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青雲を駆ける  作者: 肥前文俊
第七章 結婚披露宴
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九話下 とっても美味しいお菓子づくり

 いよいよお菓子作りも佳境に入る。

 エイジの指示に従って、タニアがボウルにバターを入れた。

 最初の工程は、ホイッパーでバターを混ぜることだ。


「良いですか、作り方はとてもシンプルです。まず最初に、バターをこねます」

「よいしょ、よいしょっ。こねこねー」

「……あんた、もうちょっと落ち着きなよ」

「え、なんですかジェーンさん」

「……もう良いさ。頑張ってこねな」

「はい!」


 これで本当に一児の母だろうか。

 楽しそうに笑いながらホイッパーでボウルのバターを混ぜるタニアの姿に、エイジも、ジェーンと同じく呆れてしまう。

 しかし、呆れながらも可愛らしいと思ってしまうのは、自分がタニアに魅了されているからなのだろう。

 ある程度混ざったら、そこに甜菜糖を入れる。


「おっ、さっそく言ってた砂糖を入れるのか」

「ええ。バターが白っぽく色が変わるくらいまで、しっかりと混ぜ合わせます」

「こねこねー……って結構これしんどいですね」

「お菓子作りは体力がいりますからねえ」


 パティシエはよく腱鞘炎になるらしい。

 華やかな女性の仕事とイメージを持たれているが、実際には肉体労働が中心だ。

 試食でカロリーオーバーになりやすいし、激務でもあり、華やかな表と違い、裏には厳しく地道な現実が待っている。

 とはいえ、タニアも機械のない生活で鍛えられた身だ。

 疲れを感じるのは、ただ単に慣れていない動作だからだろう。

 はふぅ、と息を吐いて、汗ばんだ額を腕で拭う。

 頬が血色の良い桜色に色づいている。

 その仕草がとても色っぽかった。


 ふぅ、っと息をついたあたりで、エイジは次に卵黄を投入する。

 まだまだ混ぜるのはタニアの仕事だ。

 白っぽくなっていたバターが、卵黄が入ることでほんの少しだけ黄色く染まる。

 卵の色が白っぽいので、色味に変化の少ない。


「さて、そろそろ小麦粉を入れましょうか」

「ドバーって入れてください!」

「ダメですよ。ダマになるからちょっとずつ分けていれるんです」

「面倒だなあ……」

「料理は面倒なものですよ。文句を言わない。ていうか、調理が面倒なのはタニアさんもよく知ってるでしょう?」

「ぶーぶー! 面倒だからこそ、ちょっとでも簡単にできるようになりたいんじゃないですか!」


 タニアが膨れていうが、それで失敗してしまっては元も子もない。

 エイジはしっかりと、用意した小麦粉を三回に分けて、ふるいにかけていく。


 ボウルに小麦粉が白くパウダーされ、それをヘラを使って混ぜていく。

 最初は水気が足りないから、簡単にはこねられない。

 ボウルに押し付けるようにして、小麦粉全体に水分を染み渡らせる。

 しっとりとしてきたら、ダマができないように丁寧にこねていく。


 二回目、三回目と回数を重ねるごとに、当然行き渡る水分は少なくなるから、より丁寧にやらないといけない。

 何回も何回もかき混ぜ、かき回し、粉を返す。

 全体的にバターなどが小麦粉に行き渡ったら、綺麗に洗った布に包んで、しばらく寝かせる。

 ラップがあれば良いのだが、なければあるもので代用するしかない。


「ふぅ……本当に疲れました」

「お疲れ様です。肩でも揉みましょうか?」

「あ゛あ゛~、そこぉ。きくぅぅうぅうぅ……っ!」

「まったく……なんて声出してるんだい。死んだ息子たちに見せられないよ」


 気持ちよさそうに、とろけた表情を浮かべたタニアの顔を見て、ボーナが呆れてしまっていた。

 タニアの肩はパンパンに張っていて、ゴリゴリとした硬結ができていた。


 次はワシにもやっておくれよ、などとボーナにも頼まれながら、しばし待つこと三〇分ほど。

 生地がしっとりと出来上がっていた。

 布を取り、麺棒で生地を均一な厚さに伸ばしていき、型を取る。

 最初の製作ということもあって、四角で統一することにした。


 いろいろな形を工夫するのは、慣れてからでも良いだろう。

 出来上がったクッキー生地を、オーブンに入れる。

 すでに暖めてあったオーブンの熱気がむわっと扉から這い出てきた。


「後はこれを焼くだけですか?」

「そうです。時間にして一五分ぐらいかな?」

「おしゃべりしてたらあっという間ですね。生地を作るまでが大変でした」

「ありがとうございました。次はジェーンさんにやってもらうので、タニアさんはゆっくりしておいてください」

「なんだい、私も作るのかい?」

「食べるんだから、調理にも協力してもらいますよ」

「仕方ないねえ」


 人使いが荒いんだから、などと悪態をつきながらも、少しウキウキしているのは、やはり新しいものに興味が湧いているのだろう。

 オーブンの扉を締めて、火が弱まらないように炭を足しておく。

 小さな覗き窓から焼き加減を時々確かめながら、じっと出来上がりを待つ。


 途中で、甘い焼き菓子特有の香りが漂ってきた。

 ぐぅぅ、とお腹を鳴らしたのは誰だっただろうか。

 タニアが鼻をスンスンと鳴らして、うっとりとした表情を浮かべた。


「エイジさん……とってもいい匂いがしてきました」

「もうすぐです。楽しみですね」

「はい。美味しそうな匂い……いったいどんな食べ物なんだろう?」

「な、なあエイジ。もう出来てるんじゃないか?」

「まだですよ。もうちょっと待ってください」

「食べる前から美味いとわかる匂いじゃのぉ」


 普段は落ち着いていて、欲をあまり見せないボーナも、今は待ちきれないとばかりに興奮している。

 覗き窓を開き、オーブンの中を見れば、燃え盛る火に焼かれながら、クッキーが少しずつ色づいている。

 少しばかり待ち、これ以上焼けば焦げてしまいそうだ、という手前で、エイジはオーブンを開いた。

 扉からモワッと熱気が溢れかえる。

 火箸を使って、オーブンの受け皿を引き出すと、より一層匂いが引き立った。


「おおっ……! 小さいけどパンみたいだな!」

「触感はだいぶ違うと思いますよ。少しだけ冷めるのを待ちましょうか」

「ううぅ、エイジさん待ちきれないですよぉ」


 物欲しそうな顔を浮かべるタニアを押さえつつ、手を伸ばしてくるマイクの甲をつねる。

 二人共恨めしげな目で見つめてくるが、どうせ一瞬のことなのだ。


 しばし待つこと、エイジが許しを出し、皆が一斉に手を伸ばした。

 シャクッ、と噛む音がした途端、タニアの顔が笑みに緩んだ。

 目をつむり、しっかりと味を楽しんでいる。


 さて、評価はいかほどだろうか。

 エイジは期待七割、不安三割といった心境で、その瞬間を待った。


「お、美味しいです! エイジさん、これ美味しい! サクってしてますよ。パンみたいに重たくなくって、とても口当たりが軽いです」

「甘いけど蜂蜜みたいにはくどくないぞ。口の中で溶けていくのはバターの旨みか。これは何枚でもいけそうだ」

「エイジ、アンタやるじゃないか! 私も気に入ったよ」

「なんじゃこれは…………っ!? …………ッッ!?」

「ありがとうございます。気に入ってもらえてるようで、嬉しいです」


 口々に賞賛の声を上げながら、サクサクとクッキーを食べていく。

 どうやら初回から焼き加減を含めて成功したらしい。

 随分と久しぶりだから、どれだけ成功するか不安だったが、貴重な素材が無駄にならなくて良かった。

 エイジも一枚手にとって食べてみる。

 おっ、これは本当に美味しい。


 やはり、材料の出来が段違いなのだ。

 搾りたての鮮度の高い牛乳、作りたてのバター、産みたての卵、挽きたての小麦。

 料理は材料が七割、腕が三割という格言がある。


 エイジたちの料理の腕は熟練の菓子職人に比べれば拙いものだが、それを上回る材料の鮮度があった。

 表面がサクサクと焼けたクッキーは、たしかな歯ごたえで口を喜ばせる。

 口の中ではホロホロと溶け、唾液と混ざるとふわっと舌に旨味が広がる。


 最初に感じるのは小麦と砂糖のくどくない甘みだ。

 そこからバターや卵黄のコクがじんわりと広がる。

 気づけばもう一枚、さらに一枚と、いくらでも食べることが出来る味わいだった。


「もっと、もっと食べたいです。マイクさん、いただきます!」

「あ、こらタニア、オレの……っ!?」

「私も貰うよ」

「母ちゃん、そりゃねえよ!」


 残り少なくなってきたために、ちょっとした争奪戦が起こってしまった。

 タニアは手元に自分の分を確保したまま、シュパパ、っと音がしそうな程の手の速さで、テーブルの上に残っていたクッキーを口に放り込む。

 ジェーンも同じく手を伸ばすと、途端にマイクの前に残っていたクッキーがなくなってしまった。

 そういえば先ほどからボーナから反応を貰っていないな、と見てエイジは驚いた。

 見れば、一心不乱にクッキーを貪り食っている。


「…………っ! …………っ! ほぉぉぉ……っ」

「ボーナさん、一人黙々と食べ過ぎでしょう」

「美味いのぉ、美味いのぉ」


 壊れたスピーカーのように、同じ言葉を繰り返しているボーナの姿に、少し心配になってしまう。

 ともあれ、非常に気に入ってくれたようで何よりだった。

 好感触の連続だ。本当に良かった。


「これなら披露宴で出しても問題なさそうですね」

「うむ……そうじゃの……。やっぱり出すのは止めんか?」

「どうしてですか!?」


 エイジはボーナの発言に驚いた。

 中止する意図がまるで分からない。

 思わず身を乗り出したエイジに、ボーナは深刻な表情を浮かべて答えた。


「うむ……甜菜糖はまだ数を作れないのじゃろ?」

「ええ。おそらく、振る舞えば今年はこれで終わりでしょうね


 甜菜糖の取れる量が限られているのだ。

 材料がなければ作りようがない。


「……ワシ等で美味いものを独占したい」

「浅慮! 村の威信をかけて宣伝するのはどうなったんですか!」

「もう良いかなって……」

「ダメです! 決定! これを披露宴で出します!」

「ええっ……ワシのクッキー……」

「まったく、あなたのものじゃありませんよ」


 駄目だこのババア。

 美味いものが食いたいがために、利害計算が飛んでしまっている。

 こうして試食会は大盛況で終えることになった。

明日も更新します。

感想や評価お待ちしてます。

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