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青雲を駆ける  作者: 肥前文俊
第七章 結婚披露宴
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甜菜糖 下

 とんでもないえぐ味を抱えた甜菜糖の試作第一号。

 このままでは、到底商品化にはこぎつけないだろう。


 それにやり方が不味かったのか、抽出できた糖の量も、どう考えても少なかった。

 搾りかすである甜菜の根部は、そのまま飼料に使えるため完全には無駄とは言えないが、制作にかかった労力を考えると、効率は良くない。


 ここからどうやって改良を重ねれば良いのか。

 甜菜に含まれる糖以外の成分、それをいかに排除するか。

 それが今回の課題だ。

 こういった改善案は、自分ひとりで考えていても早々に煮詰まってしまう。

 だからエイジは、最も信頼していて、身近な存在であるタニアにまずは相談してみた。


「タニアさんには何か良い案はありますか?」

「案ですか……料理で考えると、えぐ味を取るのは灰を入れるとかどうでしょう」

「灰……ですか?」

「ええ。山菜のアク抜きなんかの水だけではえぐ味が抜けないようなものには、灰汁を使うんですよ」

「へぇ……それは知らなかったな」

「ふふん。これでもお婆ちゃんやジェーンさんに鍛えられてますからね」


 タニアが胸を張って自慢すると、授乳期で膨れた乳がブルンと震えた。

 子供っぽい態度と成熟した体のアンバランス。

 エイジの目が吸い寄せられた。


「エイジさん?」

「いえ、何もないです。そうですね。じゃあ試してみましょうか」


 気持ちを切り替える。

 今は目の前のことに集中だ。

 お楽しみは夜になればいつでもできる。


 幸いにして甜菜の補充はいくらでもある。

 そして灰も多量にあった。

 日常の明かり、炊飯の竈、鍛冶と火を使うことには事欠かない。


「それじゃあ途中まではやり直しですね」

「今度は私も手伝いますね」

「お願いします」


 湯の中に甜菜を入れて煮るところまでは同じ工程を繰り返した。

 やり方がわかったから、タニアも協力してくれて、より短時間に作業が進む。

 タニアの包丁さばきも熟練したものだった。


 湯の中に少しずつ灰を入れて混ぜていく。

 エイジとタニアがじっと鍋の中を覗き込んでいると、灰の炭酸カリウムが反応して、鍋の底に沈殿物が溜まり始めた。


「あ、なんか良い感じですよ、タニアさん」

「むふふ。私の見立てもなかなかですねぇ」

「水の色合いも黒っぽいのが少しきれいになりましたね」


 緑がかった黒色の湯の色が、沈殿物とともに少しずつ澄んでいく。

 湯の表面に黄緑色の上澄みが出来ていた。

 それを少しずつ掬い取って、別の鍋に集める。


 上澄みをさらに濃縮するため、弱火で火にかける。

 エイジが鼻をスンスンと鳴らして嗅ぐと、ほうれん草のような臭いが漂った。

 

「前回よりも臭いは薄い感じがしますね。さて、今度はどうでしょうか」

「上手くいくと良いんですけど……」

「じゃあ、どうぞタニアさん」

「作ったエイジさんが一番に舐めたほうが良くないですか?」

「協力してもらっていますから。悪いですよ。最初は譲ります」


 思わず顔をしかめた前回の味を思い出して、お互い味見役を譲り合う。

 タニアの表情は、決してここは引かないぞ、と言っていたから、仕方なくエイジが最初の犠牲者になることにした。

 言い出しっぺだし、仕方がないか……。

 思わず肩が落ちてしまうのはご愛嬌というところだろう。

 

 恐る恐る舐めてみると、これが意外とマシになっている。

 思わず声が出た。


「うーん……確かに大分マシになった」

「そうですね。さっきみたいな凄いえぐ味はないです。ちょっと、少し……いえ、それなりに我慢すれば甘みがあって美味しいと思います」

「……とは言え、料理に使えるレベルではないですよ」

「良い案だと思ったんですけどねえ」

「かなり良い感じですよ。さっきと比べれば大きな進歩です!」

「そうですか?」

「ええ。次は灰を入れる量やタイミング、湯の温度も調整してみましょう。きっとより良くなりますよ」


 残念そうに肩を落とすタニアを励ます。

 もとより一度や二度の失敗で上手くいくとは思っていない。

 それよりも、こうして試した結果、新しく何かが分かる――それが成功にしろ、失敗にしろ――という事が大事だ。

 こういった試作品は決して一朝一夕で素晴らしいものは出来ないのだ。



 エイジの提案通り、灰の使用量や湯の量や温度、あるいは甜菜の切り方など、様々な工夫をこらして甜菜糖の抽出に励んだ。

 だが、その差は微々たるもので、品質の向上こそは叶ってはいるが、ブレイクスルーには至らない。

 エイジとタニアの表情には、疲労が浮かび上がっていた。


「ちょっと……これは難航しそうですね」

「続けますか?」

「いえ、残念ですけど、一度中断しましょう。このまま考え続けてても、ちょっと煮詰まってていいアイデアが湧きそうにありません」

「分かりました。また何か気づいたらいつでもお手伝いしますから」

「その時はお願いします」


 大量のビートの絞り滓を、家の牛やボタンの餌にして、エイジたちは試作を終了した。





 ぼうっと、エイジは火の落ちた炉を眺めていた。

 火の入った薪炭は燃え滓となって、白い灰に変わっている。

 炭をかき混ぜて火を小さくし、上に鉄がねの蓋をする。


 こうして酸素が入らない状態にしておかないと、炭の火というのは意外にも再燃するものだ。

 消したつもりになって鍛冶場を後にして、気付いたときには大火事になっていたというケースは、歴史を紐解けばいくらでも転がっている。

 そうして作業を終えると、思い出すのは甜菜のことだった。


「不純物を取り除くかあ……」

「どうしたんすか、親方」

「いや、またちょっと新しいものを作ろうと思っててな」

「またっすか……。親方はほんとに次から次に新しいものを考えてるんすねえ」

「そう呆れた顔をするな。これでも披露宴で新しい出し物を考えるのに必死なんだよ」

「村の威信がかかってるからって親父も言ってたっすね。親方も大変すね……」


 最初は呆れたような様子のピエトロが、心底同情したように言ってきて、エイジも胸に来た。

 まったく、出し物だなんて無茶ぶりが過ぎるというものだ。



「本当だよ。私の最初の生活設計だと、領主なんて絡まずにもっと小じんまりと村だけで生活するつもりだったんだけどなあ」

「それ冗談で言ってます?」


 いつもの口調ではなく素で尋ねられて、さすがのエイジも、うっと言葉に詰まった。

 たしかに自分でも、最近はどうだろうと思わないでもない。

 村を豊かにするためには、いちいち自重していられないのだ。


 だが、自重しなければ当然目立つことになる。

 そのあたりのさじ加減は本当に難しいのだ。


「それで、何を悩んでるんすか?」

「今、ある野菜から成分を取りだしたいんだけど、えぐ味がきついんだ。不純物をどう取り除くかで悩んでいる」

「俺はよく分かんねーっすけど、不純物を取り除くんすよね。鍛冶に使う石灰は使えないんすかね?」

「ああ……。いや……どうだろう……」


 石灰は酸化カルシウムのことだ。

 鍛冶というよりも、製鉄の段階で必要になる。

 鉄鉱石を炉で精錬する際に、石に含まれる不純物のシリカやアルミナを分離しやすくするという働きがある。

 もし甜菜のえぐ味がほうれん草と同じくシュウ酸によるものだった場合、えぐ味の除去に役立つ可能性はあった。


「ピエトロ、いいアイデアだ。早速試してみるよ」

「成功したら、俺にもおすそ分けお願いするっす!」


 厚かましいお願いも、自分より遥かに年下の少年が言うのだから可愛げがある。

 分かったよ、と約束して、エイジはふたたび自宅に戻ることにした。


「タニアさん、ちょっとアイデアを試したいんですが」

「分かりました。今度は成功すると良いですねえ」

「本当にね」


 ここまでですでに一週間が過ぎている。

 流石に同じことの繰り返しに、エイジもタニアもやや飽きが来ていた。


 言い合いながらも、テキパキと準備を整える。

 同じ作業を繰り返しているから、やるべきことは理解している。

 それだけに動きは早かった。


 タニアが湯を沸かしている間に、エイジは甜菜を刻む。

 最終的には四ミリほどの細さが最適だということが分かっていた。

 湯の中に灰を入れ、刻んだビートを流し込む。

 湯の温度は沸騰よりも手前。

 およそ七〇度が目安だ。


 浮かび上がってきた上澄みに対し、エイジが用意した石灰を入れていくと、上澄みがさらに分離するのが分かった。


「エイジさん、なんだか上手く行ってますよ!」

「落ち着いてください。これが本当に成功かどうかわからないんですから!」

「そう言いながらエイジさんの顔も笑ってるじゃないですか」

「そ、そうですか?」


 待ちに待った変化だ。

 少しでも良い結果が出て欲しい。

 もとよりネバネバした上澄みには、半固形物が混ざり合っている。


 まずは上澄みだけをすくい取り、それを綿布で濾す。

 茶色の粘性の高い液体を煮詰めて、試作第二十号が完成した。


「エイジさん……」

「はい……良い感じですよ。臭いがこれまでより更に薄いです」

「……これってもしかして」

「試してみましょうか」

「じゃ、じゃあ今度は私も一緒に」


 ごくり、とツバを飲み込んだ。

 ようやく成功の糸口が掴めたかもしれない。


 匙ですくった液体を舐める。




 ……美味しい。




 興奮に顔が自然と笑みを浮かべるのが分かる。

 ぐっと拳を握りしめた。


「甘いですよっ! えぐ味もないです!」

「タニアさん、やりましたよ!」

「やった! おめでとうございます!」


 自然とお互いが抱き合っていた。


 甜菜糖の……完成だ……!



「よおし! ……当初の目標通り、美味しい甜菜糖を作ることには成功しましたよ」

「良かったですね、エイジさん!」

「約束ですからね。これで美味しいお菓子でも作ってみますよ」

「楽しみです……! 食べたことのない味ですか……」


 とはいえ、問題がないわけではなかった。

 使う甜菜の量に比べて、得られる砂糖の量があまりにも少ない。

 どれだけ甜菜を細く、あるいは小さく刻んでも取れる量に変化がないため、もともと甜菜に含まれている糖分の少ないことが原因だろう、という考えに至る。


 エイジは甜菜の歴史など知らないが、もとより甜菜の糖分は、もともとは一パーセントに過ぎない。

 品種改良によって、糖を多く蓄えた甜菜が作られるようになっていたのだ。

 現在では二〇パーセントを超える糖分を含んだ甜菜も採れるようになっているという。


 エイジたちが扱う甜菜の重さは、一個でおよそ一キロ。

 つまり、一個の甜菜から採れる砂糖は、どう見繕っても一〇グラムにすぎない。

 角砂糖にして僅か二個分だ。

 つまり、エイジがいくら努力しようと、今すぐに大量の砂糖を得ることは不可能なのだった。


 途中でエイジもそのことには気付いている。

 タニアに菓子を作る分と、披露宴で使う甜菜糖を作ったら、しばらくはお蔵入りして、品種改良を行うことが先だ。


 だが、それでも。


 今はただ、目の前の成功を、純粋に喜びたかった。



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