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青雲を駆ける  作者: 肥前文俊
第七章 結婚披露宴
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間話 研ぎの仕事

 ある日のことだ。

 エイジは弟子たちを集めて、改めて、刃物の研ぎについて講義を行っていた。

 日本では鍛冶師と研師は分業制になっていることが多いが、欧米では鍛冶師が行うケースが多い。

 エイジも職人としては、研ぎも充分な技量を持っていた。

 だが研ぎの仕事は“穴掘り三年、鋸五年、墨かけ八年、研ぎ一生”と言うぐらいには、奥深い仕事だ。

 そのため、エイジもその深奥までを教示することはできない。


 エイジたちの鍛冶場には、水力を利用した回転砥石が設置されている。

 回転砥石には縦に回転するものと、横に回転するものがあるが、ここでは縦型を使っていた。


 水車がギィギィと音を立てて回り始めると、その動力が伝わって、砥石が回り始めた。

 出来上がって研ぎをしていない庖丁を一振り持つと、エイジは弟子たちを見回す。

 ピエトロ、ダンテ、カタリーナの三人が真剣にエイジを見つめていた。

 エイジは親方としては指導をする方だが、やはり直接教えを受ける機会は限られる。

 毎日こなすべき仕事が多すぎるためだ。


「砥石を回したら、表面に水を少量流します。これはまあ、皆やってるよね?」

「もちろんっす」

「じゃあピエトロ、どうして水を流すと思う?」

「えっと……たしか。砥石に溶けた小さな粒が、研ぎに必要だからっすね!」


 少しだけ言葉に詰まったピエトロだったが、記憶を探り当てたのか、元気に回答する。

 理屈もちゃんと理解しているみたいだな。


「じゃあ他には何があったかな?」

「ええっ!? ……スミマセン。分からないっす」

「カタリーナとダンテはどうだろう?」


 エイジはピエトロの理解度を把握すると、次に残り二人へと回答を促す。

 ギクッと顔を強張らせたところを見ると、二人共自信はないみたいだ。

 やれやれ、と呆れを滲ませながらも、怒りはしない。

 手間ではあるが何度でも教えればいい話だ。

 ふとエイジは砥石を確認すると、ピエトロに指示を出した。


「ちょっとまって。回転砥石の速度はもう少し落とそうか」

「わ、分かりました……。でもどうしてっすか?」

「砥石の速度が上がりすぎると、刃物が熱を持つだろう? そうすると、鉄の組成構造が変わって焼きが戻ってしまうんだよ」

「あ……なるほどっす」

「だから砥石には少しだけいつも水を垂らしているのも、砥ぎが入りやすくするためだけじゃなくて、熱を抑えて、刃物の硬さを保つ役割もあるんだよ」


 海外で火花を散らせながら研ぐというのは、刃のことを考えると、最善とは言えない方法だ。


 水車からの動力は、貯める水の量や歯車を組み替えることで、力の伝わり方を調整できるようになっていた。

 回転砥石の速度が少し落ちる。

 速度を目で確かめると、エイジは庖丁を構えた。


「よし、じゃあ研ぎについては、荒砥(あらとぎ)(なか)砥、仕上砥の三工程があります。これはまだまったく刃をつけてないから、荒砥からだね」


 エイジは庖丁の柄と峰を持つと、刃先から刃元までを順番に当てていく。

 水しぶきがわずかに上がり、砥石と触れ合う振動や軽い衝撃が手に伝わる。

 砥石と庖丁との角度が大切だ。


 素人が間違えやすいのが、刃を立てすぎてしまうことだ。

 鉛筆削りを想像すると分かるが、細く長く削った状態は、比較的長く細さを保てる。

 先を短く削れば、すぐに先が太くなってしまう。

 刃を寝かせて、使っていてもできるだけ切れ味が保てるようにするのがコツだった。


 砥石と金属が触れ合うことで、表面が少しずつ削れていく。

 刃の状態を、目と手で読み取ると、エイジはスッと砥石から手を離した。


「これが荒砥だね。まあ、実務は皆してるから、問題ないとは思うけど」


 弟子の中では、砥ぎはカタリーナが一番上手だ。

 刃について繊細な感覚を持っていて、まず間違いない仕上がりをしてくれる。

 逆にまだまだ上達の余地があるピエトロとダンテは、必死な視線を向けていた。

 エイジが刃のつき方を指で触って確認していると、不思議に思ったのか、ダンテが尋ねた。


「なぜ刃物の裏を指で触るんだ? そんなところを触って意味があるのか?」

「これは片方からばかり研いでると、刃が逆側に反って毛羽立ってしまうんだ」

「へぇ!」

「庖丁の裏を、峰から歯の方に指を滑らせてごらん?」

「おっ、本当だ。ザラザラチクチクって引っかかりやがる!」

「ちょ、俺も触らせるっす」

「ほら、怪我するよ。順番に触ればいいから」


 学習意欲が高いのにも困りものだ。

 エイジは苦笑いをしながら、庖丁が手元に戻ってくるのを待つ。

 そして、回転砥石を止めると、角砥石(置く砥石)へと移動する。

 水を吸わせてしっとりとした中砥石を、滑らないように固定すると、エイジは再び庖丁を構える。

 刃先の方に指を当て、庖丁は十円玉一枚分ほど浮かせる。

 シャッシャッシャッ、と素早く手が前後に動く。


「おおっ! は、早え!」

「す、凄いっす!」

「私とぜんぜん違う……」

「正確性と速さと両方が必要ですよ。まあ、最初は正確性を、慣れてきたら速度を上げていきましょう」


 片面を研ぎ終えると、エイジは再び(かえ)りを確認し、庖丁の裏面を軽く研ぐことで、反りを無くす。

 普段遣いであれば、中研ぎまでで、仕事は充分だ。

 もちろん仕上げ研ぎまでしたほうが見た目にも切れ味にも優れるが、手間もかかってしまう。

 どちらを優先するかは、人によって異なるところだろう。

 エイジは指導という意味でも、商品価値という意味でも、仕上げ研ぎまでしっかりと仕上げる派だ。


 荒砥石や中砥石と比べると、仕上げ砥石は格段に滑りがいい。

 ツルツルと表面が滑り、光沢のある大理石のような、あるいは陶器のような手触りだと言う人も多い。

 仕上げ砥石は、文字通り仕上げであるから、中砥石で充分な形作りと研ぎができていないと、労力の割に効果が上がらないので、充分な下準備が必要になる作業だ。


「研ぎのコツは、真っすぐ行ってまっすぐ戻ってくること。一定の動きを、一定のリズムで。変に力が入ると、かえって上手くいかないから、気をつけること」

「分かりました。いやあ、やっぱりエイジさんは流石ですねえ」

「褒めたって何も出ないぞ」

「ンフフ。でも尊敬しているのは本当ですから」


 カタリーナの言葉に、エイジはわずかに照れながらも、手だけは別の生き物のように、正確に作業を反復した。

 そして手を止めたときには、庖丁は完全な仕上がりになっていた。

 最高の庖丁を最高の研ぎで仕上げると、冗談や比喩抜きで俎板(まないた)をスパンと切ることができる。


「さあ完成だ」

「勉強になったっす! 親方、俺もこのあとやっていいっすか?」

「へへ、俺様もやってやるぜ」

「ちょっと、二人共まだ終わりじゃないですよ」


 やる気を見せている二人に、カタリーナが声をかけた。

 ぽかんとした表情を浮かべたピエトロとダンテの二人に対して、カタリーナが眉を下げて困った表情を見せた。

 この姿を見る限り、最後の片付けはいつもカタリーナが担当していたのだろうな、と分かった。


「砥石は使ったら減っていくだろう? だから使い終わったら、都度都度平らに均すのが大切なんだよ」

「そ、そうだったんすか!?」

「へへ、お、俺様は知ってたけどな。ほほほ、本当だぜ。し、信じろよな!」


 ダンテの声が震えている。

 あまりにも分かりやすい吃り方に、エイジだけではなくカタリーナも思わず笑ってしまった。


「お、おい! 何笑ってるんだよ! 俺様は本当に知ってたんだぞ!」

「ふふふ。じゃあ名誉挽回に質問しようか。どうやって砥石を均すんだい?」

「ええええええ! そ、それはほら、アレだよアレ(・・)! アレをこーしてだな……」

「アレじゃ分からないよ。砥石を何で均すって?」


 カタリーナがコソコソと背後で身を縮めながら、砥石を示すのが分かった。

 ダラダラと汗を掻いていたダンテが、そのアドバイスにハッと気付くと、途端に表情に喜色を浮かべる。

 まったく、分かりやすすぎる……。


「砥石だよ! 砥石で砥石を磨くんだ!」

「正解……。今度からは手助けなしで答えられるようにな」

「へ、へへへ……。何のことやら」


 意地を張り続けるダンテに、エイジだけでなくピエトロもカタリーナも、大きな声で笑い声を上げる。

 大きな音にいつも包まれる鍛冶場が、今ばかりは笑声に満たされた。

間話で鍛冶についてメインに取り扱いあと3話ぐらい。

次章は土木について触れていく予定です。

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― 新着の感想 ―
[良い点] とても面白かったです。 鍛冶に関する描写を読者に心地よく興味深く読ませていただきました。 [気になる点] 今後の展開がとてもとても気になります! フランの水に流す言葉の意味がわからなかっ…
[良い点] ついに最新話に追いついてしまいました。 続きを楽しみに待ってます!
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