畜がいる以上減りませんが、シラミの痒みとはサヨナラです」

「おい……」

「はい?」

「いくらで譲ってくれる」


 ジャンの目は真剣だった。

 石鹸を利用した商売が今も数多く思い浮かんでいるのだろう。

 儲けを前にした商人の目は、冷静でありながらも、欲望にギラついていた。

 安売りするつもりはなかった。

 自分以外にはピエトロしか作れないのだ。

 貴重な物の値は釣り上げるに限る。


「これぐらいでどうだ!」

「話になりません」

「これじゃあ!?」

「足りない足りない」

「これでどうだ!」

「貴方自身がこれで足りると思っていますか?」

「もう鼻血も出んぞ!!」

「もう一声!」

「えーい! これで良いだろう! どうだ、満足か!」

「はい。ではこれで」

「まったく……交渉の上手いやつだ」


 フゥフゥと荒い息をつくジャンと、ほくほく顔のエイジ。

 馬車の積荷のかなりの品が、交換の条件に出された。

 綿の布や毛糸といった物から、宝石や金や銀といった貴金属に、油、塩、干し肉といった食料など、多岐にわたる。

 これで冬を越すのが非常に容易になって、それどころか多数の蓄えも出来た。

 いくらか村に渡したとしても有り余る。


 だが、ジャンにはそれでもなお儲けがあるからこそ、交換に応じたのだろう。

 石鹸を一体どのように儲けにつなげるのか、エイジには興味深かった。


「ああ、それと」

「なんだ。これ以上は付けられんぞ」

「いえいえ。今後ですね、他の村で食事のあとに出る廃油なんかを溜めていて貰って、ここに運んでもらえると、ジャンさんも喜ぶことになるかもしれません」

「ほう……良し、分かった。約束しよう」


 商談は握手とともに締結された。

 こうして、予想だにしない騒動の幕開けが開始されることになった。

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