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青雲を駆ける  作者: 肥前文俊
第七章 結婚披露宴
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甜菜糖 上

 エイジがその存在に気づいたのは、不覚にも三年目を迎えようとする時になってからだった。

 四輪農法にも用いられる作物としてすでに身近な存在であったというのに、エイジが気づかなかったのには、一応わけがある。

 村の人間が家畜の餌であると考え、普段は食卓には決して上らないからだ。


 エイジは今、箸でつまんでいる、白くてシャクシャクとした歯ごたえのあるそれの名を、甜菜ビートと言う。

 アカザ科フダンソウ属の多年草で、蕪のような形をしている。



 味は……端的にいうと美味くない。

 いや、不味い。



 サトウダイコンのように甘みがあって、シャクッとしていて、それだけならば調理次第で美味しくもなるのだろう。

 だが、それらの美点を完全に打ち消してしまうのが、強烈なアクの強さだった。


 生のほうれん草のえぐ味をより強くした感じと言えば良いだろうか。

 村人たちが誰ひとりとして手を付けず、牛や馬の餌にしていた理由を思い知った。

 まあ、それもそうか。

 美味しく食べられるなら、村の人間が放っておくわけがないのだ。


「これは……食べられませんね」

「ほ-ら。だから言ったじゃないです! もうエイジさんは私の話を聞かないんだから」

「いえ、聞いてますよ? 聞いた上で、一度食べてみたらもっと色々と思いつくかな、って」

「言い訳ご無用です!」

「ふがっ!」


 口の中に突っ込まれたのは、甜菜と似た形をした蕪だった。

 ちなみに蕪はアブラナ科アブラナ属の野菜だ。

 こちらは古代ギリシャから人間にも細々と食べられていたが、やはり主な用途は飼料だった。


 だが、少なくともエグみはなく、エイジとしては普通に食べられる。

 見た目も歯ごたえも似ているのに、どうしてこれほどまでに味が違うのだろうか。

 もぐもぐと口を動かしながら、そんなことを考える。


「それで。私の忠告に反してまでこんなものを食べて、何か思いついたんですか?」

「辛辣だなあ。まだ確定したわけじゃないですけどね。楽しみにしていてください。成功すれば甘いものが今よりずっと食べやすくなりますよ!」

「ええ……! 本当ですかぁ?」


 胡乱げな目線を向けられて、エイジも少し意地になる。

 これまで様々な商品を開発してきたのだ。

 もう少し信頼してくれても良いものだと思う。


「あ、信じてませんね」

「だって、甘いものって言ったら蜂蜜ぐらいしか食べたことがないんですよ。それがこんな不味い甜菜なんかで出来るとは思えません」

「うーん……。まあ私も自信はないんですけど」


 とはいえ、タニアの今ひとつ信じきれないという態度も、エイジには納得できた。

 なにせ自分自身でさえ、今回の試みは半信半疑なのだ。

 ただ、完成品がある。それを知っているという知識が、何よりの希望だった。


 目的は甘味の摂取頻度の向上だ。

 糖分を得る方法は、今のところ蜂蜜が主体で、あとは果物を食べる以外にはない。

 様々なドライフルーツなどは、糖分も高いが、砂糖を手に入れることができれば料理の選択肢も大幅に増えるだろう。


 そして何より、今度の披露宴の目玉になるのではないだろうか。

 試行錯誤を覚悟して、エイジは甜菜からの砂糖抽出を始めることにした。




 甜菜は非常に大きい。そして重い。

 スーパーで手に入る一玉のキャベツのサイズをイメージすれば良い。

 秋口に収穫された葉はすべて裁断され、牛や馬の飼料になっている。

 短い大根の形をした根の部分から、砂糖を摂ることが出来た。


「しかしこれ、どうやったら良いんだろうなあ?」

「うーん、搾るのはどうでしょう?」


 タニアが搾るという考えに思い至ったのは、おそらくは村でのワイン造りが元になっている。

 タニアの提案に、エイジは首を振る。


「甜菜はブドウと違って水分が少ないし、比べると固いからね。圧搾には向いてないと思うよ」

「そうですか……」


 しょぼん、と肩を落とすタニアを慰める。

 恐らくは煮出すのだろう、ということぐらいしかイメージも出来ない。

 仕方なく、エイジはまずビートを切ってみることにした。


 ダン、とまな板の上にのったビートは、なかなかに存在感がある。

 それを自前の包丁でまずは真っ二つにする。

 最高級の包丁を、職人が完璧に研ぎ上げたものだ。

 切れ味は抜群。

 鈍らであれば結構固い手応えがあるのだろうが、すぅっ……と包丁の刃が吸い込まれていく。


「相変わらず見事な切れ味ですね」

「毎日ほんの三〇秒でも、研いでおくのが秘訣ですよ」

「たったそれだけで変わるものなんですねえ……」


 物を切る度に刃物というものは、どうしても鈍らになる。

 顕微鏡で拡大して見ると、刃の表面の粒子がめくれたり、デコボコが増え、刃の厚みが増すからだ。

 研ぎというのは、その刃物の層を常に均一に保つために行う。

 大きな欠けでも作らない限り、刃先を研ぐのに必要な時間は一日三〇秒もかければ充分だった。


 エイジは甜菜を出来る限り細かく刻んでいく。

 その手は淀みなく動き、料理にも手慣れているのが分かる。

 煮込んで抽出する場合、少しでも小さいほうが、より溶け出てくれるだろう、という考えだ。


「相変わらず、私の立つ瀬がありません……」

「男所帯でしたから。父親が料理が下手でね。仕方なく自分で作るようになったんですよ」


 母親がいなくなって、一番困ったのが料理だった。

 男子厨房に入らず、という言葉の体現者だった。

 子供の頃から、そういう風に教育を受けていたのだから、仕方がない面もある。

 四苦八苦しながら作ってくれた料理は、お世辞にも美味しくなかった。


「だから、こうして毎日妻の手料理が食べれるって、本当に嬉しいです」

「も、もう。そんなにおだてたって、何も出てきませんからね」

「あら、それは残念」


 顔を赤くしたタニアを笑いながら、エイジは湯を沸かす。

 かまどに薪を放り込み、火力を調整する。


 ぐつぐつに煮だった鍋の中に、甜菜を入れていく。


「これで出来るんですか?」

「さあ……どうでしょう」

「私も一度煮たことありますけど、それっぽい何かが起こったことあったかなあ」

「こんなに大量に入れたことはないでしょう?」

「それもそうですね」


 鍋の中に投入された甜菜の量はおよそ二キロ。

 グツグツと煮だった鍋の中で、気泡が湧き上がり、甜菜が踊る。

 ぼうっとその様子を眺めているが、不思議と飽きが来ない。

 竈からの輻射熱で顔がほんのりと暖かい。


 十分に火が入って柔らかくなった甜菜を取りだした。

 一度綿布で濾して搾ったあとに、残った煮汁をさらに煮詰めていく。


「なんだか色がありますね」

「黒っぽいですねぇ。エイジさんこれが言ってる砂糖ですか?」

「多分そうだと思います」


 煮出した抽出液を、ロージュースという。

 タンパクやペクチンなど、様々な除去すべきものが残っている状態だ。

 その後時間をかけて、低温でドロドロになるまで濃縮した。


 残った粘り気のある液体は、どことなく甘い香りを放っている。


「ひとまず試作第一号の完成です」

「じゃあ、味見してみましょうか。どんな味でしょうね」

「私も食べたことがないので何とも……」


 エイジは匙ですくったその濃縮液を、まじまじと見つめた。

 ドロリとした粘り気のある触感。

 色は黒っぽく、決して綺麗とはいえない。

 恐る恐る舌に放り込む。


「うっ……これは!?」

「エイジさーん、えぐ味が凄いです……」

「これは……失敗ですね」

「うぅ……お水お水」


 思わず顔をしかめてしまうような、強烈なえぐ味。

 甘みは確かに感じられるが、砂糖というほどの強烈な甘味もない。

 試作第一号は、まだまだかなりの改良点が残されているようだった。

更新するする詐欺で申し訳ない!

でも最近は遊びに呆けているというより、執筆自体は真面目に書いてるので、

ただただ忙しいだけなんです。


そろそろ長期休暇が欲しい。

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