間話 軟らかい鋼と硬い鋼
カンカンと金槌の叩く音が響く。
鍛冶場の熱のこもった空間に、鉄の金属音はどこまでも響き続けた。
やかましくも、もはや耳になれた音。
この音が聞こえないと、ピエトロはどこか気持ちが落ち着かない。
もはや日常の一風景となっていた。
鍛冶場はどことなく薄暗い。
採光窓は小さく、パチパチと炭の炎がぼんやりと周囲を照らしている。
暗さを保っているのは、金属の色の変化を見極めるためだ。
温度が高くなれば赤白色に。
落ちていけば橙色になっていく。
その微妙な色合いの変化で、鉄の温度を見計らう。
温度が高すぎると鉄に含まれた炭素が抜け出て、鉄が軟くなってしまうのだ。
小槌を持って指示を出しているのが、親方のエイジ。
そして、大鎚を持っているのが弟子のピエトロとダンテだった。
「次ここっ」
「はい!」
「うっす!」
「もっとコッチに延ばして! 早く!」
エイジからの指示は手短で、素早く厳しい。
ゆっくりとした作業では鉄が冷めてしまうためだ。
キツイ言葉を投げかけることはないが、毎回的確な指摘を受けるため、ピエトロは一時も油断できなかった。
大鎚を振り上げ、反動をつけて振り下ろす。
小槌を叩いて指示された場所に、ダンテとタイミングを合わせて、ぶつからないようにリズミカルに。
カンカンと、そしてガンガンと。
大鎚を振るうのは、とても体力がいる。
ふうふうと息が上がり、汗が吹き出る。
熱に煽られて、その汗がまたたく間に乾き、また次の汗で濡れていく。
一日に三リットル以上は水を飲む。汗のために塩も舐める。
エイジのもとに弟子入りして、随分と時間が経った。
最初の頃は夜になればくたくたになって食事も喉を通らないほどに疲労していたものだ。
近頃は体もできあがり、またリズムや反動を使って上手く振るえるようになった。
きりの良いところまで作業を終えて、エイジがピエトロに話しかけた。
厳しい表情はすぐに鳴りを潜めて、柔和な笑みを浮かべている。
「だいぶピエトロも慣れたね。大鎚を振るう姿が様になってる」
「ありがとうございます」
「自分で作る方も、ちょっとは慣れてきたかい?」
「そうっすね……。まだまだっすけど、やればやるほど、どこをどうしたら良いのか、毎回気づきがあるっす」
「良いことだよ。炭も鉄ももっと余裕があれば、さらに練習できるんだけど、こればっかりはね」
エイジがちらっと視線を向ける。
鍛冶場に積まれた鉄と炭の量は、それほど多くはない。
「俺様ももっと練習したいぜ」
「そうだよねえ。そういえば村の木樵が増えるらしいから、もうちょっとすれば、できることも増えるかもしれないね」
「やったっすね!」
エイジの発言に、自然と笑みがこぼれた。
鍛冶師は自分で打ってこそ経験を積める、というところがある。
だが、鉄も炭もとても貴重だ。
エイジが修繕し続けている製鉄炉は、かなり高性能だったが、それでも歩留まりはまだまだ改善の余地が大いにあった。
普段は商品用として素材を使い、時折練習に分けてもらう。
これが弟子としての基本的な流れになった。
自分で叩けないなら、人が叩いているのを見るしかない。
いわゆる見取り稽古というやつだ。
エイジの叩く場所を指示する判断はどこにあるのか、鉄の温度がいつぐらいになれば、どんな指示が飛んでくるのか。
ピエトロは近ごろは、そんなところまで気にすることができるほど、ある程度の余裕ができていた。
ピエトロには近ごろ、疑問があった。
エイジが精錬した鉄の塊を、どうにも選別しているように思えたからだ。
今、ピエトロは倉庫に眠る鉄を見比べていた。
精錬した鋼鉄の塊がゴロゴロと転がり、積まれている。
使うときに利用しやすいよう、軟鉄と鋼鉄に分類されているのだ。
軟鉄と鋼鉄の見分けは、ピエトロにもできる。
叩いた際の音の柔らかさであったり、重さであったりと、ある程度の感覚的な違いを掴めるのだ。
だが、エイジの分類は更に細かい。
地金と刃金といった軟鉄と鋼鉄の使い分けだけではない。
鋼の中でも、さらに細やかな分類をしているように、ピエトロには見えた。
同じ鋼の中でも、なんとも言えない微妙な差があるのだろうか。
ピエトロが手に取り、どれだけ眺めても、鉄の違いは分からなかった。
ある客にはこの鉄を、そして特定の客の注文には、この鉄を。
そういった使い分けをしているようなのだ。
「ピエトロ……? どうしたんだい、こんな時間に」
「お、親方っ!? す、すみませんっす。ちょっと気になって」
「別に盗ったりするとも思ってないから、見るのは構わないけど。差し障りがなければ聞くよ?」
「うっす……。その、親方が鉄を選ってるように見えたんす」
「おっ、そこに気づいたか。やるなあ。さすが一番弟子だ」
「でぇへへ……。いやあ、それほどでもないっすよ」
褒められたピエトロの顔が自然とニヤける。
顔を引き締めようと思っても、勝手に口角が上がってしまう。
エイジのことは誰よりも信頼している。
実力は確かで、お世辞を言うようなタイプの人間ではない。
だからこそ、そのエイジから褒められるのは、とても嬉しかった。
が、ふとそんな場合ではないことに気づいた。
うまく話をはぐらかされてる気がしたのだ。
「じゃなくってですね!」
「分かった分かった。そんな顔を近づけなくてもちゃんと教えるよ」
ピエトロの気迫に負けたと両手を上げて降参を示したエイジは、倉庫の一角を指差した。
そこには、エイジが見本用として、あるいは比較用として並べた鉄がある。
エイジは何かと見本を作ることをする。
道具一つ、素材一つでも、いつでも見比べられるように、弟子たちが比較できるように、と並べているのだ。
教材がないからね、とかつて呟いていたのを、ピエトロは耳にしたことがある。
「同じように鉄鉱石を精錬しても、毎回ほんの少しずつ、成分は違うんだ」
「やっぱり……。それで選り分けてたんすね?」
「良い鉄は違いの分かる注文主に使ってもらわないと、価値がないだろう?」
「鍬一つでも、いい加減な使い方をする人もいるっすからね」
力ずくで叩きつける使い手と、刃物をよく理解して、刃を上手に立てて使う使い手とでは、保ちがまったく違ってくる。
一つ作るにも大変な労力がかかるからこそ、大切に扱ってほしいものだ。
エイジの説明が始まった。
軟鉄と鋼鉄の違いは、基本的には炭素成分の量で決まる。
炭素が少なければ軟らかく、多ければ硬くなる。
非常に多ければとてつもなく硬くなるが、同時にとても脆くなる。
刃が欠ければ切れ味は鈍るから、硬ければ良いというものではない。
「欠けたら研ぐのも大変っすもんね」
「折れたりしたら怪我の元だし、やっぱり悪鉄はダメだね」
「同じ炭素量でも、他の金属成分によって、切れ味や長切れ、脆さも変わってくるんだ。有害元素としては、特にリンと硫黄が厄介かなあ」
一番厄介なのは硫黄だという。
炭素濃度が低い軟らかい鉄でさえも、欠けやすくなる、とエイジは顔を歪ませた。
「これが硫黄成分が多い鉄。叩くからよく見てて」
「うわっ、ボロボロっすね。っていうか、鉄も穴が多いんすね」
見本用の鉄をガンガンと叩くと、ポロリと欠けてしまうのが、実際に見えた。
こんなにも脆いのか、と思うと、とても刃物で使えないのが分かった。
石炭での精錬では硫黄成分が多くなるため、昔は錬鉄で上質な鉄を得るのは難しかったのだ。
エイジたちは今は木炭で製鉄を行っている。
温度は上げづらいが、上質な鉄ができやすいのだという。
その分木を使う量はものすごく増えてしまい、製造費用の半分が鉄ではなく木で使われてしまう。
交換比率の高い高級品として売り出さなければ、とても元が取れない、とエイジは愚痴った。
ピエトロはエイジの言っている内容にはところどころ理解が及ばないまでも、すべてをしっかりと聞いていた。
いつかどこかで、役に立つかもしれない。
とくにピエトロが独立すれば。
エイジの身に何かがあれば。
「マンガン、モリブデン、ニッケル、ケイ素、タングステン、クロム、銅、コバルト、チタニウム……この辺りは、錆びに強くなったり、靭性が強くなったり、鉄に良い成分だね」
「ちょ、ちょっと待って下さいっす。もういちど説明をお願いするっす」
「ああ、ごめんごめん。また自分ひとりで喋っちゃったな。悪い癖だ」
話し始めると途端にやや早口になるエイジの説明を咀嚼するのは大変だった。
エイジはとても頭がよく、ピエトロからすれば抜群の記憶力をしている。
一体どこでこんな知識を得たのかと、不思議になる人物だった。
普段は口数が少ないのに、話し始めると途端に爆発的にしゃべるのも、エイジの特徴だ。
「こういった物質を、精錬のときに上手く調整できるように、いま試行錯誤してるんだ」
「そ、そんなのどうやって分かるんすか?」
ピエトロは大いに疑問だった。
エイジの言う成分的に良いとされる物があるのは分かった。
でも、一体どこから調達し、調整すれば良いのか分からなければ意味がない。
だが、そんなピエトロの懸念は、すでにエイジは通った道だったのだ。
軽くうなずくと、その解決策を教えてくれた。
「行商人のジャンさんに色々と取引をお願いしているんだよ。島中のいろいろな石や金属を集めてもらってる」
「あれは……ガラクタじゃなかったんすね」
「違うよ! まったく失礼な。私はそんなに考えなしじゃないよ」
「すみません。変わった趣味をしてるなあって思ってたっす」
腹立たしそうにエイジは言うが、ピエトロは知っているのだ。
妻のタニアのためなら、とても貴重な蜂蜜や果物、櫛や布には手間暇を惜しまないのだということを。
きっと製鉄だけじゃなくて、宝石を加工してタニアに渡しているに違いない。
だからだろうか、ピエトロの視線は、今ばかりはじっとりとしたものになった。
「あとは……これは賭けなんだけど、いろいろなものを混ぜて融かしてみて、違いを検討するしかないんだよね」
「気の遠くなる話っすね」
「まあね。そういう鉄の精製を少しでも効率よくするために、錬金術師って職業もあったみたい」
「へえ、そういう仕事もあるんすか?」
「まあ錬金術師はそれだけが研究範囲じゃないけど。薬学や天文学とか、いろいろ研究してたみたいだし」
「まるでエイジ親方みたいな人たちっすね」
「ええっ!? それは違う……違わない……? うわっ、やってることはだいたい一緒だ。なんてことだ」
日々怪しげなものを開発して、村中を驚かせているエイジは、その自覚がなかったらしい。
なんてことだ、と繰り返し、ついには頭を抱えてしまった。
まだまだ鉄のことを理解しきったとは言えないまでも、少しだけ鉄が分かった気になったピエトロだった。