一六話 犯人の行方
エイジの前に人が並んでいる。
一人ひとりの顔は、困惑気に歪んでいる。
そこにはエイジから見る限りは、恐怖や強い不安を感じさせるものはなかった。
いや、もしかしたら疑われていることに対しては、ある程度不安に感じているかもしれない。
だが、自分が追い詰められているという様子は窺えなかった。
さて、この中に犯人はいるのだろうか。
ペロリ、とエイジが乾いた唇を舐める。
エイジはもちろん被害者であるが、取り調べを行う以上、ある程度の根拠は求められる。
エイジは差し出された木靴に目を向けた。
これこそが犯人を特定する証拠だ。
青銅器時代における履物は、文化の未熟さによって種類が限られている。
現代のように多種多様な履物が望めるような多様性はない。
シエナ村においても、住民のなかでもっとも多いのは裸足だった。
足裏は固く鍛えられ、ガチガチになっている。
それでも未舗装の道は砂利から鋭い小石によって、素早く歩くことは難しい。
時には足裏を切ってしまうこともあるだろう。
次に多いのがサンダルだった。
足の甲を覆わない革製のサンダルは、足裏の部分に無数の鋲を打ち付けることで強度を高めたり、硬度を高めて耐久性や歩くスピードを高めてくれる。
かつてローマ軍の進軍速度が異常に速かった理由のひとつに、この特製サンダルを軍の装備品としていたからとも言われている。
甲を覆わないことで消費量を抑え、また見栄え重視でないことから、比較的普及していた。
シエナ村は牧羊も盛んで、狩人のマイクの存在もあることから分かるように、皮革産業が盛んだ。
タンニン鞣を自力で開発してしまうぐらいには、マイクは優秀だった。
エイジも自分の履いていた現代のシューズがダメになってからは、このサンダルを愛用している。
冬は身を切るような寒さに襲われるため、羊毛の靴下が欠かせないことが難点だった。
このサンダルこそが犯人を見つけ出す証拠になる。
サンダルの裏に強度を増すために打ち込まれた鋲は、制作者によって大きな差異が生まれるためだ。
エイジは残った足跡と鋲の位置を一つずつ確認していった。
だが――。
「……該当する足跡がありませんね……」
「おいおい、一体どういうことだ?」
「これだけ調べさせておいて、誰でもありませんでした、ってのはなしだろ」
イライラとした様子の村長たちの鋭い視線が投げかけられるが、エイジは落ち着いたものだった。
ふうむ、とエイジはため息をついて、ガリガリと頭をかいた。
捜査を行って犯人が出てこない可能性は、エイジも危惧していた。
捜査方法が予測されていたという線は少ないだろう。
この島の人達は賢い人は本当に賢い。
だが、そうでない人たちは、まともな教育を受けていないから、論理思考力が低い。
日本でもお裁きは杜撰だったなどと悪名高いが、科学が発達していない時代なら、それも当然のことだ。
指導者層はともかく、実行犯はそこまで知恵が回らないはずだった。
頭の良い指導者層でも、エイジほどの基礎となる知識がない。
足跡ぐらいは気にするかもしれないが、これを操作しようとする人間がどれほどいるか。
それならば、犯人をとっととこの場から逃してしまって靴を処分したほうが早い。
「みなさんが実行犯でないことは、これで分かりました」
「じゃあ誰が犯人だったんだ?」
「さて、昨夜のうちか、明朝のうちにこの村をこそこそと隠れて逃げ帰った人間がいるんでしょう」
「ふむ。確かに遠方から訪れた客はいくらか先に帰っているな。辻褄は合う」
エイジの発言にフランコが納得を示す。
同時に周りで騒いでいた村長たちも、チラチラと視線を交わし合い始めた。
エイジからすれば顔を知らない存在でも、隣同士ならばよく知った仲だろう。
先に帰っている村人の存在にも気づいている可能性が高い。
「……何人か怪しそうな人がいるな」
「気付きましたか」
「うむ。怪しい人間については後で名を教える。今後、しばらくは村から交易に出す量は控えよ。こちらでそれとなく確認しておく」
「分かりました」
小さな声で相談を交わす。
今回の件は領主側としてはなんとしてでも犯人を捕まえておきたい動機がある。
エイジとしても、荒らした人間を許すつもりはない。
泣き寝入りする必要がないとすれば、ぜひにでも捕らえてもらいたかった。
「ひとまず諸君らが直接の犯人ではないことは証明された。協力に感謝する。エイジの方から土産を貰っていってくれ」
「ありがとうございました」
「今後も調査は継続していくことになるが、そのときは協力を惜しまないように。情報の提供も受け付けているぞ」
フランコの発言に、場が再び騒然とした。
こうして捜査に協力された上で、犯人が見つからなかったのだ。
不満も高まるというものだろう。
だからだろう、フランコは即座に釘を差すことを忘れなかった。
「君たちが容疑者でないことが明らかになっただけで、犯人自体は依然としているんだ。この件について、これ以上こちらから謝罪はない。被害にあったエイジが手土産を出しているんだ、納得して欲しい」
「私としては、せっかくの舞台が台無しにされて、非常に腹立たしい気持ちです」
エイジが内心を吐露すると、それ以上の声は出なかった。
一番の被害者が誰かは明らかなのだ。
それ以上の反対の声は上がらなかった。
ある意味では当然のことだ。
エイジとしてはなんとかして犯人を捕まえたいが、この場にいないのならば仕方がない。
捜査についてはフランコたちに任せ、気持ちを切り替えるしかなかった。
◯
一番傷ついたのは、タニアだったに違いない。
それでも、彼女は気丈な態度を崩さなかった。
泣き言を言わず、ぐっと堪えている。
いじましいまでの態度だった。
きっと村長候補として指導されたことで、このあたりの政治感覚については厳しく育てられたのだろう。
エイジとしては自分が少しばかり目立ったために、こうして被害を受けることになって申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
「タニアさん、ごめんなさい。私がしっかりしていないばかりに」
「エイジさんはけっして悪いわけじゃありません。謝らないでください。悪いのは泥棒のほうです」
「でも……」
「でもはなしです。エイジさんが無事だったら、私は怖くありません。エイジさんならきっと、盗られた物以上のものを、造ってしまうんでしょう?」
「そうですね……。うん、そうだ!」
「そうです、それでこそ私の旦那様です」
「ありがとう。おかげで元気が出たよ」
嫌がらせなのか、鍛冶について探ろうとしていたのか、その意図は結局のところ分からず終いだ。
だが、もうそれでいい。
次からは人を呼ぶときには警備を強化して、再発を防止する。
そして盗られた以上のものを造って、被害の意味を最小化する。
これ以上の対策は考えられない。
後のことは領主にまかせて、エイジはできる限り、今に集中すべきだった。
良い妻を持った、と心から思った。
助けてもらってばかりで心苦しいぐらいだ。
近々なにか恩返しができたら良いな、とエイジは思った。
とりあえず今回で披露宴パートは終わりです。
悪役が裁かれるスカッとするシーンはまた後日、その場面を設けます。
これからしばらくは鍛冶物らしく、鍛冶のお話がいくつか続きます。